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台湾の「サービス貿易協定」反対運動をめぐる、下地真樹さんからの批判に対する応答(2) [東アジア・現代]

前回に引き続いて、台湾の「サービス貿易協定」反対運動をめぐる、下地真樹さんからの批判に対し応答を行います。

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私の元文章は
台湾の「サービス貿易協定」反対運動
続・台湾の「サービス貿易協定」反対運動
以下では、上の文章を〈論A〉、下の文章を〈論B〉と略します。

下地さんの批判文は
https://www.facebook.com/mon.mojimoji/posts/545541075559331
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私は〈論A〉で次のように書きました。

今回の騒動の論点は、大きく二つあるように思う。一つは、中国との「サービス貿易協定」の内容自体の可否の問題。もう一つは、協定の調印・承認をめぐる民主的手続きが正当なものであったかどうかの問題。(中略)少なくとも後者の民主的手続きの問題において、馬政権はあまりに拙速に事を運ぼうとしたきらいがある。さもなければ問題がここまでこじれるはずがない。この点では、立法院を占拠している学生のほうに一定の理があるだろうし、馬政権が立法院占拠中の学生を実力で排除することに慎重なのもそのためだろう。

この後者の「民主的手続き」の問題について、下地さんは次のように指摘しています。

「協定の調印・承認をめぐる民主的手続きが正当なものであったかどうかの問題」は、代替不可能な重要性を持つ問題であって、この一点だけをもってしても、この協定は破棄されるべきと言っていい。協定が真実台湾の人々のためになるとしても、この協定は破棄されるべきである。

協定の調印・承認をめぐる馬政権の民主的手続きの正当性に明らかな瑕疵があるのであれば、下地さんの言うように、この協定は破棄されるべきだと、私も思います。

次に、第一点の「サービス貿易協定」の内容自体の可否の問題について、私は〈論A〉で次のように書きました。

ただし、サービス貿易協定自体の内容自体については、台湾内でも理解に相当の差があるようだ。この協定が成立した場合、台湾の社会構造上、どの階層にどのような利益・不利益があるのかについては、はっきりと断定することができない。現時点では、協定反対運動の主力は学生(および大学教員の一部)のようだ。学生たちは労働団体にストライキを呼びかけているものの、組合側の反応は鈍い。(中略)そもそも、中国の市場経済をグローバル資本主義の中にどのように位置づけるかによって、台・中のサービス貿易協定の意味合いは変わってくる。そこを明確にしない限り、協定反対運動の本質もまたはっきりしない。

これについて、下地さんは次のように述べています。

【(前略)たとえば、反原発では積極的に発言している芸能人が、今回の件ではほとんど発言しない。最近の台湾・中国・香港の芸能界はほとんど統合されていて、映像作品などもその三つの地域の合作で作られるものが極めて多い。ゆえに、中国に反発するような政治運動への共感は示しにくいだろう(実際、台湾の芸能人を締め出せ、というような動きもあるらしい)。既に存在している経済関係から利益を得ている人たちはいて、それゆえにこの問題に積極的に賛成できない場合は当然ある。ただし、ここで確認しておくべきは、それは必ずしも今回のサービス貿易協定が利益をもたらすから、と想定すべき理由はない、ということだ。協定が利益をもたらすから、と想定すべき理由はない、ということだ。(本当は、サービス貿易協定の中身に立ち入って評価すべきだろうが、あまりに長くなりすぎるのでやめておく。)

あまり話がかみ合っていませんが、下地さんが上で述べていることにも特に異論はありません。私がいぶかしく思うのは、これに続く下地さんの次の文章です。

そして、上記論考の最大の問題点と私が思うところは、これを「反中」と位置付けた上で、あろうことか日本の排外主義と重ね合わせるように論を進めている点だ。

上記引用の「これ」とは台湾のサービス貿易協定反対運動を指しているようですが、下地さんによれば、私はこの運動を「反中」と位置付けた(!?)という。そしてこの運動に関して私が「日本の排外主義と重ね合わせるように論を進めている」(!?)という。それを示すものとして、下地さんは〈論A〉の私の次の文章を引用しています。

報道を見る印象では、協定反対運動の中に「反中」の色彩が濃いことも否定できない。参加者の中には明らかな排外主義者もいる。日本のネット右翼たちがこの運動を応援しているのもそのためで、「敵(中国)の敵は味方」といった感覚だろう。仮に、協定の相手がアメリカ(および中国以外の主要資本主義国)であったら、反対運動はここまで盛り上がっただろうか?

私は、この運動の中に「『反中』の色彩が濃い」ことを指摘しているのであって、この運動の本質を「『反中』と位置付けた」のではありません。また、私はこの運動を「日本の排外主義と重ね合わせて」いるのではなく、日本の右翼がこの運動に含まれている「『反中』の色彩」を喜び応援しているという明白な事実を、私は指摘しているにすぎません。

さらに下地さんは次のように続けています。

当然、そういう人はいるだろう。しかし、中国の体制下で暮らしたいか?とリアルに考えざるをえない台湾の人にとって、「それは嫌だ」という感覚は、「反中」で片づけられるようなものではない。

なぜ「中国の体制下で暮らしたいか」云々という言葉が突然出てくるのでしょうか?今議論しているのは「サービス貿易協定」の問題です。この協定は、台湾の人びとを直接に「中国の体制下で暮ら」させる危険にさらすものなのでしょうか?「サービス貿易協定」の問題と、中国の現政権が台湾との「統一」を目指しているという事実とが、いったいどのようにリンクしているのか、下地さんから具体的な説明をいただきたいと思います。もし、両者が必然的に結びついていることを説明できず、下地さん(あるいは協定反対運動の学生)が両者を意図的に混同させているとすれば、それこそ悪質な「反中」プロパガンダというほかありません。

従って、この件についての具体的な説明をいただかない限り、「『それ(中国の体制下で暮らす)ことは嫌だ』という感覚は、「反中」で片づけられるようなものではない」という下地さんの指摘は、今議論している「サービス貿易協定」をめぐっては何の意味もないことになります。

そして下地さんは続けて述べます。

冒頭で基本認識として述べたように、中国という国が決してほめられた状況にある国ではないこと、かつ、それが現在の国際秩序においては妥当な手段であるとしても、中国が台湾に対して取っている外交姿勢はきわめて暴力的な性質を持っていることは確認してほしい。それらを前提にして、多くの台湾人が「統一ではなく現状維持を望む」と考えるのは、排外主義的な反中でも嫌中でもなく、きわめて当たり前の政治感覚だと思う。それは現実の中国政府の反人権的なありようという裏付けのある、否定できない態度だと思う。

繰り返しますが、「統一」云々の問題と、「サービス貿易協定」の問題とは、どのようなつながりがあるのでしょうか?「多くの台湾人が『統一ではなく現状維持を望む』と考えるのは、排外主義的な反中でも嫌中でもなく、きわめて当たり前の政治感覚だと思う」というのは当然なことです。しかし仮に、協定反対運動の学生たちが、「統一」をめぐるこの「当たり前な政治感覚」を、それとは本来直接の関係がない「サービス貿易協定」と意図的にリンクさせ、その「政治感覚」を協定反対運動に動員しているとすれば、それこそ排外主義的な反中プロパガンダだと言わねばならなくなります。この件について、下地さんに明確な説明をお願いします。

結論として、下地さんは次のように主張しています。

台湾でも嫌韓・嫌中の傾向は強まっていると聞くけれども、そのことを引き合いに中国の体制の問題をないかのように扱うことは、中韓における反日感情を理由に日本政府・日本社会の問題から目を反らすのと同じような過ちだと思う。中台問題についても、普遍主義の観点から考えるならば、中国政府の帝国主義的性質から目を反らすわけにはいかないはずだ。

そもそも、台湾の「サービス貿易協定」反対運動の問題と、「中国の体制」の問題とは、本来直接に関係しないものでしょう。台湾の「サービス貿易協定」反対運動の問題点を指摘している私に対して、「中国の体制の問題」「中国政府の帝国主義的性質」を批判していない(?)ことを非難するのは、全くおかしな話です。日本右翼の従軍慰安婦に関する言説を批判する人に対して、ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為をめぐる韓国内の言説のあり方を問題にしないからといって非難する人びとの態度と、何が違うのでしょうか?

