SSブログ

三度(みたび)二村一夫氏の反論に答える――「労働者の声」(『国民之友』95号、1890年9月23日)の筆者をめぐって [日本・近代史]

三年ぶりのブログ更新となります。

日本で最初に労働組合の結成を主張した論説とされる「労働者の声」(『国民之友』95号、1890年9月23日)の筆者は誰か、という問題をめぐり、三年前、二村一夫氏(法政大学名誉教授)と私との間で論争が起こりました。

二村氏がその著書『労働は神聖なり、結合は勢力なり―高野房太郎とその時代』(岩波書店、2008年)およびWEB版『二村一夫著作集』において、「労働者の声」の筆者を高野房太郎であると断定したのに対し、私は拙著『日本社会民主主義の形成―片山潜とその時代』(日本評論社、2013年)で二村氏の説に根拠がないことを指摘し、竹越与三郎こそ「労働者の声」の筆者である蓋然性が高いことを述べました。その後、私の指摘に反論する二村氏のWEB版『二村一夫著作集』と、それに再反論する拙ブログの間で、論争となったのです。

私はこの論争において、二村氏の主張の多くが事実誤認にもとづいており、高野房太郎説は学術的に存立の余地のないことを立証しました。(「再び二村一夫氏の反論に答える(1)」2018年6月10日「再び二村一夫氏の反論に答える(2)」2018年6月16日「再び二村一夫氏の反論に答える(3・完)」2018年6月17日)。また同時に、私自身の竹越与三郎説も根拠がまだ不十分であることを反省したうえで、「『国民之友』だけではなく『国民新聞』の膨大な論説の検討が不可欠」であると、今後の課題を提示しました。

その後二村氏は、論文「再論・「労働者の声」の筆者は誰か?」『大原社会問題研究所雑誌』(730号、2019年8月)において、高野房太郎執筆説が誤りであったことを自ら認められました。学術的良心に基づき自説を撤回された二村氏の勇気に、私も感銘を受けました。

しかし二村氏は同論文において、高野房太郎説を撤回するのと同時に、竹越与三郎説の「蓋然性は限りなくゼロに近い」と述べ、徳富蘇峰を「労働者の声」の筆者とする新説を提唱されました。

これに対して私は最近、この問題をめぐる現時点での自分なりの結論として、論文「初期民友社の社会・労働問題論と「平民主義」―竹越与三郎を中心に」『大原社会問題研究所雑誌』(751号、2021年5月)を発表しました。この拙論で私は、竹越与三郎・徳富蘇峰ら民友社の社会・労働問題論を分析し、とりわけ私が先に今後の課題としていた『国民新聞』所載の社会・労働問題論説を精査したうえで、二村氏の新説=徳富蘇峰説の是非を論じつつ、「労働者の声」の筆者について再検討しました。リンク先から拙論のPDFファイルをダウンロードできますので、興味のある方はぜひお読みください。

従来の研究で看過されてきた『国民新聞』の論説を一つ一つ精査するなかで、私は一つの発見をしました。それは、長年の間、日本で最初に労働組合の結成を提唱した論説であると考えられてきた「労働者の声」(『国民之友』95号、1890年9月23日)より七か月も前に、『国民新聞』25号(1890 年2 月25 日)の社説「労働者の組合」がすでに労働組合の結成を提唱していた事実です。この社説以後、『国民新聞』には労働問題・労働運動をめぐる論説がたびたび掲載されており、『国民新聞』179 号(1890 年7 月29 日)の社説「職人の無気力」において再び、労働者の地位向上のための団結が提唱されています。これらの社説はいずれも無署名ですが、竹越が『国民新聞』の社説・論説担当の政治記者として1890年初頭、国民新聞社(民友社)に入社した事実に留意すべきでしょう。

このように新たに発掘された『国民新聞』の労働問題・労働運動論の延長線上に、「労働者の声」を位置付けることができることを、私は拙論で明らかにしました。

一方、私は拙論において、1880年代末から1890年に至る竹越与三郎と徳富蘇峰の「平民主義」の主張を比較しつつ分析しました。竹越の「平民主義」は、産業革命による生産力の進歩がもたらす貧富の懸隔や労資の矛盾など「社会問題」に着目し、富の分配を正し貧富の両階級が調和する社会の実現を目指すものでした。それに対して蘇峰の「平民主義」は、産業革命による生産力の進歩を楽観的に展望し、農商工の非特権的な地方名望家の政治的主体としての成長を高く評価するものでした。上に述べた『国民新聞』社説の労働問題・労働運動論(および『国民之友』の「労働者の声」)の思想的基礎には、蘇峰よりもむしろ竹越の「平民主義」の理念があるとみるべきでしょう。

なお二村氏が「労働者の声」の筆者として新たに蘇峰説を提唱し、竹越説を否定した根拠は、①文体、②使用語彙、③内容の三点にまとめられます。しかし、この三点をめぐる二村氏の分析と推論には、学術的に妥当とはいいがたい方法・史料・解釈上の問題が多々あることがわかりました。

例えば二村氏は、「労働者の声」と、竹越の論説「社会問題の成行」(『六合雑誌』81号、1887年9月30日)および蘇峰の論説「平民的運動の新現象」(『国民之友』69号、1890年1月3日)それぞれの総文字数・句点数・読点数を数えて、句点で区切られた一文の平均文字数と、句点と読点とで区切られた部分の平均文字数とをそれぞれ算出し、「労働者の声」の数値は竹越の文章よりも蘇峰の文章の数値に近いと結論して、これをもって文体の面から蘇峰執筆説の有力な根拠の一つとしています(67-68, 74ページ)。

この数値を算出するにあたり二村氏は、竹越の「社会問題の成行」のテキストとして、西田毅編『竹越三叉集』(三一書房、1985年)を利用しています。ところが実は、『六合雑誌』に掲載された「社会問題の成行」の初出テキストには句読点がほとんどなく、二村氏が数えた句読点の大部分は、『竹越三叉集』の編者が校訂の際に便宜上付加したものだったのです。ですから二村氏の算出した数値は、竹越と蘇峰の文体を比較するうえで全く参考になりません。

二村氏の新説には、そのほかにも深刻な問題が多々ありますが、詳しくは拙論の本文の3(2) をご覧ください。「労働者の声」の筆者をめぐる問題について、私は次のように結論しました。

----------------(引用はじめ)
以上、「労働者の声」の筆者は蘇峰であるとする二村氏の説について検討してきた。文体・使用語彙・内容をめぐる氏の分析と推論には、方法・史料・解釈上の問題が少なからずあり、氏の結論を支持するための十分な根拠は見出せないと言わざるを得ない。そもそも、文体および使用語彙から「労働者の声」の筆者を確定するのは困難であろう。ただし先述のように、「労働者の声」の内容が、竹越の入社後に『国民新聞』の社説・論説で盛んに唱えられた「社会問題」論および労働問題・労働運動論の直接の延長線上にあることを考えあわせるならば、その筆者が竹越自身であると確定できないまでも、彼独自の「平民主義」の論理に沿って書かれたものとみて差し支えないと考える。
----------------(引用おわり)

長春だより

Copyright © 2013 OTA Hideaki All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。