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SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへの応答 [日本・現代社会]

SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへ

SEALDsのHPの文言をめぐり、私が拙ブログに書いた批判について、facebook上にコメントをいただき、ありがとうございます。

SEALDs(シールズ)は大学生を中心とする運動であるにもかかわらず、奇妙なことに、私の批判に対して応答・反批判・罵倒してきたSEALDsの支持者たちは、ほとんどが大学生とは思われない年齢の人ばかりだったので、驚いていました。ようやく、SEALDs本来の大学生メンバーであり、HPの声明文を書いた一人である奥田さんから応答をいただい、大変喜んでおります。以下、大きく三つの問題について述べさせていただきます。

1、旧日本帝国のアジア侵略責任の問題

繰り返し述べてきたように、東アジアに平和的な秩序を打ち建てるための大前提は、かつて日本帝国が犯したアジア侵略の責任を今の日本国家が真摯に引き受け、清算することです。したがって日本の平和運動は、日本政府が過去の侵略責任を引き受け清算するよう、常に圧力をかけ続けねばなりません。それを怠る限り、日本の平和運動は東アジア各国の人びとから真の信頼を得ることはできません。

SEALDsの声明文は「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます」と述べながら、日本国の侵略責任問題をどのように追及してゆくかについては一言も触れていません。にもかかわらずSEALDsが「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」と主張することは、東アジアの平和に何らつながらないばかりか、そうした日本人の傲慢な独善性に対する、アジアの多くの人びとの反発を呼び起こすことでしょう。

私がそのように断言するのは、私が中国の東北部に住み、皮膚感覚としてそれを感じるからです。日本に住む日本人が、かつて日本に侵略されたアジアの人びとの気持ちを理解するには、多くの想像力が必要でしょう。

私の住んでいる長春は、1931年に日本軍が中国東北部を侵略して傀儡国家「満洲国」をでっち上げ、その国都として「新京」と改名された都市です。新京市の建設のため、多くの地元農民の土地が暴力的に奪われました。日本は満洲国に32万人の日本人開拓移民を送り込みましたが、彼らが移住した土地は、もともとそこに住んでいた中国人の農地を奪い取ったものでした。そうした日本の暴虐に怒って抗日運動を起こした人びとは徹底的に殺戮され、あるいは人体実験の材料として生きたまま身体を切り刻まれました。現在でも、そのことを知らない中国人はまずいません。

今東アジアで注目されている慰安婦問題を含め、大日本帝国のアジア侵略責任を公式に日本政府が引き受けたことは、戦後七十年の間一度もありません。この問題について、SEALDsの声明文はなぜ一言も触れていないのでしょうか。

私の意見に対して、SEALDs支援者たちから多くの反論が寄せられましたが、私が最も重視しているこの問題については、不思議なことに誰ひとりとして真剣に触れようとしません。ただひとり奥田さんだけが、「過去の過ちの清算、真の意味での和解ができる日が、1日でも早くる事を望んでおります」と、この問題にきちんと向き合う姿勢をみせていただけました。

もしSEALDsが東アジアの平和秩序の建設に積極的な役割を果たしたいのであれば、ぜひメンバーの間で討論を行い、SEALDsの公式見解いわば最小限綱領として、日本政府が卑劣にも逃げ続けてきた侵略責任の清算という問題を必ず声明文の中に入れねばならないと、私は考えます。

2、日本の民主主義と沖縄の問題

奥田さんは、SEALDsの学生が30人ほど入れ替わり立ち代り辺野古で座り込みをしてきた事実を教えてくれました。そういうことであれば、沖縄の「復帰」後四十年以上経った今も、日本国の民主主義が沖縄を除外し続けている事実を、SEALDsのメンバーたちが知らないはずはないでしょう。

にもかかわらず声明文には、「戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重し」、「日本の自由民主主義の伝統を守る」、「戦後70年間、私たちの自由や権利を守ってきた日本国憲法の歴史と伝統」、などとあります。これらの文言を読むと、ここで言う「この国」「日本」からは沖縄が除外されているのではないか、と私は感じざるを得ません。

戦後70年、日本国の民主主義が一貫していかに欺瞞的なものだったかを、現在沖縄で行われている闘いは私たちに突き付けています。SEALDsが沖縄の闘いと真に連帯することを求めるのであれば、現在の声明文は必ず改められねばならないと、私は考えます。