最後に、下地さんは「追記」として、次のように述べています。

台湾資本が大陸でやっている非道な行為については、もちろん責任はあるだろうが、今回のサービス貿易協定や学生運動につなげて論じるのは無理がある。 第一に、第一義的には、これは資本の国籍の問題ではなく、資本の問題だということ。第二に、たとえば、日本資本が開発独裁政権を政治的に支えて環境破壊などをお目こぼしさせたりすることなどに比すると、台湾資本には中国政府に対してそこまでの支配力は発揮しえない。責任があるとしても、One of themに過ぎないと思う。これに反発する責任は、台湾の学生たちにあるのだとしたら、同じくらいには、私たちも日本資本に対する責任を通じて責任を負っているのであって、今回の件で引き合いに出すのは違うと思う。

「サービス貿易協定」反対運動の問題点を指摘する私に、「中国の体制の問題をないかのように扱うこと」(?)は「過ち」だとまで述べたのは下地さんです。そのご自身が、中国資本の台湾への侵入の脅威を叫ぶ学生については、「台湾資本が大陸でやっている非道な行為」について「つなげて論じるのは無理がある」という。

もちろん、台湾の学生は、台湾資本の行為に対して直接の責任はないでしょう。しかしこの問題について私は〈論B〉で、台湾資本が中国大陸で展開する工場で中国労働者に苦汗労働を強いている事実、そしてそのような「血汗工場」の実態が中国の民衆から批判を浴びている事実を、台湾企業「富士康」(Foxconn)を例に説明したうえで、次のように述べました。「もし中国資本の脅威を口々に訴えている台湾の学生たちが、大陸中国に進出した台湾資本の工場における苦汗労働の問題には口を閉ざすのであれば、それはエゴイスティックな「嫌中」運動と言われても仕方がない。少なくとも、大陸中国10億の民衆は、そのような運動に何の共感も覚えないだろう」と。中国の民衆がこのように考えることも、下地さんは「無理がある」と言うのでしょうか?

さらに先の引用で、下地さんは【第一義的には、これは資本の国籍の問題ではなく、資本の問題だ】として、台湾の学生には責任がないという。もちろん「直接の責任」はないでしょう。しかし私が〈論B〉で述べているのは、次のような問題意識があるからです。「グローバル資本主義に抵抗するためには、世界の民衆が連帯せねばならない。排外的ナショナリズムはそうした連帯を不可能にし、結局運動を敗北へと導くことになる」。グローバル資本主義に対する、台湾と中国の民衆同士の連帯を私は願っています。そうした連帯こそ、台湾の民衆が望まないやり方による中国の強権的「統一」に対する、真の防波堤になるのではないでしょうか。

例えば、フィリピン・トヨタにおける不当解雇事件に対して、日本の労働者はフィリピンの労働者と連帯し、日本のトヨタ本社に対する抗議を長年行っています。
フィリピントヨタ労組を支援する会
グローバル資本主義に抵抗するためには民衆のグローバルな連帯が、とりわけ多国籍資本の本国の労働者と、投資先国の労働者との連帯が不可欠だと、私は考えます。この点、台湾の学生たちも自覚してほしいところです。

なお繰り返すように私は、台湾の「サービス貿易協定」反対運動の本質を、「反中」「嫌中」運動と断定しているわけではありません。「もし中国資本の脅威を口々に訴えている台湾の学生たちが、大陸中国に進出した台湾資本の工場における苦汗労働の問題には口を閉ざすのであれば、それはエゴイスティックな「嫌中」運動と言われても仕方がない」と、私は仮定形で指摘しています。彼らが台湾資本の中国工場における苦汗労働の問題に目を開くことを通じて、中国の民衆と連帯してグローバル資本主義と対抗する道を切り開いてゆくことを私は願い、またその可能性を信じています。

後記


台湾の「サービス貿易協定」反対運動をめぐる、下地真樹さんからの批判に対する応答(1) [東アジア・現代]

台湾のサービス貿易協定反対運動をめぐる私の文章に対して、下地真樹さんからFB上で批判をいただきました。大事な論点を含んでいると考え、以下、応答させていただきます。非常に長文に渡るので、議論に興味のない方はスルーしていただければと思います。

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私の元文章は
台湾の「サービス貿易協定」反対運動
続・台湾の「サービス貿易協定」反対運動
以下では、上の文章を〈論A〉、下の文章を〈論B〉と略します。

下地さんの批判文は
https://www.facebook.com/mon.mojimoji/posts/545541075559331
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まず、下地さんは次のように述べています。
紹介されている二つの論考を読んでみた。わかるところはもちろんある、という反面、結論にはほとんど同意できない。というか、結論以上に、論の全体が醸し出している雰囲気が受け入れられない、といった方が正確かもしれない。

「論の全体が醸し出している雰囲気」云々はさておき、下地さんは私の二つの論考の「結論にはほとんど同意できない」ということなので、まず、二つの論考の「結論」を下に書き出してみます。

〈論A〉の結論:〔丸腰・非暴力の学生に対する馬政権の暴力的対応については強く抗議する。ただし、中・台のサービス貿易協定自体をめぐる問題について、早急な決めつけは避けたい。ましてや、日本人が自分の(潜在的な)「反中」意識を台湾の大衆運動に投影している有様には、違和感を禁じ得ない。グローバル資本主義への抵抗運動は、生存権=人権を根拠としなければならない。そこに排外主義を交えることは、結局運動の自殺行為となるだろう。中国大陸10億の民衆といかに連帯するかが問われている。

〈論B〉の結論:〔グローバル資本主義に抵抗するためには、世界の民衆が連帯せねばならない。排外的ナショナリズムはそうした連帯を不可能にし、結局運動を敗北へと導くことになる。日本にも、「実習生」「研修生」といった名目で中国人労働者をこき使う苦汗工場がある。中国に進出した日本企業の労働問題もしばしば起きている。このような、グローバル資本主義がもたらすさまざまな問題についての認識を、各国の民衆が国境を越えて共有し合うことから始めなければならないと思う。

下地さんは、これらの「結論」に「ほとんど同意できない」とあります。しかし実は、下地さんは批判文全体の中で、これらの「結論」のどの部分に対して、どのような理由で「同意できない」のか、具体的に書かれていません。少なくとも私の頭では理解できませんでした。

すると、下地さんはこれらの「結論」に対して何か言い分があるというより、むしろご自身の言われるように「論の全体が醸し出している雰囲気が受け入れられない」ことが、私への批判文を書いた最も重要な点なのだろうと、考えざるを得ません。

