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三菱マテリアルとアジア人強制連行――中国人被害者との「和解」の陰に隠れた、朝鮮半島出身者に対する補償問題 [東アジア・近代史]

報道によれば、第二次大戦中に日本が実施した中国人の強制連行をめぐって、責任企業の三菱マテリアル(旧三菱鉱業)と中国側被害者の交渉団が包括和解に合意する方針を固めたという。
中国人強制連行和解へ 三菱マテリアル、3700人に謝罪金『中日新聞』7/24

和解合意案の主な内容は、(1) 三菱側は第二次大戦中、日本政府の閣議決定に基づき日本に強制連行された中国人労働者約3万9千人のうち3765人を三菱マテリアルの前身企業とその下請け会社の事業所に受け入れ、労働を強いたことで「人権が侵害された歴史的事実」を認める、(2) 三菱側は痛切な反省と深甚なる謝罪の意を表明する、(3) 三菱側は基金に資金を拠出し、対象者計3765人に対し一人当たり10万元(約200万円)を支払う、(4) 三菱側は記念碑建立費1億円、調査費2億円を拠出する、(5) 和解合意により、本件事案は包括的・終局的な解決と確認する、などである。

すでに19日、三菱鉱業が第二次大戦中に米国人捕虜を強制労働させていた件で、三菱マテリアルが米ロサンゼルスで米国人捕虜に謝罪したことについては、中国でも報道されており、中国メディアは中国人民に対する謝罪を強く要求していた(三菱为何只对美国道歉 中国不强怎能让日本低头『環球時報』7/22)。その後昨日から、三菱マテリアルが米国人捕虜への謝罪に続き、イギリス・オランダ・オーストラリア人捕虜そして中国人労働者に対しても謝罪する意向であることが報道された(三菱高管:将向其他二战受害国致歉并赔偿中国劳工『中国日報』7/23 )。そして今朝、和解合意案の内容が日本メディアを引用する形で報じられている。

今回の合意は一見、旧日本帝国のアジア諸国に対する侵略責任の清算と和解に向けて一歩前進したかのようにみえる。しかし今回の三菱マテリアル側の態度には、決して見過ごすことのできない深刻な問題が伏在していることを、あえて指摘せねばならない。

今朝の新華社通信は、三菱マテリアルの社外取締役の岡本行夫氏(元外交官僚、小泉内閣時の内閣官房参与、首相補佐官)が22日に東京で行った会見について詳報している。その中には、日本メディアの報道には管見の限り見いだせなかった内容が含まれているので、ここに紹介しておく。

それによれば、岡本氏は、日本企業が第二次大戦時に外国人労働者に奴隷的労働を強いたことの罪を認め、「われわれは戦争捕虜にもっともひどい苦難を強いた企業の一つであるから、必ず謝罪せねばならない」と述べ、強制連行された中国人労働者に対しても謝罪する意向であることを示した。

ただし新華社によると、岡本氏の謝罪対象には「例外」があるという。それは朝鮮半島である。岡本氏は会見において、日本が朝鮮を併合し植民地統治を実施したことは「朝鮮半島で犯した最大の罪」であることを認め、その内容として、日本が朝鮮の人びとの民族性を根絶しようとし、名前や言語を奪い、神道の信仰を強い、二等公民として扱ったことを指摘している。しかし岡本氏は同時に、朝鮮半島出身の労働者に対して賠償すべきかどうかについては、「別問題」だと述べた、というのである。岡本氏の語るところによれば、朝鮮半島は当時日本の植民地統治下にあり、従って朝鮮半島の労働者は日本公民に属し、日本人と同じく国家総動員法に基づき労働に従事していた、という。(一日企高管表示愿向中国劳工道歉 达成和解、新華社、7/24

戦時中に奴隷的な苦役を強いられた欧米諸国や中国の人びとに対しては謝罪する一方、同様の苦役を強いられた朝鮮半島出身者に対してはいまだ自らの責任を認めようとしない、という三菱マテリアルの態度は、歴史認識の狡猾な使い分けであると、私は考える。ここに、先日の世界遺産登録をめぐる日本政府と韓国政府との論争で、朝鮮半島出身者に対する「強制労働」を最後まで認めなかった安倍政権の態度と近似するものがあるのは明白だろう。このような歴史修正主義を、日本国は東アジアのパワーゲームにおいて巧妙に利用しようとしているのではないか、という疑いすら抱かせる。こうした日本側の卑劣なやり方は、東アジアの平和に資するどころか、深い禍根を未来に残すことにつながるだろう。

そもそも侵略責任問題について、日本政府はアジアの民衆に対し、その公的な責任を真摯に引き受けて謝罪・賠償を行ったことは一度もない。今回の件も、一民間企業と中国人被害者の方々との間の和解合意案であり、日本政府が公式に罪を認めて謝罪・賠償するわけではない。確かに、被害者の方々個人に対する金銭補償は喫緊の課題であろうが、しかし民間基金方式による謝罪金の支払いというやり方では、日本の侵略責任問題が本質的に清算されたことにならないことは、慰安婦問題をめぐり「アジア女性基金」が引き起こした混乱をみても明らかではないか。