3、韓国人研究者に対するSEALDs支持者による深刻な人権侵害の問題

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDsに対する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評です。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、野間易通氏ら多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては脅迫行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

鄭さんは、この春に再来日したばかりの韓国人研究者であり、在日コリアンではありません。もちろん日本の政治・社会運動とは何の関係ももっていません。彼女は外国人としての立場から、SEALDsのHPを読んでその客観的な感想を正直にご自身のfacebookに書いただけのことです。ところが、彼女に対してSEALDsの一部支持者たちが加えている誹謗中傷・脅迫攻撃は、恐怖と恥辱を与えることで口を封じ、さらには彼女の研究者としてのキャリアまで粉々に打ち砕くことを目的とするような、悪質で卑劣な暴力そのものなのです。

ようやく日本での研究生活が落ち着いてきたばかりの外国人女性が突然、多くの日本人たちから理不尽な攻撃・脅迫行為を受けたのです。その恐怖と苦悩はいかにひどいものだったでしょう。海外に住む私には、そのとてつもない恐怖がある程度察せられます。

鄭さんには、そんな理不尽な仕打ちを受けるべき何の過失もありません。ただSEALDsの声明文を批評しただけで、野間氏らSEALDsの一部支持者たちから袋叩きに遭ったのです。しかも、彼らによる攻撃は今でも延々と続いています。

SEALDsの声明文の冒頭には、「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」と謳われています。批判を受け取り、議論をもって応答するのは、民主主義社会の最も基本的な原則でしょう。ところがSEALDsの一部支持者たちは、「自由と民主主義に基づく政治」を自ら否定するかのように、鄭さんの批評に対して、それを受けとめることを頭から拒絶し、誹謗・中傷・脅迫という暴力をもって答えているのです。

奥田さん。あなたは、執拗に続いている鄭さんに対するこの深刻な人権侵害を、当然知っているでしょう。あなたを含むSEALDsの中心メンバーが、こうしたやり方はおかしいとはっきり表明しさえすれば、この異常事態はすぐに止むはずです。ところが、あなたがたは今に至るまで、人権侵害を防ぐための行動を何一つ起こそうとしていない。なぜですか?まさか、SEALDsを批判した者・運動の邪魔をする者は、外国人であれ、徹底的に打撃を与えて当然だ、という発想をもっているわけではないでしょう?

日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう。

たとえいかに「正当」な政治的な目的があったとしても、運動遂行の手段として、一人の善良な外国人の人権を踏みにじることが許されてはなりません。それを黙認するような運動は、決してまっとうな運動とはいえないのです。

奥田さん、そしてSEALDsメンバーのみなさん!野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害を一刻も早く止めるため、早急に行動することを私は要請します。

〔後記:一部字句を修正しました。6月26日6:26(北京時間)、7:23(同)〕
〔後記2:一部リンク切れのため、リンク先を変更しました。6月27日14:12(北京時間)〕

〔後記3:「人権侵害」についての補足説明 6月28日2:13(北京時間)、一部字句修正11:27(同)〕
野間易通氏は、鄭玹汀さんを批判するツイッター上の発言を集めたまとめサイトをつくっています。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言のうち、U氏やk氏の発言の中には、鄭さんに対する脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏はそうした鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言をまとめただけでなく、被批判者を「間抜け」呼ばわりする題名をつけることによって、それら人権を侵害する発言を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布しています。

なお6月28日1時58分(北京時間)現在、U・k両氏のツイッターは非公開設定になっています(二人が自分の発言の不適切さを認識し、自発的に非公開にした可能性があります)。にもかかわらず、野間氏が作成したまとめサイトのために、脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言が、現在もネット上の不特定多数に流布され続けているのです。

野間氏は社会運動家として、自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っています。

野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが濃厚な発言がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを閉鎖することです。しかし野間氏はそれを意図的に怠ることによって、U・k両氏が自分のツイッターを非公開にしたあとも、鄭さんの人権を侵害する彼らの発言を不特定多数が閲覧できる状況に置き、その流布を助長しています。

本文中にある「野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害」とは、以上の事実を指します。

大井赤亥氏への回答(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDsのHPの文言について論じた拙論に対して、今度は大井赤亥氏からfacebook上で批判がありました。