では下地さんの言う、私の二つの論考の「全体が醸し出している雰囲気」とは一体何でしょうか。あらかじめ結論を言うと、下地さんの批判文全体から察するに、それは私が「中国政府」の「反人権的」・「帝国主義的性質」を批判せずに台湾の運動の問題点ばかりを指摘している(ようにみえる)、ということなのだろうと思われます。この点について詳しくは後述します。

さて、下地さんは、私の文章に対する批判の前置きとして、ご自身の議論の「大前提」を次のように述べています。

現在の体制としての中国政府は、決してほめられたものではない。私は日本政府も、近代日本の帝国主義も、戦後の新植民地主義的経済侵略も歴史修正主義も、全部ごめんこうむるけれども、現在の中国政府も同じくらい勘弁してくれと思っている。死刑件数の多さもそうだし、中国外交の膨張主義的な方向性、威圧的な傾向等、相当に問題があると思う。これは日本政府との比較において話しているのでは「ない」。そういうことを比較してどちらが「マシ」という発想を、こういう問題については僕はしない。「ジャイアンとスネ夫、どっちが優しい?」みたいな問いに、ほとんど意味などないと思う。

なぜ私の文章に対する批判の大前提として、現在の「中国政府」の「体制」の問題が突然出てくるのか、疑問です。が、もちろん下地さんの指摘する個々の問題は、一般論としては承認できるものです。

下地さんはご自身の議論の「大前提」についての説明を、さらに次のように進めています。

台湾において、中国との統一問題は、それを歓迎する向きであれその逆であれ、具体的現実的にイメージされざるをえない問題である。これは日本に暮らす私たちの状況とは決定的に違う。いわば、社会の構成員全部が尖閣に住んでるような状況だ(……これはまぁ、誇張はあるが。ま、いいか)。もちろん、人々は日々の生活を平穏に営んでいるけれども、台湾=中華民国政府が国際社会からかなりの程度排除されていて、多くの国際機関に参加できていないことも周知の事実だ。

中国は、これもまた周知のように、台湾との「統一」を目指している。そのこと自体は、とりあえずはいい。しかし、問題は、中国政府による統一へ向けた動き・外交は、台湾を対等なパートナーとみなして、対等なパートナーとして話し合える条件を整えた上でなされているのではまったくないということだ。既に述べたように、台湾=中華民国は多くの国際機関から排除されている。当然、中国政府の意向である。台湾が、多額の援助金と引き換えに辺境の小国と国交を開いたかと思えば、中国からのさらなる援助によって再度国交断絶されたりする。台湾の存在に対する国際的認知度は、そのイタチごっこの中で右に左にいつも揺れている。

これは、現在の主権国家システムと国際法の枠組みの中では、まったく合法かつ正当な活動である。しかし、これは本質的にパワーゲームであって、このような仕組みの中で国際的な地位を左右される台湾社会にとって、どれほど暴力的な状況かは強調してもしすぎることはない。それが現状の仕組みの中で妥当な方法であるかどうかは、その暴力性が問題かどうかとは別の話だ。各国政府の公式見解がこうした枠組みに従うとしても、私たちの個々人が責任を持つべき認識において当然に是とすべきことかどうかは別の話だ。

ここでの下地さんの趣旨をまとめると、大陸中国政府の台湾をめぐる外交政策は、現在の国家システムの枠組みにおいては「合法かつ正当な活動」だが、台湾社会にとって「暴力性」をもっている、ということでしょう。これも一般論としては否定できないことでしょう。なお私も〈論A〉の中で、「台湾の将来を台湾の民衆自身が決めるべきなのは当然だ。大陸中国の政権が武力侵攻の選択肢を否定していない以上、台湾の人びとがそれを不安に感じるのも当然だろう。」と書いています。

下地さんの議論の「大前提」の説明はさらに次のように続きます。

私は、日本政府の問題を棚に上げて中国たたきに勤しむバカどもが心底から嫌いだけれども、中国政府の帝国主義性について消極的になる日本の左派ないしリベラル(ないしその他呼び方は何でもいいけれども、そういう一群の人たち)については疑問を禁じ得ない。

ここで唐突に、「中国政府の帝国主義性について消極的になる日本の左派ないしリベラル」に対する批判が飛び出しています。文脈からして私も入れられているのでしょうが(そのことは後の論述から明白)、こうした乱暴な決めつけがなぜ問題であるかは、下地さんが続けて書いている文章と合わせて読めば、はっきりします。

私は(以前から私のことを知っている人は知っていることだけれども)、中国韓国日本その他の歴史性はあり、その人それぞれのルーツや立場性はあり、そうしたことを考慮に入れて物は考えるべきだと思うけれど、たとえば「韓国のナショナリズム」は「日本のナショナリズムと同列にではなくとも」批判されるべきだと思うし、「今すぐ」するべきだと思う。「日本人だって」するべきだと思う。「後回し」にするような話じゃない。

外国の「ナショナリズム」に対する批判は、「今すぐ」するべきで、「後回し」にすべきではない、という下地さんの主張。わかるようでわからない物言いですが、それは、「今すぐ」「後回し」という言葉の意味が曖昧で、融通無碍に使うことができるからです。

例えば、安倍首相の靖国参拝について批判する人は、「中国政府の帝国主義性」についても「今すぐ」批判しなければならないのでしょうか?「今すぐ」批判しない人は、「中国政府の帝国主義性について消極的」だ、というレッテルが貼られてしまうのでしょうか?同様に、日本右翼の従軍慰安婦に関する言説を批判する人は、ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為をめぐる韓国内の言説のあり方の問題についても「後回し」にすべきではない、ということでしょうか?

確かに下地さんは、「日本のナショナリズムと同列にではなくとも」という留保をつけている。しかしこの留保の表現も曖昧で、どのようにでも使える便利な言葉のようです。

そして後で見るように、下地さんは私が「中国政府の帝国主義性」を「今すぐ」批判しない(ように見える)ことを非難するのです。すると当然ながら論理上、ご自身が「台湾ナショナリズム」を「今すぐ」批判しないことに対しても非難が返ってくるはずですが、しかしどういうわけかご自身はそのことについて頬かむりしているようです。それも、この「今すぐ」「後回し」という言葉の曖昧さによって、巧みにそうした非難を逃れることができるからでしょう。

こうした下地さんの論法の危険性は二つあります。一つは、日本の過去の侵略行為の犯罪性を薄めようとする人々が重宝する論法だということ。もう一つは、「どっちのナショナリズムも悪い」式の水掛け論となりがちで、批判の切れ味が鈍ることです。

下地さんとは違い、私は次のように考えています。いまの国家制度のもとで政治的権利(とくに国政の)を行使できる「国民」は、それ以外の人よりも、自国政府の過去・現在の政策がもたらす悪業に対してより大きな責任を負わねばならない、と。

外国(中国)に暮らしている私は、この問題により敏感です。中国公民(国民のこと)でない私は、中国政府に対する権利や責任の度合いも、中国公民とはおのずから異なり、中国の政治に参加する権利は全くありません。したがって、中国の政治問題や社会問題について論評・批判する姿勢は、中国公民の人たちと異ならざるをえません。

私が東アジアの問題にかんして日本国家の政策に由来する悪業を特に強く批判するのは、「日本国民」として重い責任を負っているからです。例えば、日本に暮らしている中国人労働者の人権侵害に対して、さまざまな制約によって声を出せない当事者に代わって強く批判する責任が、「日本国民」にはあると思います。「どっちのナショナリズムも悪い」式の水掛け論を脱する道は、それぞれのネーションに属する人がこうした自分の責任を自覚することにある、と私は考えています(なおネーションの「はざま」にある人びとについては、今は措きます)。

