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東アジアの平和と日本国民の責任 [東アジア・現代]

日本政府が過去のアジア侵略の事実を公式に認めて謝罪すること。戦争責任を公的に認め、誠意をもってこれを清算すること。これは東アジアの平和的秩序を築いてゆくための、最低限の前提条件です。アジア・太平洋戦争の終結から50年目、1995年の「村山談話」に至って、ようやくその一歩が踏み出されました。ところが安倍政権は、国際的に合意された戦後秩序の基礎の基礎を掘り崩し、東アジアにカオスを出現させつつあります。米国すらも安倍政権を警戒し始めているゆえんです。

隣国との間でいまだ国境線すら合意できない不安定な状況で、秩序の最低限の基礎を破壊し続けている安倍・橋下・石原ら日本の右翼的政治家たちの挑発行為は、非常に危険です。東アジアがカオスの泥沼へと引き込まれつつある不吉な兆候は、すでに各所に現れています。前の投稿で触れた中国メディアの「琉球帰属問題」キャンペーンもその一つでしょう。

もちろんこれらの「兆候」を過大評価してはいけないし、某右翼新聞のように騒ぎ立てるのは愚の骨頂です。しかしそれを軽視するのも、事態の重大な変化を見誤ることになるでしょう。

あらゆる国家権力の「善意」など、私はつゆほども信じません。冷酷な国際的パワーポリティクスと、国内の階級支配と抵抗の情勢、さらには権力者間の闘争などを通じて、重要な政治決定が行われるというのは、すべての国家に共通することでしょう。しかもそうした国家権力の政治決定は、国内さらには外国の民衆生活に深刻な影響を及ぼします。

一方、あらゆる人は自国の政治に責任を負っています。いわゆる議会制民主主義国家の有権者はとくに、政治に対する主体的責任を自覚せねばならないでしょう。安倍政権を中心とする右翼政治家の暴走を、私たち日本国民は何としても食い止めねばなりません。東アジアの平和を攪乱する政治家の犯罪的な暴走に対して、日本国民自身がどのように対峙するのか、世界が注目しています。

中国の『環球時報』は今日の紙面で、『毎日新聞』と『朝日新聞』の世論調査を引用し、「慰安婦」をめぐる橋下徹大阪市長の言動に対して、「日本民衆」の70%以上が「不適当」ないし「問題あり」と考えていると、報道しています。
http://news.sina.com.cn/w/2013-05-20/130827173874.shtml

右翼の言動に対する人びとの違和感を、いかにして政治的に組織し、議会政治の場へと反映させることができるか。来たる7月の参院選の結果は、アジアの人びとからも注視されることでしょう。

私はあらゆる国家権力の善意など信じませんが、各国の民衆一人ひとりの善意は常に信頼して行動したいと思います。

沖縄の自己決定の模索と東アジア [沖縄・琉球]

沖縄の日本「復帰」四十一周年にあたる5月15日、「琉球民族独立総合研究学会」が設立されました。

同学会の趣意書は、学会設立の目的をおおむね次のように述べています。

 1609年の薩摩侵攻、1879年の明治政府の琉球併合以降、琉球は日本および米国の植民地とされ、「日米両政府、そしてマジョリティのネイションによる差別、搾取、支配の対象となってきた」。その例として、太平洋戦争で「捨て石」とされたこと、27年に及ぶ過酷な米軍支配、日本「復帰」後も続く米軍基地の押し付け、最近のオスプレイ強行配備などがある。こうして「日本人は、琉球を犠牲にして、『日本の平和と繁栄』をこれからも享受し続けようとしている。このままでは、我々琉球民族はこの先も子孫末代まで平和に生きることができ」ない。このような「奴隷的境遇」から脱するため、「琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある」。そのために本学会は設立されたのだ、と。

なお趣意書によれば、「琉球民族は本来、独自のネイション(nation、peoples、民族、人民)であり、国際法で保障された『人民の自己決定権』を行使できる法的主体である。琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみである」。従って本学会は会員を「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族に限定」したうえで、「琉球の独立が可能か否かを逡巡するのではなく、琉球の独立を前提とし、琉球の独立に関する研究、討論を行う」、としています。
http://www.acsils.org/aboutus-1/2