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大井氏によれば、SEALDsのHPの文言は、トイレによく見られる「いつもトイレをきれいにご使用いただきありがとうござます」という標語と同様のレトリックである。この標語は、全ての人がトイレをきれいに使っているという事実を示すものではなく、「だれもがトイレをきれにつかっている」という建前をもって、「あなたもトイレをきれいに使え」とプレッシャーをかけるためのものだ。「日本は平和国家である」「日本は自由と民主主義を確立した」「日本は犠牲と侵略を反省した」というSEALDsの主張もそれと同様、現にある事実を示すものではなく、「自民党でさえ『建前』として述べているその規範を前提化し、それを当然とすることで、『だから現政権も平和主義でいろよ』『自由と民主主義にしたがって振る舞えよ』『侵略と犠牲を反省しろよ/少なくとも河野談話・村山談話くらいは保持しろよ』というプレシャーをかけている」のだ、という。 そして大井氏によれば、SEALDsは必ずしも日本が完全な平和・自由・民主主義の国家だと考えているのではない。ただしこれらの標語は「建前」として安倍政権すら踏襲しているわけだから、この標語によって「そういう『建前』を守れよ、少なくともその線にまで戻って、その線を順守して政治を行えよ、というメッセージ」をSEALDsは発している。そしてこのメッセージこそ、現在の政局や言葉をめぐるヘゲモニー闘争において重要性を増しているのだ、というのである。
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以上が大井氏の主張の要旨ですが、私はSEALDsのHPの主張をこうしたレトリックとして捉えようとする氏の発想自体に、疑義を覚えます。

そもそも大井氏が言う日本の「トイレ」の標語のレトリックは、多数の人が日常的にトイレを比較的きれいに使っているという事実の前提があって、はじめて成り立つものでしょう。世界有数の清潔さを誇る日本の公衆トイレだからこそ、そうした標語は機能することができるわけです。しかし例えば、仮に中国の普通の公衆トイレにそのような標語を掲げたとしても、残念ながら何の意味もありません。現実と余りにも異なるそうした標語は、政権党の下部組織が街のいたるところに掲げている「きれいごと」と同じく、民衆には皮肉な一瞥で無視されるだけでしょう。

SEALDsのHPの文言も同様です。「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」という主張が、仮に大井氏のいうような政権にプレッシャーを与える「レトリック」であるとしましょう。そこにもやはり、日本国民の多数が(完全無欠でないまでも)比較的に「平和主義者」であり「自由と民主主義」の擁護者であり、かつての「侵略と犠牲」をある程度「反省」している、ということが前提として想定されているのです。

ところが私が批判するのは、大井氏をはじめ多くの人が無自覚にもっているそうしたナイーブな発想自体なのです。

確かに、現天皇が「平和主義者」(?)だと称賛されるのと同レベル程度には、日本国民も「平和主義者」なのでしょう。だが私は、こうした意味で「平和主義」をうんぬんする言葉の薄っぺらさ、胡散臭さに、とても耐えられません。

何度でも言いましょう。旧大日本帝国のアジア侵略の責任を日本国が真摯に引き受け、謝罪し、清算しない限り、日本国の「平和主義」なるものは空念仏だ、と。大日本帝国の侵略責任に対して真剣に取り組まないような「平和運動」も同じことです。私の知っている中国の人たちは、そうした運動に対して表面上は愛想よく笑顔を見せるかもしれませんが、侵略責任をスルーするような日本人の偽善を心の底でせせら笑うに違いありません。

そうした侵略責任問題の中で、東アジアで今最も注目されているのは慰安婦問題です。ところが、日本の全国紙の中で最も「リベラル」と言われる『朝日新聞』や、同紙および岩波書店の『世界』が重用する「リベラル」な知識人たちすら、慰安婦問題について日本国の国家責任を真剣に追及しようとしません(拙ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」および「高橋源一郎氏の「慰安婦」論」 を参照)。こうした日本国の現状で、「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと主張することがいかに傲慢で独善的なものかは、言うまでもないでしょう。