そして実際、多くの人びとが日本国民としての深い責任の自覚からさまざまな行動を起こしてきました。日本国家の過去の侵略戦争が中国などアジア各地にもたらした惨禍の責任を、厳しく追及する日本市民も少なくありません。例えばそうした市民に対して、「中国政府の帝国主義性について消極的になる日本の左派ないしリベラル」などと非難することは、いったい何の意味があるのでしょうか?もちろん下地さんはこんな非難はしない方だと、私は信じておりますが。

下地さんがご自身の議論の「大前提」として述べていることについての私の意見は、以上のとおりです。次に稿を改めて、私の二つの論考に対する下地さんの批判の趣旨を、逐一検討してゆきます。
(続く)


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続・台湾の「サービス貿易協定」反対運動 [中国・労働問題]

再び台湾の「サービス貿易協定」反対運動についての雑感。反対運動の学生たちは、中国資本が大挙台湾に上陸してくることの弊害を盛んに訴えているようだ。

だが現時点での、グローバル資本主義における労働問題としてみた場合、中国大陸に進出している台湾資本の工場における苦汗労働のほうが、はるかに深刻で現実的な問題だ。iPhoneやiPadなど電子機器端末の受託生産で有名な台湾企業「富士康」(Foxconn)が中国各地で展開している工場は、とりわけ「血汗工場」として悪名高い。

同社の劣悪な労働条件に抗議する労働者たちによって、数年前から中国の各地で争議が多発している。2012年10月には河南省鄭州の工場で4000人規模のストが起き、同じ頃山西省太原や広東省深圳では暴動もあった。昨年1月には北京や江西省豊城でストが勃発した。同社工場では労働者の自殺も有名で、昨年4月には鄭州の工場で富士康の従業員二人が、相次いで飛び降り自殺した。その背景として、職場での私語厳禁、違反者への重い罰則など、労働者に対する厳しい締め付けがあることが指摘されている。
http://hunan.voc.com.cn/article/201301/201301250912457214001.html?bsh_bid=186559524
http://news.qq.com/a/20130501/000655.htm

むろんこれらは氷山の一角でしかないだろう。もし中国資本の脅威を口々に訴えている台湾の学生たちが、大陸中国に進出した台湾資本の工場における苦汗労働の問題には口を閉ざすのであれば、それはエゴイスティックな「嫌中」運動と言われても仕方がない。少なくとも、大陸中国10億の民衆は、そのような運動に何の共感も覚えないだろう。

グローバル資本主義に抵抗するためには、世界の民衆が連帯せねばならない。排外的ナショナリズムはそうした連帯を不可能にし、結局運動を敗北へと導くことになる。

日本にも、「実習生」「研修生」といった名目で中国人労働者をこき使う苦汗工場がある。中国に進出した日本企業の労働問題もしばしば起きている。このような、グローバル資本主義がもたらすさまざまな問題についての認識を、各国の民衆が国境を越えて共有し合うことから始めなければならないと思う。

台湾の「サービス貿易協定」反対運動 [東アジア・現代]

台湾のサービス貿易協定反対運動の続報。立法院(国会)を占拠中の学生はさらに昨夜、行政院に突入しようとし警官隊と衝突、多数の負傷者が出ている模様。丸腰の学生に対する馬英九政権の暴力的弾圧は、厳しく批判されねばならない。

今回の騒動の論点は、大きく二つあるように思う。一つは、中国との「サービス貿易協定」の内容自体の可否の問題。もう一つは、協定の調印・承認をめぐる民主的手続きが正当なものであったかどうかの問題。

情報が錯綜しているので速断は避けたいが、少なくとも後者の民主的手続きの問題において、馬政権はあまりに拙速に事を運ぼうとしたきらいがある。さもなければ問題がここまでこじれるはずがない。この点では、立法院を占拠している学生のほうに一定の理があるだろうし、馬政権が立法院占拠中の学生を実力で排除することに慎重なのもそのためだろう。

ただし、サービス貿易協定自体の内容自体については、台湾内でも理解に相当の差があるようだ。この協定が成立した場合、台湾の社会構造上、どの階層にどのような利益・不利益があるのかについては、はっきりと断定することができない。

現時点では、協定反対運動の主力は学生(および大学教員の一部)のようだ。学生たちは労働団体にストライキを呼びかけているものの、組合側の反応は鈍い。香港紙の報道では、全国労工連合総工会および中華民国全国連合総工会の責任者は、ストに参加しないことを明言した。台北市の産業総工会の理事長は前向きの立場だが、実施は不透明だ。高雄市の産業総工会の理事長はストは困難だとし、新北市の総工会理事長はストに反対している。
http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/politics/20140324/365991/

そもそも、中国の市場経済をグローバル資本主義の中にどのように位置づけるかによって、台・中のサービス貿易協定の意味合いは変わってくる。そこを明確にしない限り、協定反対運動の本質もまたはっきりしない。

報道を見る印象では、協定反対運動の中に「反中」の色彩が濃いことも否定できない。参加者の中には明らかな排外主義者もいる。日本のネット右翼たちがこの運動を応援しているのもそのためで、「敵(中国)の敵は味方」といった感覚だろう。仮に、協定の相手がアメリカ(および中国以外の主要資本主義国)であったら、反対運動はここまで盛り上がっただろうか?

台湾の将来を台湾の民衆自身が決めるべきなのは当然だ。大陸中国の政権が武力侵攻の選択肢を否定していない以上、台湾の人びとがそれを不安に感じるのも当然だろう。台湾の大陸に対する経済的優位性も年々縮小している。その中で、台湾と中国の間の経済関係は拡大しており、人・資本・商品が活発に行き来し、台湾の多くの人びともそこから利益を得ている。台湾民衆の大陸に対する感情は人それぞれで、複雑だ。

台湾でのサービス貿易協定反対運動については、中国のメディアも報道しているが、政治的に敏感な問題であるため、かなり控えめだ。なお中国のネット世論ではこの運動を反大陸の政治的陰謀として白眼視する向きも強い。

丸腰・非暴力の学生に対する馬政権の暴力的対応については強く抗議する。ただし、中・台のサービス貿易協定自体をめぐる問題について、早急な決めつけは避けたい。ましてや、日本人が自分の(潜在的な)「反中」意識を台湾の大衆運動に投影している有様には、違和感を禁じ得ない。

グローバル資本主義への抵抗運動は、生存権=人権を根拠としなければならない。そこに排外主義を交えることは、結局運動の自殺行為となるだろう。中国大陸10億の民衆といかに連帯するかが問われている。

中国人強制連行問題と日本メディア [東アジア・近代史]

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(足尾銅山に強制連行された中国人労働者を慰霊する「中国人殉難烈士慰霊塔」。2006年6月訪問)

戦時中、おおぜいの中国人労働者が日本に強制連行されて鉱山等で奴隷的労役を強いられ、少なからぬ人々が死に追いやられた問題をめぐり、元労働者や遺族が日本企業に損害賠償を求めて中国で提訴した。北京市の裁判所は18日、はじめてこれを受理した。

このニュースをめぐる日本メディアの報道は、戦争被害の賠償をめぐり、中国の政権が民間からの提訴を抑えていた従来の方針を変えたことに焦点を当てて、現政権指導部の対日姿勢をうんぬんすることに終始している。それも確かに分析されるべき問題だろう。しかし、そのことだけに焦点を当てるのは、あまりに本質を逸した、歪んだ報道姿勢ではないか?

