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2021年衆院選と社民党――「無産政党」の来し方、行く末 [日本・現代社会]

一昨日投開票された衆院選の結果がほぼ出そろった。「予想どおり」「予想外」の両面があるこの結果について、すでにさまざまな分析や論評が出ている。

ここで私は、比例代表で社民党の議席獲得数がついにゼロになった事実について考えたい。

社民党は、2012年以来三度の総選挙で、沖縄の小選挙区で1議席、九州ブロックの比例代表で1議席のみという低迷が続いていた。それが今回、ついに九州ブロックの議席を失うことになった。
昨年末の立憲民主党との合同問題をめぐる分裂騒動から、この事態はすでに予想されていたのではあるが。
政党交付金の対象となる政党要件の維持どころか、党そのものの存続すらもはや危うい状況だ。

社民党の党勢の衰退は最近はじまったことではない。その衰勢はすでに四十年前、前身の日本社会党において誰の目にも明らかになっていた構造的な問題といえる。

そこには大きくいえば、支持層の維持・拡大の失敗、党指導部や活動家の世代交代の失敗、基本政策のなし崩し的転換の失敗、という三つの失敗があったように思う。

①総評の組織の上にあぐらをかき、その解体後は「風」頼みとなり、冷戦終結前後の政治構造の根本的変動に対応できず、保守勢力の攻勢を前になすすべもなく、「非自共」および「自社さ」政権のぬるま湯につかっている間に足元の地盤はますます空洞化し、やがて崩壊した。

②党勢の衰えにつれてパイが小さくなると、古参の人々は既得の小利権にしがみついて若い世代の育成を怠り、組織に新しい活力が失われ、ますますパイが小さくなるという悪循環。今や社民党の高齢化は他党と比べても群を抜く。党組織も運動団体も支持層も、日本社会の高齢化を見事に先取りする逆ピラミッド型だ。

③もともと左右のイデオロギー対立が激しいところに、政権というエサを与えられたとたん、日米安保体制・自衛隊・憲法といった国家観の基幹にかかわる政策になし崩し的転換が行われた。その不透明な決定過程は、多くの支持者の信頼を失う結果となり、運動の分裂と衰退を招き、この政党に対する不信感を残したまま、現在に至る。

この三つの失敗は互いに結びつき、負の面がいっそう増幅されている。

他方、同じ党名のドイツ社民党(SPD)が9月の連邦議会選挙で16年ぶりに第1党となる勝利を収めたことは、記憶に新しい。

SPDも、日本の社民党も、その起源をたどれば19世紀後半~20世紀初頭の国際社会主義運動にゆきつく。日本の場合は1901年の社会民主党結成後、弾圧による断絶や内部分裂によって党名の変遷が激しいが、20世紀初頭の社会主義運動の中心にいた安部磯雄や山川均は、戦後の日本社会党結成にあたって、その右派と左派の最長老であった。

ドイツ社民党の結成にあずかった一大勢力アイゼナッハ派はエンゲルスを相談役とし、同党は長らくマルクス主義を指導思想とする労働者階級の政党だった。ところが冷戦下の50年代末、SPDはマルクス主義から離れて「国民政党」に転換、西欧社民(民主社会主義)勢力の主流となった。

それに対して、冷戦下の日本社会党は「民主社会主義」を標榜する一部の右派が60年に離脱したが、その後も山川均以来の労農派マルクス主義をひきつぐ「協会」派や、「構造改革」派その他、複雑で激しいイデオロギー対立は陰険な派閥的権力闘争と結びつき、泥沼の様相を呈した。冷戦終結前後の「西欧社民」主義への転換もなし崩し的に行われ、しかも中途半端に終わった。

96年の社民党への党名変更も、積極的な理念に基づくものとはいえず、なんとなく世論に受け入れられやすそうな名前に変えてみました、くらいのものでしかあるまい。

もちろん、冷戦下の社会情勢や国際関係、歴史的背景の違いから、日本社会党がSPDのような「西欧社民」型政党に転換する可能性があったかというと疑問があるし、それが本来望ましかったはずだと断言することもできない。

それはともかく、SPDとは対照的に、日本社会党・社民党が急角度に没落への道をたどったのは、権力の弾圧を受けたからではなく、むしろ、戦後政治の転換期にあらわれた党内外の諸問題に真剣に取り組む意志もリーダーシップもないまま、成り行き任せに失敗に失敗を重ねた結果の自滅、といわねばならないだろう。

今回の衆院選で、無党派層の「風」は、左右のポピュリスト政党「維新」と「れいわ」に向かって吹き、「立民」も「共産」も議席を減らす結果となった。「社民」は「れいわ」のはるかに後塵を拝し、比例の得票では「N党」と肩を並べる泡沫政党にまで転落した。

「無産階級」の国際社会主義運動に由来する政党(共産・社民)の議席数は今や、男子普選がはじまった1920年代のレベルにまで後退している。当時の無産政党が、治安維持法・治安警察法による暴力的弾圧にも耐えて議席を得たことを考えれば、そうした苛烈な治安立法の存在しない現在のほうが、「無産政党」の置かれた状況はより深刻だ。

世論の流れといえばそれまでだが、しかし本当にそれでいいのか?新自由主義やナショナリズムの煽動が猛威をふるう今の日本で、「無産政党」が本来果たすべき役割は小さくないだろう。百数十年の歴史を背負ってきたそのひとつの灯が今、消えつつあることの深刻さを考えたい。

長春だより

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