たとえこうした文言が政権に「プレッシャー」を与えるためのものだとしても、侵略責任への真剣な取り組みへの決意を欠いたその「平和主義」が結局、「河野談話」・「村山談話」を擁護する程度の線で止まってしまうのは明白でしょう。これらの談話は周知のように歴代の日本政府が踏襲してきたもので、現在の安倍極右政権すら建前としては否定していません。この現状維持の線では、日本政府が慰安婦問題をはじめとする過去の侵略の国家責任を引き受けることは、まずありえません。ところが東アジアに平和的秩序を打ち建てるために一歩を踏み出すには、この線を突破して、日本国に過去の侵略責任を引き受けさせ、謝罪・清算させるという市民の決意が、絶対に不可欠なのです。

「自由と民主主義」についても同様のことがいえます。大井氏の論理では、日本国民の多数が一応は「自由と民主主義」の擁護者だということが前提にされなければなりません。だがそうした意味での日本国の「自由」や「民主主義」がいかに薄っぺらなものであるかは、前の二つの記事で指摘したとおりです。そもそも、「自由と民主主義に基づく政治を求めます」と宣言しているSEALDsの支援者らしき多くの人びとが、ある韓国人の女性研究者(在日コリアンではない)の冷静な問題提起に対して罵倒と誹謗を集中させるという、およそ民主主義とは正反対の行動を続けているのは、もはやブラックユーモアというしかないでしょう(この問題については近く再論する)。

大井氏には、まずは中国に来て、地方都市の路上の公衆トイレにでも入り、果たして件の標語のレトリックが有効なものかどうか、とくと考えてみることを勧めます。そのうえで、日本の「平和主義」「自由と民主主義」の惨状に照らして、SEALDsのいくつかの主張の妥当性・有効性についても、再検討していただきたいものです。

〔後記:一部字句修正しました。6月25日14時25分(北京時間)〕

木下ちがや氏からの批判に答える(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のHPの主張について私が拙ブログで展開した批判(http://datyz.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21-1 )に対して、旧知の木下さんからfacebook上で次のような批判が来ました。「偉そうな文章ですね。きちんと運動に同伴もしないで遠方から高踏な批評を述べてことたれり、という姿勢にしかみえない」と。

これに対して、私は次のように応答しておきます。

木下さん、お久しぶりです。あなたの言う「運動」とはなんでしょうか?あらゆる人の日常のなかに「現場」があり、そこに自分なりの「運動」がある、というのが私の考えです。ご自分たちの関わる「運動」だけが特別に重要で、それに「同伴」しないからといっていきなり罵倒するような傲慢な態度からは、真の民衆の連帯は生まれようがないのではありませんか?そうした態度こそ、120年に及ぶ近代日本の社会運動を毒しつづけ、敗北に追いやった要因の一つではなかろうかと、私は考えております。

それから、私は「SEALDs」の「運動」自体を批判したのではなく、そのHPにある主張(おそらくこの団体の綱領のようなものでしょう)について、私の信じる立場から批判したのです。私の立場というのは、拙ブログで繰り返し表明しているように、東アジアに真の平和をもたらすための前提条件は、旧大日本帝国のアジアに対する侵略責任を日本国が真摯に引き受け、清算することにある、というものです。この立場は私が拙ブログで一貫して述べ続けているもので、ここから「SEALDs」のHPが掲げる「安全保障」政策を批判したわけです。

もしあなたの信じる立場が私と異なるのであれば、「高踏」的の一語で済ませるのではなく、どうぞ反批判をしていただけませんか。有益な議論というものはそういうもので、残念ながら党派性の濃厚な近代日本の社会運動に一貫して欠けているものだと思います。「SEALDs」のHPは「日本の自由民主主義の伝統」を称揚していますが、私が戦後日本の「民主主義」の欠陥をこそ見つめねばならないと考えるのは、そういうわけです。

私は自分の立場から誠意をもって「SEALDs」のHPの主張を批判しました。ところが残念ながら、それはあなた方にいわせると、「偉そう」、「運動の邪魔をするな」ということになるのでしょう。批判が生産的な議論の材料として受け入れられず、友か敵かという党派的・二分論的発想のために、不毛な罵倒の応酬となってしまうのも、日本の民主主義の未熟を示すものでしょう。「SEALDs」の若者たちは、こうした大人たちを反面教師としながら、日本の民主主義を前進させてほしいと、私は心から願います。