戦時中の中国人労働者の強制連行問題は、朝鮮人強制連行や従軍慰安婦問題と比べて、日本の一般の人びとにあまり知られていない。中国の民衆に対し戦時中の日本政府や企業が犯した罪業について、せめてその概要だけでも世間に知らせるのが、メディア本来の役割ではないのか?上のニュースの本質は、中国の現政権の対日政策変化うんぬんにあるのではない。強制連行という罪業に対し日本政府や日本企業がいまだ自分の責任(謝罪や賠償)を十分に果たしていない、という事実にあるのだ。

中国人強制連行問題で、比較的知られているのは「花岡事件」だろう。秋田県の花岡鉱山でダム工事や水路変更工事を請け負っていた鹿島組は、労働力不足を補うため日本政府が決定した中国人労働者の移入方針に基づき、中国から強制連行された中国人労働者986人を使役した。奴隷的重労働・食糧難・虐待などによりバタバタと仲間が死んでいく状況に耐えかねた労働者は、1945年6月30日に蜂起したものの、憲兵・警察・在郷軍人らにより徹底的に鎮圧された。故国を再び見ることなく異国に果てた同鉱山の中国人労働者は418名にのぼる。この事件は、日本に強制連行された約四万人の中国人労働者を見舞った悲惨な運命のなかの、氷山の一角にすぎない。

花岡事件の生存者や遺族が責任追及に動き出したのは、ようやく80年代になってからだ。89年、生存者と遺族は謝罪・記念館建設・補償を鹿島建設に求めたが、交渉は決裂、95年東京地裁に提訴、97年東京高裁に控訴した。高裁は和解を勧告し、2000年11月、鹿島が五億円を「平和友好基金」として拠出する等の内容で和解が成立した。この裁判をきっかけに、強制連行問題をめぐり日本企業の責任を追及する中国人被害者や遺族の提訴が続いた。

これらの裁判で大きな壁になったのは、72年の日中共同声明の第5項「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という文言だ。ここで確かに中国国家の賠償請求権は放棄されている。だが、個人の賠償権までもが放棄されたわけではない。

花岡事件の2000年の和解で、被害者と遺族は鹿島に対する請求権を放棄する、という一文が入れられた。この和解がはらむ問題はともかくとして、仮に日中共同声明で個人の賠償請求権が放棄されているのならば、このような文言はあり得ないだろう。すでに放棄されているものを再び放棄することはできないからだ。

広島県安野発電所の建設工事に中国人労働者を使役(強制連行された360名中26名が死亡)した西松組(現・西松建設)を、生存者と遺族が提訴した裁判で、広島高裁は2004年、個人の賠償請求権を認めて、原告一人当たり550万円を支払うことを西松建設に命じた。だが最高裁は2007年、高裁判決を破棄し、被害者の損害賠償請求権は日中共同声明で放棄されているという判断を下した。その後2009年、西松建設は労働者への謝罪、記念碑の建設、および2億5000万円の和解金を支払うことを約束し、和解が成立した。

なお今回、強制連行の被害者と遺族が中国の裁判所に提訴した背景には、2007年の最高裁判決により日本での裁判の道が閉ざされたことにある。

営利企業が賠償を支払うことに消極的なのは、ある意味当然だ。企業にそれを果たさせるためには、日本政府が戦争責任をめぐる謝罪と補償のための枠組みを作らねばならないし、政府にはその責任がある。しかし日本政府はそれをしようとしなかったために、戦後七十年近く立った今でも、強制連行の被害者や遺族は放置されたままだ。

こうした背景を知ってか知らずか、強制連行訴訟をめぐって次のように書いた20日付の『朝日新聞』社説に、私は強い怒りを覚える。

〔強制連行訴訟 日中の遠い「戦後」解決〕『朝日新聞』社説、3/20
http://www.asahi.com/articles/DA3S11038814.html?ref=editorial_backnumber
--------------------------------(引用はじめ)
(前略)
だが、両国の政権が背を向け合ったまま、問題解決でなく、悪化を招く言動を繰り返すことは、いい加減にやめてもらいたい。

 戦争の償いをめぐっては、52年の日華平和条約締結時に台湾の蒋介石政権が権利を放棄し、72年の日中共同声明で改めて中国政府が放棄を明確にした。そこには「戦争の指導者と違い、日本国民も戦争の被害者」だから、賠償を求めないとする中国側の理由づけがあった。一方で80年代以降、日本は中国に多額の支援を出した。これが実質的に賠償の代わりである点には暗黙の了解があった。

 その流れを考えれば、戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある。

 だが、現実的に、その主張一辺倒で問題の解決に向かうだろうか。今回のような訴訟が広がれば、日本企業の対中投資を萎縮させかねない。それは日本のみならず中国にとっても不利益となり、両国経済を傷つける。
(後略)
------------------------------------(引用おわり)

「戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある」などと言い放つ『朝日』社説の態度は、政府の都合を代弁する広報というにふさわしい。そこにはジャーナリズムの精神など、もはや消えている。

強制連行問題は、『朝日』がいうような「対中投資の委縮」といったビジネス上の問題などではありえない。傷つけられた正義とその回復をめぐる人道上の問題だ。従軍慰安婦問題と同様、被害者の高齢化が進んでいる。残された時間は少ない。

これらの問題を放置し続けることは、日本国家と国民に取り返しのつかない禍根を残すことになるだろう。過去の負債に対し、一刻も早く真剣に取り組まねばならない。それは、東アジアの平和的秩序を隣人たちとともに築いてゆくために、われわれ日本国民に課された最低限の義務だろう。

早春の綿菓子売り [中国東北・雑記]

長春の街角の綿菓子売り。氷点下を上回る日が続き、道端の根雪もだいぶ融けてきました。中国東北にも春がすぐそこまで来ています。
綿菓子売り.jpg

沖縄県南城市「航空攻撃情報」の誤放送とJアラート [沖縄・琉球]

---------------------------------------------(引用はじめ)
「沖縄県南城市は14日午後4時14分、市内の公民館に設置したスピーカーを通じ「当地域に航空攻撃の可能性があります」と誤って放送した。全国瞬時警報システム(Jアラート)機器の更新作業中の誤作動だという。市民からは「本当の情報か」などと、問い合わせが20件以上相次いだ。
市は「航空攻撃情報。当地域に航空攻撃の可能性があります。屋内に避難し、テレビ、ラジオをつけてください」と2回放送。午後4時半に「テスト放送の誤作動です。大変申し訳ありませんでした」と訂正とおわびを4回放送した。」
---------------------------------------------(引用終わり)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140314/crm14031421080019-n1.htm

なお、昨年末には和歌山県橋本市で「ゲリラ攻撃情報。当地域にゲリラ攻撃の可能性があります」という誤放送が防災無線で流れたそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121320060019-n1.htm

ずいぶん物騒な誤放送だが、これらはいずれも、全国瞬時警報システム(Jアラート)の定型文らしい。Jアラートは地震や大津波などの緊急自然災害情報も流すが、もともとは小泉内閣のときに制定された武力攻撃事態対処関連3法や国民保護法など有事法制に基づく「国民保護」を運用面で支えるものとして、2004年度から整備が進められている。
(総務省消防庁 国民保護室・国民保護運用室http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/fieldList2_1.html