旧日本帝国の後継国家である日本国の民である私たちは、東アジアの民衆たちと将来平和のうちに生きていくためにも、その最低限の条件として、旧日本帝国が犯した侵略責任を日本政府に真摯に引き受けさせ、謝罪と賠償を行わせなければならない、という重い責務を負っている。それを抜きに、戦後の「平和国家」日本(?)を自画自賛したり、東アジアの平和のために日本国が何かリーダーシップを取れるなどと夢想したりすることの傲慢さに、私たちは思いを致さねばならないだろう。

SEALDs問題をめぐる『週刊金曜日』の記事(岩本太郎氏)について [日本・現代社会]

『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事を読みました。SEALDsの公式HPの声明文について鄭玹汀氏が自身のフェースブックに批評を書いたことをきっかけに、先月からネット上に発生した出来事について、岩本氏は記しています。しかし岩本氏のまとめ方にはいくつかの深刻な問題があり、この間の出来事について読者をミスリードする恐れがあると感じました。以下、その問題点を記します。

第一に、「批判と反論の応酬」という見出し自体が問題です。岩本氏は、SEALDsの見解に対する批判者として鄭氏と私の名前を挙げ、「SEALDsを支援・応援する人々」との間に「応酬」があったかのように書いています。確かに、私と「SEALDsを支援・応援する人々」との間には相互の批判・反批判の「応酬」がありました。しかし鄭氏の批評に対しては、「SEALDsを支援・応援する人々」から一方的に多数の誹謗中傷や侮辱の言葉が投げつけられたことで、議論の前提自体が破壊されてしまいました。それは決して「批判と反論の応酬」と呼べるものではなく、明らかに一方的なバッシングというべきものだったのです。

そもそも私と鄭氏は、SEALDsの声明文が、日本国が過去の侵略責任をいまだ清算していないという現実をスルーして、「平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと語っていることを問題にし、そうした姿勢がアジアの人びとに対していかに〈傲慢〉で〈独善〉的なものであるかを指摘する点で、共通する論旨を展開しています。

しかし不思議なことに、暴力的なバッシングは鄭氏に対してのみ起きたのです。このバッシングに加わった人たちの多くは、鄭氏が用いた〈傲慢〉・〈独善〉的という言葉に非難の矛先を向けました。ところが、私も鄭氏と同様の論旨でこれらの言葉を用いているにもかかわらず、私に対するバッシングは起きていません。なお私は、SEALDsの中心メンバーの一人である奥田愛基氏から直接の応答を受けましたが、鄭氏の批評はSEALDsメンバーから無視されつづけています。

こうした不可思議な現象の背景には何があるのでしょうか?米津篤八氏は、私が日本人男性で鄭氏が韓国人女性であるという属性の違いゆえの、差別があるのではないかと推測しています。私も米津氏の推測におおむね同意します。

さらに問題なのは、『週刊金曜日』における岩本氏の記事が、このような差別を紙媒体で再生産していることです。岩本氏は、東アジアに平和的秩序を打ち建てるための大前提は日本国が過去に犯した侵略責任を真摯に清算することにある、という私の主張のポイントを一応指摘しています。ところが岩本氏は、鄭氏の主張の具体的内容には何ら触れることなく、SEALDsの見解を鄭氏が「独善的かつ傲慢な姿勢のあらわれ」と批判した、とだけ書いているのです。

上述のように、SEALDsの支持者たちによって鄭氏に対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せて、「批判と反論の応酬」などという表題でこれを糊塗した岩本氏は、さらに鄭氏の主張のうち特定部分のみを恣意的に取り上げることによって、結果的にこのバッシングの片棒を担いでしまっている、と言ってよいでしょう。これが岩本氏の記事がはらんでいる第二の問題点です。

鄭氏に対しSEALDs支持者たちの行ってきたバッシングの実態を示すものとして、社会運動家の野間易通氏が、鄭氏に対する数々の悪質なツイートを集めたうえで、鄭氏を「間抜け」呼ばわりして作成したまとめサイトがあります。そうした悪質ツイートやまとめサイト作成が、鄭氏に対する名誉毀損ないし侮辱に当たる可能性の非常に高いことや、ツイートの一部に脅迫の要素すら含まれていることを、SEALDs問題をめぐっては私と異なる見解に立つ高林敏之氏もはっきりと指摘しています

ところが岩本氏は記事の中で、「互いに距離が離れた場所でネットでの応酬もあってかキツイ言葉も飛び交い、大田さんが『人権侵害』と言い出すまでにエスカレートした」と記しているのみです。岩本氏は当然、野間氏が作成したまとめサイトの存在を知っているはずですが、ここに含まれる悪質なツイートをも「キツイ言葉」として済ませてしまうところに、岩本氏の人権感覚が現れています。ここに第三の問題点があり、上記の第二の問題点とあわせて、岩本氏の記事が結果的に、現在もなお続いているSEALDsの一部支持者たちによる鄭氏に対する人権侵害を助長しかねないことを、私は恐れます。

私は6月26日の拙ブログ記事で、SEALDs支持者による鄭さんへの一方的なバッシングと人権侵害について次のように書きました。「日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう」、と。

日本の市民・社会運動の有力な媒体である『週刊金曜日』に、こうした醜悪な人権侵害を容認し助長しかねない記事が掲載されたことに、私は強い憤りを感じます。

長春だより

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