(後記:木下氏については当初匿名としていましたが、諸般の事情を考え、日本の社会運動の当事者として責任をもった言論を展開していただくことを期待し、実名に変更しました。6月25日)

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)についての雑感 [日本・現代社会]

安倍政権が安保法案をめぐり衆院憲法審査会で墓穴を掘って以来、法案の違憲性について多くのメディアが盛んに報じるようになった。それを追い風に、安保法案の阻止を目指す市民運動が活発になっている。そこでにわかに脚光を浴びて運動の中心に躍り出たのが、SEALDs(シールズ―自由と民主主義のための学生緊急行動)だ。

このたび機会あってSEALDsのホームページを熟読してみたが、その主張にはいくつか疑問を感じるところがあった。私とてわざわざ海外から、せっかく盛り上がってきた運動に冷や水を浴びせるつもりはない。しかし日本社会の民主主義と東アジアの平和について考えるうえで重要な問題だと考え、以下にあえて疑問点を記しておきたい。

SEALDsの主張は「CONSTITUTIONALISM(立憲主義)」・「SOCIAL SECURITY(社会保障)」・「NATIONAL SECURITY(安全保障)」の三点から成る。なかでも最も問題だと考えるのは、「安全保障」についての彼らの考え方だ。

SEALDsは外交・安全保障政策について次のように主張している。

---------------(引用はじめ)
私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。現在、日本と近隣諸国との領土問題・歴史認識問題が深刻化しています。平和憲法を持ち、唯一の被爆国でもある日本は、その平和の理念を現実的なヴィジョンとともに発信し、北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべきです。
----------------(引用おわり)

ここでは、北東アジアの平和を脅かすものとして「領土問題」と「歴史認識問題」の二つが指摘されている。前者の領土問題についてSEALDsがどのような主張をもっているか、HPからはうかがい知ることができない。後者の歴史認識問題をめぐっては、あっさりと「歴史認識については、当事国と相互の認識を共有することが必要です」と述べたうえで、次のように続けている。

-----------------(引用はじめ)
先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります。
-----------------(引用おわり)

ここには図らずも、彼らの歴史認識が吐露されている。日本国は「多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した」というのである。確かに1995年の村山談話は、「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た歴史について「痛切な反省の意を表し」、「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」と述べている。

だが、そうした「犠牲と侵略」に対する日本国の「反省」は、どれほど実効性をもつものだっただろうか。例えば慰安婦問題について、日本政府は公式の謝罪を回避して、総理個人の「気持ち」を示した「おわびの手紙」と民間の寄付による「償い金」でお茶を濁そうとしたが、こうした姑息策は元慰安婦の方々の人権の回復を妨げる結果をもたらしている(本ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」を参照)。日本国が過去の侵略責任を真摯に清算しない限り、「当事国と相互の認識を共有すること」などできるはずがなく、東アジアに真の平和的秩序が打ち建てられることは決してないだろう。

そうした狡猾な日本国の「平和主義」を心底から信じるようなお人好しの国など、世界中どこにも存在しない。日本国が「侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した」などという、日本国内でしか通用しない内向きの幻想の上に立って、「東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャル」が日本国にはある、などと平然と語る日本人の(おそらく無意識の)傲慢な独善性に、アジアの多くの人びとは当然反発し、身構えることは間違いない。現状において、日本が「北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮する」可能性などゼロであることに、そろそろ気が付いてもよいはずなのだが。

そしてHPの冒頭には、SEALDsの根本的な立場が次のように述べられている。

-----------------(引用はじめ)
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。  私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。
-----------------(引用おわり)

ここで高々と掲げられている「戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統」とは、いったい何だろうか?戦後いや戦中から一貫して、「安全保障」の名目で沖縄に多大な犠牲を強い続けて恥じない日本国と、それを黙認し続けてきた国民のどこに、「尊重」すべき「自由と民主主義の伝統」があるのだろうか?「守る」べき「自由で民主的な日本」など、かつて存在したことがあるのだろうか?