今回の「航空攻撃情報」や昨年末の「ゲリラ攻撃情報」は誤放送として流されたものだが、しかしやがては、防災訓練とともに「防空訓練」「対ゲリラ攻撃訓練」が日本各地で常態化する日が来るかもしれない。政権が「国民保護」を大げさに言い立て、人びとの頭に危機意識を植え付けようとするとき、戦争への動員準備はすでに始まっている。誤放送が本放送にならないよう、極右政権の動向を注意深く監視せねばならない。

河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明 [東アジア・近代史]

河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明・事務局からの要請文を下に転載します。私も署名しました。

署名はこちらから:
河野談話の維持・発展を求めます(河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明・事務局)

--------------------------------------------------
全ての研究者の皆様 

ご存知のように、この間、安倍政権は「維新の会」やさまざまなマスメディアとも提携しながら、「河野談話」の見直しを急速に進めています。

私たちはこのような動きを憂慮し、河野談話は維持し発展させてゆくべきだと考えます。さまざまな立場から、河野談話を維持すべきであるという点で一致する研究者が、その考えを表明しようと、共同声明を企画しました。

賛同頂ける方は、ご署名をお願い致します。署名にあたっては、「コメント欄」に、所属、身分、専門分野をお書きいただき(必須)、また任意でメッセージもいただければ幸いです。

また周りの同僚や友人の方、所属する学会の関係者の方などに、メール、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで署名の呼びかけを広めていただけると幸いです。

3月13日に第一次集約、3月末に第二次集約をおこなう予定です。

【声明文】 河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明

この間、いわゆる日本軍「慰安婦」問題に関する1993年の「河野談話」を見直そうという動きが起きています。「河野談話」は「慰安婦」問題は日本軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであることを認め、同じ過ちをけっして繰り返さないという日本政府の決意を示したものであり、これまで20年余にわたって継承されてきました。

「河野談話」が出されてからも、学者や市民の努力によって数多くの新たな資料が発見され、多数の被害者からの聞き取りも行われて、研究が深められてきました。 「慰安婦」の募集には強制的なものがあったこと、慰安所で女性は逃げ出すことができない状態で繰り返し性行為を強要されていたケースが多いこと、日本軍による多様な形態の性暴力被害がアジア太平洋の各地で広範に発生していること、当時の日本軍や政府はこれらを真剣に取り締まらなかったこと、など多くの女性への深刻な人権侵害があったことが明らかになっています。こうした日本軍による性暴力被害が、日本の裁判所によって事実認定されているものも少なくありま せん。

被害者の女性は、戦争を生き延びたとしても、戦後も心身の傷と社会的偏見の中で、大変過酷な人生を歩まざるを得なかった方がほとんどです。

「河野談話」で示された精神を具現化し、高齢となっている被害女性の名誉と尊厳を回復することは、韓国や中国はもとより、普遍的な人権の保障を共通の価値とする欧米やアジア等の諸国との友好的な関係を維持発展させるためにも必須だといえます。

私たちは、「河野談話」とその後の研究の中で明らかになった成果を尊重し、日本政府が「河野談話」を今後も継承し、日本の政府と社会はその精神をさらに発展させていくべきであると考え、ここに声明を発表します。

2014年3月8日

     呼びかけ人(アイウエオ順)
     阿部浩己(神奈川大学教授・国際法)
     荒井信一(茨城大学名誉教授・歴史学)
     伊藤公雄(京都大学教授・社会学)
     石田米子(岡山大学名誉教授・歴史学)
     上野千鶴子(立命館大学特別招聘教授・社会学)
     内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授・日本-アジア関係論)
     岡野八代(同志社大学教員・西洋政治思想史)
     小浜正子(日本大学教授・歴史学)
     小森陽一(東京大学教授・日本近代文学)
     坂本義和(東京大学名誉教授・国際政治、平和研究)
     高橋哲哉(東京大学教授・哲学)
     中野敏男(東京外国語大学教授・社会理論・社会思想)
     林博史(関東学院大学教授・平和学)
     吉見義明(中央大学・日本現代史)   
     和田春樹(東京大学名誉教授・歴史学)

     事務局:林博史・小浜正子
     連絡先:kounodanwaiji@outlook.com

日本现代政治与市民运动(日本の現代政治と市民運動)――中国・東北師範大学での講演要旨 [日中関係]

3月7日の午前、私の勤務先の中国・東北師範大学で開かれた「東アジア歴史学団体学術交流会」の席上、「日本の現代政治と市民運動」と題して30分ほどの小さな講演をしました。

中国のメディアでは安倍政権の右翼的な内政・外交政策の危険性についてよく報道されますが、政治の右傾化に対して多くの人びとが必死に抵抗している事実については、それほど知られていません。そこで今回の講演では、安倍政権が見かけの盤石さとはちがって実は隘路に迷い込みつつあることを説明し、安倍政権を包囲する民衆の共同戦線を築くことができるかどうかに日本の未来がかかっていること、それは東アジアの平和にとって日本国民に課せられた義務であることを断言しました。そのうえで、アジア各国の好戦的勢力に対して、各国の民衆が国境を越えて連帯せねばならないことを訴えました。

以下は講演要旨:

1、序言(はじめに)

现在,中国同日本的政治关系处于二战后的最坏状态。2012年5月以后甚至未能再举行日中首脑会谈。随着政治关系的恶化,日中经济关系也迅速降温。2013年日中贸易与前年相比减少了百分之6.5。日本政府不仅恶化了同中国,而且也恶化了同韩国的关系。今年距日清战争已有120年,目前东亚的国际秩序却仍然非常不安定。其责任的一端,显然在于日本安倍政权的右倾化。日本政治现在处于什么样的状态?它有变化的可能么?如果可能的话,实现这种变化的力量又在日本社会的什么地方?就这些问题,我谈一谈我的看法。

(現在、中国と日本の政治上の関係は第二次大戦後最悪の状態だ。2012年5月を最後に日中首脳の会談すら行うことができないままである。政治的関係の悪化とともに、日中間の経済上の関係も冷え込んでいる。2013年の日中貿易は前年比6.5%減少した。日本政府は中国だけでなく韓国との関係も悪化させている。今年は日清戦争から120年目の節目の年だが、東アジアの国際秩序は今、非常に不安定化している。その責任の一端が、日本の安倍晋三政権の右傾化にあることは明らかだ。日本政治は現在どのような状態なのか。その変化の可能性はあるのか。可能性があるとすればそれをもたらす力は日本社会のどこにあるのか。こうした問題について、私の考えを述べる。)

2、日本政治的现在(日本政治の現在)

安倍政权在2012年12月根据众议院议员总选举成立。自民党在这次选举中,凭借获得众议院总议席数480席中的294席的压倒性胜利,得到了绝对安定多数。然而自民党在比例代表区的得票率不过百分之27.6。以小选举区制为中心的日本众议院议员选举制度,不能够忠实的将国民的舆论反映在各政党的议席分配上。民众对安倍政权的支持并非表面看上去那样坚固。

(安倍政権は2012年12月の衆議院議員総選挙によって成立した。自民党はこの選挙で、衆議院の総議席数480のうち294議席を獲得する圧勝で、絶対安定多数を得た。しかし自民党の比例代表区での得票率は27.6%に過ぎない。小選挙区制が中心の日本の衆議院議員選挙制度では、国民の世論がそのまま各政党の議席配分に反映されるわけではない。安倍政権に対する民衆の支持は外見ほど強固なものではない。)

自民党曾经的支持基本盘是农民和城市个体户,但这些阶层1990年代以来因为产业结构的变化而衰落。自民党尽管从财界、大企业获得了强有力的支援,但仅仅如此还不能赢得选举。于是安倍自民党积极向以下两个阶层寻求支持。其一是对政治没有关心的浮动的大众,其二是右翼势力。