同学会の設立を『琉球新報』は17日の社説で紹介しました。同社説は、「政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人々であるべきだ」と述べたうえで、今後の課題として「沖縄の人々が平和のうちに幸せに暮らすには、どのような自治の形態が望ましいか」を議論する必要を指摘し、「その選択肢を広げる意味でも学会は多様な観点から研究を深めて発信してほしい」と、期待を表明しています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206664-storytopic-11.html

ところで、中国共産党中央の機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』は、16日の社説で同学会の設立を報じ、「中国の民間は『琉球独立研究学会』の成立および同学会の宣言した政治目標に対して同情し、これを支持すべきである。そのような声援の短期的な効果はどうであれ、長期的観点からみれば、それは琉球国復活運動の重要な力となる」、と述べています。
http://opinion.huanqiu.com/editorial/2013-05/3937432.html

これを前回私が少し触れた同紙11日付の社説の論旨と合わせて読むと、やはり危惧を禁じ得ません。沖縄をこれ以上国際的パワーゲームに巻き込んではならない、と私はあえて声を大にして言いたいと思います。

ただし、17日の『環球時報』が、同学会の発起人の一人である龍谷大学教授の松島泰勝氏のインタビュー記事を載せ、氏の次の発言を記していることにも、私は注目しています。「私たちの琉球民族独立の研究はもっぱら日本政府のやり方に反対しているのであって、決して外国と結託しようというのではありません。ただ、中国は今こうした問題を提起すべきではないと、私たちは考えます。(中略)中国の専門家が今このような問題を提起することは、かえって容易に沖縄人の反感を引き起こします。」
http://mil.news.sina.com.cn/2013-05-17/0938724952.html

『環球時報』があえてこうした声を載せているのは、最近の中国メディアの「琉球帰属問題」キャンペーンに対する沖縄の反発(沖縄二紙の社説など)を考慮し始めているからかもしれません。いずれにせよ、中国自身が少数民族問題や「分離主義」問題を抱えていることもあり、少なくとも当面は「琉球帰属問題」をこれ以上焚き付けることはないのではないかと思います。

さて、琉球民族独立総合研究学会の発足を紹介した『琉球新報』先の社説は、「沖縄の人々の幸せには、自己決定権拡大こそが欠かせない」と主張しつつ、「残る議論は、その拡大した形態についてであろう。特別県制か、道州制の単独州がよいか、その際に持つ権限は何か。あるいは独立か、連合国制か、国連の信託統治領か。さまざまな選択肢がありえよう」と述べています。自己決定=自治の拡大こそが沖縄が必要とする当面の課題であり、その手段として「独立」に限らずいろいろな選択肢についての議論が大事だ、という趣旨に私も同感です。

同学会の趣意書の表現に従えば、私も「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族」の一人ということになりますが、しかし「琉球民族」という概念には曖昧なものがあります。地理的に「琉球の島々」とヤマトとの境界線はどこに引かれるのか(奄美やトカラ列島は?)。現在沖縄に住んでいるものの「民族的ルーツ」がヤマトの人はどうなるのか?また「琉球民族」の内部でもさまざまなニュアンスの違いがあるでしょう(琉球王府の宮古・八重山に対する過酷な収奪の歴史を想起)。

そもそも国家を形成するためには排他的な国境線を引き、国民とそうでない者とを厳密に区別しなければなりません。そうした区別を維持するには一般に国家の実力(暴力装置など)が必要になってきます。そして国家の暴力装置は、階級支配や多数派による少数派抑圧の道具としても用いられます。果たして琉球の島々の「甘世(あまゆー)」が、そのような意味での独立主権国家として実現されるべきなのかどうかは、さまざまな議論があるでしょう。

現在の東アジアの危機の背景には、この地域におけるアメリカの長期にわたる軍事的支配の陰で、アジア・太平洋戦争の戦後処理や日本の侵略責任の追及が十分になされてこなかったことがあります。日本は隣国(中国・韓国・ロシア)との間で国境線すらいまだ合意できていないのです。そして現在、国際的な力関係の変化によって、いままでの不作為のつけが危機として顕在化しつつあり、その中で沖縄が米中日のパワーゲームのカードとされる危険な兆候が現れています。この深刻な困難の中で、沖縄は平和への道を自ら切り開いてゆかねばなりません。

日本「復帰」後41年の苦い経験を経て、沖縄の人びとの間に「自己決定権」獲得への要求が高まってゆくのは、必然の流れでしょう。「琉球民族独立総合研究学会」の発足が、沖縄の真の自治を実現するための議論と運動が活性化するきっかけとなることを、期待します。そして沖縄の人びと自身によるそのような議論と運動の高まりが、東アジアの平和的秩序を創造する大きな力となることを、私は信じます。