そもそも日本国の民主主義の危機は、安倍政権になって突然生じたわけではない。「いまだ達成されていない未完のプロジェクト」たる「平和憲法の理念」を実現する道は、戦後の日本国の民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければならないだろう。昨年来高まってきた自己決定権の回復を求める沖縄の叫びは、そのことを私たちにはっきりと認識させたのではなかったか。

私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます」とSEALDsのHPは謳っている。確かにさまざまな平和勢力が結集して安倍政権を圧倒することは、この社会の民主主義を前進させるうえで喫緊の課題だろう。だが、「日本の自由民主主義の伝統」なるものがアジアや沖縄からの問いかけを無視するものであるならば、それを「守る」ことが平和勢力の結集軸になるとは、私にはとうてい考えられない。

以上、あえて厳しく書いてみた。中国に住んでいる私の、日本の最近の運動に対する誤解もあるかもしれないが、一つの問題提起として必ずしも無意味ではないと信じる。

もちろん、戦争はイヤだというSEALDsの若者たちの声が真摯なものであること自体を疑っているわけではない。戦争になれば真っ先に駆り出されるのは彼らだからだ。とはいえ、現在東アジアに垂れこめる暗雲は、安倍極右政権が転びさえすれば吹き飛ばされるような薄っぺらなものではなくて、近代アジア150年の歴史的因縁と深く重く結びついたものであることを、忘れるべきではないと思う。そのためにも日本の若者たちは、島国的・独善的な閉鎖性に陥ることなく、アジア各地の若者たちとこの問題を積極的に討論してみてはどうだろうか。

長春の清真寺(モスク) [中国・近現代史]

下の写真は長春の清真寺(イスラム礼拝堂、モスク)。長春市内で最も古い建築物の一つで、吉林省の重点文物(重要文化財)に指定されている。
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そもそも長春という都市は、清朝の後期に長春庁が設置されたことに始まる。小さな街を取り囲む形で城壁が建設されたのは1865年。この地に清真寺が建てられたのはそれを四十年も遡り、1852年に現在地に移転して今日に至る。

清朝末期まで辺境のちっぽけな城市にすぎなかった長春が急速に発展しはじめたのは、二十世紀に入ってからのことだ。その発展は帝国主義列強の満洲(中国東北部)侵略とまさに歩みを共にしていた。帝政ロシアが清朝から奪った利権として満洲を東西・南北に貫く鉄道路線(中東鉄道)を完成させたのが1903年。間もなく勃発した日露戦争によって、日本はロシアから長春以南の鉄道利権を奪い取り(南満洲鉄道=満鉄)、長春駅の周辺に一種の植民地として「満鉄附属地」を設置、その域内では日本が行政・司法・警察・軍事権などを行使した。

1931年9月18日に始まる満洲事変によって中国東北部を手中に収めた日本の関東軍は、翌年「満洲国」を建国、長春を「新京」と改めこれを国都とした。仏教・キリスト教・イスラム教・道教など現地のあらゆる宗教は、その軍事的権力の統制下に置かれ、傀儡国家の統治への利用が試みられてゆく。

1945年8月、日本の敗戦とともに満洲国は崩壊、ソ連軍が中国東北部を席巻した。その後長春では中国国民党による統治が始まるが、まもなく共産党との内戦に突入。東北人民解放軍による五か月間の包囲戦の末、48年10月、長春の国民党軍は降伏した(この包囲戦の間、一般市民に数十万の餓死者が出たと言われる)。

1960年代、文革の荒波は長春にも押し寄せ、清真寺の敷地は市の中学校によって占有された。文革終了後の79年に中学校はようやく移転し、清真寺は修築されてムスリムの信仰の拠点として復活した。かつて清真寺には巨大な榆(にれ)の老木があり、二十メートル四方に枝を伸ばす様子から「九龍榆」と呼ばれてムスリムたちに親しまれていたが、文革の動乱中にひどく痛めつけられたことがもとで、90年代に枯死してしまったという。

現在、吉林省のイスラム教徒人口は約11万9千人で、全人口の0.4%余り(2010年)。清真寺の周囲には、回族(イスラム化した漢民族)をはじめ少数民族の経営するイスラム系のレストランやホテルが立ち並ぶ。なかでも有名なのは「回宝珍餃子館」で、張作霖統治下の1924年に開店した長春有数の老舗だ。
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長春の激動の百五十年を見つめつづけてきた清真寺。このモスクが歴史の数々の荒波に耐え、長春市内最古の建築物という栄誉を担っているのは、それがムスリムたちの信仰の空間としていかに大切に守られてきたかを、物語っていよう。

長春だより

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