(自民党のかつての支持基盤は、農村と都市自営業者にあったが、これらの階層は1990年代以降の産業構造の変化によって衰弱した。自民党は、財界・大企業から強力な支援を得ているものの、それだけでは選挙に勝てない。そこで安倍自民党は、次の二つの階層に向けて強く働きかけている。その第一は政治に無関心な浮動的大衆であり、第二は右翼勢力だ。)

获得浮动的大众的支持的手段有两个。一是抬高其对于由经济增长所带来的收入增加的期待。这也就是被称为“安倍经济学”的经济政策。政府极力主张,只要安倍经济学能够带来景气回复,民众的生活水平就会提高。然而,“安倍经济学”的本质是对财界、大企业的优待保护。事实上,虽然一年来大企业的利润增大了,但民众并没有从中得到好处。根据1月25、26日共同社的舆论调查,实际感受到安倍经济学带来的景气好转的人占百分之24.5,没有实际感受到的人占百分之73,认为能够实现工资上涨的人占百分之27.8,认为不能实现的占百分之66.5。今年4月消费税将上涨百分之8,由此景气好转将进一步放缓,对“安倍经济学”的期待恐怕将会幻灭。
 
(第一の浮動的大衆の支持を獲得する手段は二つある。一つは、経済成長によって所得増の期待を高めることである。「アベノミクス」と呼ばれる経済政策がそれだ。「アベノミクス」によって景気が回復すれば民衆の生活も向上するはずだと、政府は力説する。しかし、「アベノミクス」の本質は財界・大企業を優遇し保護することにある。事実、この一年で大企業の利益は増大したが、その恩恵は民衆に分配されていない。1月25・26日の共同通信社の世論調査によれば、「アベノミクス」で景気が良くなったと実感している人は24.5%、実感していない人は73.0%であり、賃金引上げが実現すると考える人は27.8%、実現しないと考える人は66.5%だった。今年4月に消費税率が8%に引き上げられるが、それによって景気回復はさらに減速し、「アベノミクス」に対する期待は幻滅へと変わるだろう。)

获得浮动的大众支持的另一手段,是利用媒体的宣传。安倍政权将首相的友人送进公共广播NHK的干部中,宣传“安倍经济学”等政策的成功。此外,通过狂热的报道奥林匹克等体育赛事,企图将人们的注意力从政治上转移开,以平息他们对生活的不满。进而煽动中国的军事威胁,将人们对内政的不满向外转化。

(浮動的大衆の支持を獲得するもう一つの手段は、メディアを利用した宣伝だ。安倍政権は、公共放送のNHKの幹部に首相の友人たちを送り込み、「アベノミクス」などの政策が成功していると宣伝している。また、オリンピックなどスポーツを熱狂的に報道することで、政治に対する人びとの関心を逸らし、生活の不満を鎮静することに努めている。さらに、中国の軍事的な脅威を煽ることで、内政の不満を外に転化している。)

热烈支持安倍政权的是右翼势力。安倍政权为了博得他们的欢心,施行了许多基于右翼意识形态的政策。如将爱国心强加给学生的教育政策,以军事大国化为目标的国防政策等。在历史认识上,安倍也反复根据右翼意识形态发言和行动。他在去年年底不顾众多反对意见参拜靖国神社,强化与中国对决的姿态,也是为了讨好自己的支持基本盘右翼势力。

(安倍政権を熱烈に支えているのは右翼勢力だ。安倍政権は彼らの歓心を得るために、右翼イデオロギーに基づくさまざまな政策を行っている。愛国心を強制する教育政策や、軍事大国化を目指す防衛政策などである。歴史認識においても、安倍は右翼イデオロギーに基づく発言と行動を繰り返している。彼が昨年末に多くの反対を押し切って靖国神社を参拝したり、中国と対決する姿勢を強めたりするのは、自分の支持基盤である右翼勢力を喜ばせるためである。)

日本的右翼意识形态,根据赞美近代日本的侵略战争和专制天皇制的历史修正主义,企图否定战后的国际、国内秩序。基于这样的思想的安倍政权的极右外交政策,使东亚的国际秩序陷于不安定,是非常危险的。它理所当然不仅受到亚洲各国,而且也受到美国的批评。这样,安倍政权面临着矛盾。也就是说,安倍政权在经济上、军事上采取对美依附政策的同时,又不得不顾虑批判东京审判,对以美国为中心的战后体制抱有敌意的右翼势力。然而,同时讨好美国和右翼双方是困难的。美国对安倍首相参拜靖国神社表示“失望”,暴露了安倍政权所面临的矛盾。而且,安倍政权没有办法解决这一矛盾。

(日本の右翼イデオロギーは、近代日本の侵略戦争や支配体制を肯定・賛美する歴史修正主義に基づいて、戦後の国際的・国内的秩序を否定しようとする。こうした思想に基づく安倍政権の極右的な外交政策は、東アジアの国際関係を不安定にする、非常に危険なものだ。それが、アジア各国だけでなくアメリカからも非難されるのは当然だ。ここで安倍政権は矛盾に直面する。すなわち、安倍政権は経済的・軍事的にアメリカへの従属政策を採る一方、東京裁判を批判し戦後の国際・国内システムに敵意を持つ右翼勢力にも配慮せねばならない。だが、アメリカと右翼と両方を同時に喜ばせることは困難だ。安倍首相の靖国参拝に対してアメリカが表明した「失望」に、安倍政権の直面する矛盾が現れている。そして安倍政権はこの矛盾を解決する手段を持っていない。)

安倍政权的右翼思想,也脱离了战后日本保守势力的常识。对于安倍政权与中国和韩国为敌、让美国不快的极右外交政策,和蹂躏立宪政治的法西斯强权政策,不用说与自民党组成联合政权的公明党,从重视与中国关系的财界和自民党内部也爆发了不满的声音。

(安倍政権の右翼思想は、戦後日本の保守勢力の常識からも逸脱するものである。中国や韓国と敵対しアメリカをも不快にさせる安倍政権の極右的外交政策や、立憲政治を蹂躙するファシズム的な強権政策に対しては、連立政権を組む公明党からはもちろん、中国との友好を重視する財界や自民党内部からも不満の声が出ている。)

3、 改变日本现代政治的市民运动的可能性(日本の現代政治を変える市民運動の可能性)

安倍政权以国会绝对多数为背景,看起来十分安定,但实际上基础脆弱。虽然安倍政权的支持率现在超过百分之50,但这是驱使媒体鼓动对“安倍经济学”的期待,才勉强维系过半数支持的状态。如果经济泡沫破灭,安倍政权恐怕将立刻陷入危机。然而这个时候,安倍政权可能将内政的失败转化为与外国关系的紧张,这是非常危险的。于是众多日本市民正日夜展开着尖锐批判安倍政权,拥护和平与民主主义的运动。

(安倍政権は、国会の絶対多数を背景に安定しているように見えるが、その基盤は実は脆弱である。安倍政権の支持率は現在50%超だが、メディアを駆使して「アベノミクス」への期待を煽ることで、かろうじて過半数の支持を繋ぎ止めている状態だ。経済のバブルが破裂すれば、安倍政権は直ちに危機に陥るだろう。だがそのとき、安倍政権は内政の失敗を外国との緊張に転化するかもしれず、非常に危険だ。ここにおいて、日本の多くの市民は、安倍政権を鋭く批判し、平和と民主主義を擁護する運動を日夜行っている。)