「琉球帰属問題」の突発と東アジア [沖縄・琉球]

中国共産党機関紙『人民日報』が8日、「琉球の帰属問題」についての論文を掲載したことをきっかけに、中国メディアではこれをめぐる論議が過熱気味になっています。

『人民日報』系列の『環球時報』は11日の社説で、「もし日本がついに中国と敵対することを選択するならば、中国は従来の公式的立場を変えることを考慮すべきだ」とし、琉球帰属問題の再提起の必要を述べたうえで、「もし日本が中国の勃興を破壊する急先鋒となるならば、中国は将来実力を投入して、沖縄地区において『琉球国を恢復する』力を育成すべきだ」と主張しています。
http://opinion.huanqiu.com/editorial/2013-05/3924225.html

さらに中国の国営通信社「中国新聞社」は14日、中国戦略文化促進会常務副会長兼秘書長で少将の肩書を持つ軍人のインタビュー記事を配信し、「琉球は台湾列島の一部であり、中国の一部であって、絶対に日本のものではない」、「琉球国の国民の大部分は中国の福建、浙江および台湾の沿海住民に由来する。沖縄県の多くの人たちは今でも福建語を話し、彼らの使う文字も多くは漢字である」、などという奇怪な情報(?)を流しています。
http://news.sina.com.cn/c/2013-05-14/215327121500.shtml

さらにこれらのニュースサイトのコメント欄には、「琉球の独立を支援せよ」、「琉球を中国に取り戻せ」といった勇ましい書き込みがあふれかえっている状況です。

中国メディアから突如噴出した「琉球帰属問題」に対して、沖縄の二紙は12日と13日に相次いで社説を発表しました。「結果的に日中間の無用な対立をあおり、自国民の反日感情をエスカレートさせていることは、極めて非生産的な行為だと認識すべきだ」(『琉球新報』社説)、「領土問題や歴史認識で主張が対立し、日中両国に偏狭なナショナリズムが広がっている。これ以上、問題を複雑にしてはいけない。対立をエスカレートさせるような行動は、厳に慎むべきである」(『沖縄タイムス』社説)。私もまったく同感です。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206462-storytopic-11.html
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-13_49179/

『琉球新報』社説が指摘しているように、今の沖縄をめぐる問題の根源は、「日本政府が民主国家のらち外に沖縄を置き続けている現状」にあります。普天間移設問題やオスプレイ配備をめぐって、沖縄の人びとの意志は無視され続け、人権が剥奪されています。そこで沖縄の人びとは、憲法と民主主義に基づく自己決定の権利を要求しているわけです。

ところが『人民日報』や『環球時報』の「琉球再議」論は、中国と日本・アメリカとの国際的なパワーゲームにおけるカードとして沖縄を利用する、という意図から書かれています。そこには、沖縄の人びとが今現に何を願っているかについての配慮など、みじんもみられません。

沖縄は近代の150年、いや島津の琉球侵攻以来400年もの間、大国の狭間で苦難の歴史を歩んできました。沖縄戦で途方もない犠牲を強いられたあげく、戦後は米国の世界戦略の軍事拠点とされて、今なお抑圧が続いています。もう二度とあの戦争の悲劇を繰り返さないこと、それが沖縄の人びと全てにとって最低限の願いであるはずです。ところが、大国間の危険なパワーゲームに、沖縄は今また巻き込まれようとしています。まさに胸がつぶれる思いです。

今回の「琉球帰属問題」の出現は、もちろん尖閣(釣魚)をめぐる日中間の対立の激化に促されたものですが、それはきっかけにすぎないとも言えます。ヨーロッパと異なり東アジアでは、「戦後」の処理がいまだ十分に行われていません。戦後の日本は米国一辺倒を続ける一方、アジアの諸隣国との関係をなおざりにし、戦争責任の問題も積み残してきました。そのため、東アジアの秩序は米国の軍事支配によってなんとか維持されているにすぎず、その本質は非常に不安定で脆いのです。

安倍政権は、ただでさえ不安定な諸隣国との関係をさらに破壊し、自ら対外危機を醸成することで権力を維持しようとしています。権力者のそうした火遊びによって真っ先に被害を受けるのは、ほかならぬ沖縄です。

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