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沖縄の自己決定の模索と東アジア [沖縄・琉球]

沖縄の日本「復帰」四十一周年にあたる5月15日、「琉球民族独立総合研究学会」が設立されました。

同学会の趣意書は、学会設立の目的をおおむね次のように述べています。

 1609年の薩摩侵攻、1879年の明治政府の琉球併合以降、琉球は日本および米国の植民地とされ、「日米両政府、そしてマジョリティのネイションによる差別、搾取、支配の対象となってきた」。その例として、太平洋戦争で「捨て石」とされたこと、27年に及ぶ過酷な米軍支配、日本「復帰」後も続く米軍基地の押し付け、最近のオスプレイ強行配備などがある。こうして「日本人は、琉球を犠牲にして、『日本の平和と繁栄』をこれからも享受し続けようとしている。このままでは、我々琉球民族はこの先も子孫末代まで平和に生きることができ」ない。このような「奴隷的境遇」から脱するため、「琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある」。そのために本学会は設立されたのだ、と。

なお趣意書によれば、「琉球民族は本来、独自のネイション(nation、peoples、民族、人民)であり、国際法で保障された『人民の自己決定権』を行使できる法的主体である。琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみである」。従って本学会は会員を「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族に限定」したうえで、「琉球の独立が可能か否かを逡巡するのではなく、琉球の独立を前提とし、琉球の独立に関する研究、討論を行う」、としています。
http://www.acsils.org/aboutus-1/2

同学会の設立を『琉球新報』は17日の社説で紹介しました。同社説は、「政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人々であるべきだ」と述べたうえで、今後の課題として「沖縄の人々が平和のうちに幸せに暮らすには、どのような自治の形態が望ましいか」を議論する必要を指摘し、「その選択肢を広げる意味でも学会は多様な観点から研究を深めて発信してほしい」と、期待を表明しています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206664-storytopic-11.html

ところで、中国共産党中央の機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』は、16日の社説で同学会の設立を報じ、「中国の民間は『琉球独立研究学会』の成立および同学会の宣言した政治目標に対して同情し、これを支持すべきである。そのような声援の短期的な効果はどうであれ、長期的観点からみれば、それは琉球国復活運動の重要な力となる」、と述べています。
http://opinion.huanqiu.com/editorial/2013-05/3937432.html

これを前回私が少し触れた同紙11日付の社説の論旨と合わせて読むと、やはり危惧を禁じ得ません。沖縄をこれ以上国際的パワーゲームに巻き込んではならない、と私はあえて声を大にして言いたいと思います。

ただし、17日の『環球時報』が、同学会の発起人の一人である龍谷大学教授の松島泰勝氏のインタビュー記事を載せ、氏の次の発言を記していることにも、私は注目しています。「私たちの琉球民族独立の研究はもっぱら日本政府のやり方に反対しているのであって、決して外国と結託しようというのではありません。ただ、中国は今こうした問題を提起すべきではないと、私たちは考えます。(中略)中国の専門家が今このような問題を提起することは、かえって容易に沖縄人の反感を引き起こします。」
http://mil.news.sina.com.cn/2013-05-17/0938724952.html

『環球時報』があえてこうした声を載せているのは、最近の中国メディアの「琉球帰属問題」キャンペーンに対する沖縄の反発(沖縄二紙の社説など)を考慮し始めているからかもしれません。いずれにせよ、中国自身が少数民族問題や「分離主義」問題を抱えていることもあり、少なくとも当面は「琉球帰属問題」をこれ以上焚き付けることはないのではないかと思います。

さて、琉球民族独立総合研究学会の発足を紹介した『琉球新報』先の社説は、「沖縄の人々の幸せには、自己決定権拡大こそが欠かせない」と主張しつつ、「残る議論は、その拡大した形態についてであろう。特別県制か、道州制の単独州がよいか、その際に持つ権限は何か。あるいは独立か、連合国制か、国連の信託統治領か。さまざまな選択肢がありえよう」と述べています。自己決定=自治の拡大こそが沖縄が必要とする当面の課題であり、その手段として「独立」に限らずいろいろな選択肢についての議論が大事だ、という趣旨に私も同感です。

同学会の趣意書の表現に従えば、私も「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族」の一人ということになりますが、しかし「琉球民族」という概念には曖昧なものがあります。地理的に「琉球の島々」とヤマトとの境界線はどこに引かれるのか(奄美やトカラ列島は?)。現在沖縄に住んでいるものの「民族的ルーツ」がヤマトの人はどうなるのか?また「琉球民族」の内部でもさまざまなニュアンスの違いがあるでしょう(琉球王府の宮古・八重山に対する過酷な収奪の歴史を想起)。

そもそも国家を形成するためには排他的な国境線を引き、国民とそうでない者とを厳密に区別しなければなりません。そうした区別を維持するには一般に国家の実力(暴力装置など)が必要になってきます。そして国家の暴力装置は、階級支配や多数派による少数派抑圧の道具としても用いられます。果たして琉球の島々の「甘世(あまゆー)」が、そのような意味での独立主権国家として実現されるべきなのかどうかは、さまざまな議論があるでしょう。

現在の東アジアの危機の背景には、この地域におけるアメリカの長期にわたる軍事的支配の陰で、アジア・太平洋戦争の戦後処理や日本の侵略責任の追及が十分になされてこなかったことがあります。日本は隣国(中国・韓国・ロシア)との間で国境線すらいまだ合意できていないのです。そして現在、国際的な力関係の変化によって、いままでの不作為のつけが危機として顕在化しつつあり、その中で沖縄が米中日のパワーゲームのカードとされる危険な兆候が現れています。この深刻な困難の中で、沖縄は平和への道を自ら切り開いてゆかねばなりません。

日本「復帰」後41年の苦い経験を経て、沖縄の人びとの間に「自己決定権」獲得への要求が高まってゆくのは、必然の流れでしょう。「琉球民族独立総合研究学会」の発足が、沖縄の真の自治を実現するための議論と運動が活性化するきっかけとなることを、期待します。そして沖縄の人びと自身によるそのような議論と運動の高まりが、東アジアの平和的秩序を創造する大きな力となることを、私は信じます。

長春だより

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