日本的民主、和平运动,在日本共产党和社会民主党以外,还受到众多“无党派”市民的支持,得到许多工会组织的参与。现在日本最大的市民运动,是“反核电”运动。在财界的支持之下企图重新启动核电站的安倍政权,受到了众多市民的反对。根据1月的舆论调查,百分之60以上的国民反对重新启动核电站。去年10月在东京市中心进行的反核电示威,有两万人参加。现在,反核电示威仍每周五都在首相官邸前举行。

(日本の民主・平和運動は、日本共産党や社会民主党のほか、非常に多数の「無党派」市民によって支えられ、多くの労働組合の参加を得ている。現在の日本で最も大きな市民運動は、「反原発」運動である。財界の支持によって原発を再稼働させようとする安倍政権に対し、多くの市民が反対している。1月の世論調査によれば、国民の60%以上が原発再稼働に反対だ。昨年10月に東京の中心部で行われた反原発デモには二万人が参加した。反原発デモは現在も毎週金曜日に首相官邸前で行われている。)

对安倍政权所推进的强权政策,市民、劳动者的抵抗也日益强烈。针对去年12月安倍政权强行成立的《秘密保护法》,在东京、大阪、名古屋、京都等全国十几个大都市都举行了大规模的反对集会。秘密保护法废止运动现在也在全国各地不时继续着。针对日美两国政府企图加强冲绳美军基地的政策,冲绳和日本本土的市民联合起来,展开反对运动,阻止着基地的建设。拥护和平宪法的活动也在日本全国广泛展开。自民党占据国会的绝对多数仍未能修改和平宪法,是因为在日本和平、民主运动仍然健在。

(安倍政権が進める強権政策に対しても、市民・労働者の抵抗が強まっている。昨年12月に安倍政権が強行成立させた「秘密保護法」に対して、東京・大阪・名古屋・京都など全国の十数の大都市で大規模な反対集会が行われた。秘密保護法廃止運動は現在も全国で定期的に続けられている。沖縄のアメリカ軍基地を増強しようとする日米両政府の政策に対しても、沖縄と日本本土の市民が連帯して反対運動を展開し、基地建設を阻止している。平和憲法を擁護する運動も日本全国に広がっている。自民党が未だに平和憲法を改正できないのは、強力な平和・民主運動が日本に健在だからだ。)

这样拥护和平与民主主义的运动,有众多无党派阶层参加。但另一方面,无党派阶层中也有一部分受到极右宣传的影响。特别是在年轻的一代中,有加入左派、民主势力一方的,也有加入极右势力一方的,出现了两极化的倾向。

(こうした平和と民主主義を擁護する運動には、多くの無党派層が参加している。だが他方で、無党派層の一部には極右の宣伝に流されてゆく者もいる。特に若い世代は、左派・民主勢力の側に行く者と、極右の側に行く者と、二極化する傾向がある。)
如前所述,对安倍右翼政权,从以前的保守派中也出现了批判。日本的和平、民主势力必须同这些有良知的保守派联合起来,构筑包围安倍政权的统一战线,从而压倒右翼势力。从舆论调查的结果来看,这是完全可能的。

(前にも言ったように、安倍右翼政権に対しては、旧来の保守派の中からも批判が現れている。日本の平和・民主勢力は、こうした良識的な保守層とも連帯しながら、安倍政権を包囲する共同戦線を築き、右翼勢力を圧倒せねばならない。世論調査の結果を見れば、その可能性は十分にある。)

在任何国家都有企图进行战争的势力。但同样在任何国家,绝大多数的民众都憎恶战争追求和平。对于东亚的持续发展而言,和平是最低限度的必要条件。追求和平的东亚各国人民,必将有一天能够跨越国界联合起来,压倒好战势力,我对此深信不疑。

(どこの国にも戦争をしたがる勢力がある。だがどこの国でも、圧倒的多数の民衆は戦争を憎み平和を求めている。東アジアの持続的発展にとって、平和は最低限の必要条件だ。平和を求める各国の民衆は、いつの日か必ず国境を越えて連帯し、好戦的勢力を圧倒してゆくに違いないと、私は信じている。)

タグ:日中関係

八重山教科書問題と石垣市長選――日本政府の後ろ暗い過去 [沖縄・琉球]

歴史修正主義の濃厚な「新しい教科書をつくる会」系の育鵬社版の公民教科書について、採用の押しつけを拒否している沖縄県竹富町。2月28日に安倍政権が閣議決定した「教科書無償措置法」改正案は、明らかにこの竹富町を狙い撃ちにしたものだ。

文科省はすでに昨年10月、竹富町に対してスラップ訴訟まがいの恫喝を構えながら是正要求を出すことを決めており、今月上旬にも育鵬社版教科書の採用を強要する方針を固めたという報道がつい先月流れたばかりだ。そして今回の閣議決定。

人口わずか4千人足らずの竹富町の教育行政に対して、なぜ政府はかくも異常な執念を燃やして政治介入を行おうとするのか?竹富町の位置する八重山が、尖閣諸島と隣接し(行政上は八重山の石垣市に属する)、日米中のパワーゲームにおける要の場所にあるというその地政学的位置が、この地域の教育に対する安倍右翼政権の異常な関心と関係しているのは確かだろう。さらに政権はこの八重山教科書問題を、教育の国家統制を一気に進めるための梃子として利用しているのかもしれない。

ところで、日本政府は「琉球処分」直後の1880年、宮古・八重山諸島を清国に引き渡す代わりに内地通商権などを得る「琉球分割条約」を自分から清国に持ちかけてこれを締結し、調印寸前までいった過去がある(条約の締結をいったん認めた清国が土壇場で調印を渋ったため、事なきを得た)。いわゆる「国益」と引き換えに日本政府が宮古・八重山を外国に切り売りしようとした歴史的事実は、永久に消えることがない。

政府は今、この後ろめたい過去を隠しながら、中国との軍事的最前線だと騒ぎ立て、八重山住民にナショナリズムを注入しようしている。だがいざ事が起これば、政府が八重山住民をどこまで本気で守るかは疑問だ。沖縄、とりわけ八重山が、日本の「国益」のために再び捨て石にされてもおかしくない。

今日3月2日は石垣市長選の投票日だ。昨年12月決定の防衛計画の大綱で南西諸島の防衛体制強化を打ち出した政府は、陸上自衛隊の新たな警備部隊を石垣市に配備することを検討している。これを報道した『琉球新報』に対し、防衛省が露骨な圧力を加えたことが明らかになった。石垣市に100億円基金の利益誘導を行った自民党の石破幹事長もまた、同紙を公然と批判している。保守系候補を当選させるためになりふり構わぬ政府・自民党のやり方は、中国との軍事的緊張を政権浮揚の梃子にしようと企む彼らの危険な手口と結びついているのだろう。

「アベノミクス」やらオリンピックやらのどさくさに紛れて、この国を乗っ取っている右翼政治家たち。彼らの政権が一日永らえるごとに、この国は一歩破滅へと近づく。そのとき真っ先に犠牲にされるのは沖縄、とりわけ八重山だ。

「教科書は採択地区内で統一 無償措置法改定を閣議決定」『琉球新報』2/28
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-220405-storytopic-238.html

石破茂「石垣市長選など」HUFFPOST JAPAN, 3/1
http://www.huffingtonpost.jp/shigeru-ishiba/ishigaki-island_b_4878217.html

タグ:八重山 沖縄

長春だより

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