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SEALDs問題をめぐる『週刊金曜日』の記事(岩本太郎氏)について [日本・現代社会]

『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事を読みました。SEALDsの公式HPの声明文について鄭玹汀氏が自身のフェースブックに批評を書いたことをきっかけに、先月からネット上に発生した出来事について、岩本氏は記しています。しかし岩本氏のまとめ方にはいくつかの深刻な問題があり、この間の出来事について読者をミスリードする恐れがあると感じました。以下、その問題点を記します。

第一に、「批判と反論の応酬」という見出し自体が問題です。岩本氏は、SEALDsの見解に対する批判者として鄭氏と私の名前を挙げ、「SEALDsを支援・応援する人々」との間に「応酬」があったかのように書いています。確かに、私と「SEALDsを支援・応援する人々」との間には相互の批判・反批判の「応酬」がありました。しかし鄭氏の批評に対しては、「SEALDsを支援・応援する人々」から一方的に多数の誹謗中傷や侮辱の言葉が投げつけられたことで、議論の前提自体が破壊されてしまいました。それは決して「批判と反論の応酬」と呼べるものではなく、明らかに一方的なバッシングというべきものだったのです。

そもそも私と鄭氏は、SEALDsの声明文が、日本国が過去の侵略責任をいまだ清算していないという現実をスルーして、「平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと語っていることを問題にし、そうした姿勢がアジアの人びとに対していかに〈傲慢〉で〈独善〉的なものであるかを指摘する点で、共通する論旨を展開しています。

しかし不思議なことに、暴力的なバッシングは鄭氏に対してのみ起きたのです。このバッシングに加わった人たちの多くは、鄭氏が用いた〈傲慢〉・〈独善〉的という言葉に非難の矛先を向けました。ところが、私も鄭氏と同様の論旨でこれらの言葉を用いているにもかかわらず、私に対するバッシングは起きていません。なお私は、SEALDsの中心メンバーの一人である奥田愛基氏から直接の応答を受けましたが、鄭氏の批評はSEALDsメンバーから無視されつづけています。

こうした不可思議な現象の背景には何があるのでしょうか?米津篤八氏は、私が日本人男性で鄭氏が韓国人女性であるという属性の違いゆえの、差別があるのではないかと推測しています。私も米津氏の推測におおむね同意します。

さらに問題なのは、『週刊金曜日』における岩本氏の記事が、このような差別を紙媒体で再生産していることです。岩本氏は、東アジアに平和的秩序を打ち建てるための大前提は日本国が過去に犯した侵略責任を真摯に清算することにある、という私の主張のポイントを一応指摘しています。ところが岩本氏は、鄭氏の主張の具体的内容には何ら触れることなく、SEALDsの見解を鄭氏が「独善的かつ傲慢な姿勢のあらわれ」と批判した、とだけ書いているのです。

上述のように、SEALDsの支持者たちによって鄭氏に対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せて、「批判と反論の応酬」などという表題でこれを糊塗した岩本氏は、さらに鄭氏の主張のうち特定部分のみを恣意的に取り上げることによって、結果的にこのバッシングの片棒を担いでしまっている、と言ってよいでしょう。これが岩本氏の記事がはらんでいる第二の問題点です。

鄭氏に対しSEALDs支持者たちの行ってきたバッシングの実態を示すものとして、社会運動家の野間易通氏が、鄭氏に対する数々の悪質なツイートを集めたうえで、鄭氏を「間抜け」呼ばわりして作成したまとめサイトがあります。そうした悪質ツイートやまとめサイト作成が、鄭氏に対する名誉毀損ないし侮辱に当たる可能性の非常に高いことや、ツイートの一部に脅迫の要素すら含まれていることを、SEALDs問題をめぐっては私と異なる見解に立つ高林敏之氏もはっきりと指摘しています

ところが岩本氏は記事の中で、「互いに距離が離れた場所でネットでの応酬もあってかキツイ言葉も飛び交い、大田さんが『人権侵害』と言い出すまでにエスカレートした」と記しているのみです。岩本氏は当然、野間氏が作成したまとめサイトの存在を知っているはずですが、ここに含まれる悪質なツイートをも「キツイ言葉」として済ませてしまうところに、岩本氏の人権感覚が現れています。ここに第三の問題点があり、上記の第二の問題点とあわせて、岩本氏の記事が結果的に、現在もなお続いているSEALDsの一部支持者たちによる鄭氏に対する人権侵害を助長しかねないことを、私は恐れます。

私は6月26日の拙ブログ記事で、SEALDs支持者による鄭さんへの一方的なバッシングと人権侵害について次のように書きました。「日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう」、と。

日本の市民・社会運動の有力な媒体である『週刊金曜日』に、こうした醜悪な人権侵害を容認し助長しかねない記事が掲載されたことに、私は強い憤りを感じます。

長春だより

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