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木下ちがや氏からの批判に答える(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のHPの主張について私が拙ブログで展開した批判(http://datyz.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21-1 )に対して、旧知の木下さんからfacebook上で次のような批判が来ました。「偉そうな文章ですね。きちんと運動に同伴もしないで遠方から高踏な批評を述べてことたれり、という姿勢にしかみえない」と。

これに対して、私は次のように応答しておきます。

木下さん、お久しぶりです。あなたの言う「運動」とはなんでしょうか?あらゆる人の日常のなかに「現場」があり、そこに自分なりの「運動」がある、というのが私の考えです。ご自分たちの関わる「運動」だけが特別に重要で、それに「同伴」しないからといっていきなり罵倒するような傲慢な態度からは、真の民衆の連帯は生まれようがないのではありませんか?そうした態度こそ、120年に及ぶ近代日本の社会運動を毒しつづけ、敗北に追いやった要因の一つではなかろうかと、私は考えております。

それから、私は「SEALDs」の「運動」自体を批判したのではなく、そのHPにある主張(おそらくこの団体の綱領のようなものでしょう)について、私の信じる立場から批判したのです。私の立場というのは、拙ブログで繰り返し表明しているように、東アジアに真の平和をもたらすための前提条件は、旧大日本帝国のアジアに対する侵略責任を日本国が真摯に引き受け、清算することにある、というものです。この立場は私が拙ブログで一貫して述べ続けているもので、ここから「SEALDs」のHPが掲げる「安全保障」政策を批判したわけです。

もしあなたの信じる立場が私と異なるのであれば、「高踏」的の一語で済ませるのではなく、どうぞ反批判をしていただけませんか。有益な議論というものはそういうもので、残念ながら党派性の濃厚な近代日本の社会運動に一貫して欠けているものだと思います。「SEALDs」のHPは「日本の自由民主主義の伝統」を称揚していますが、私が戦後日本の「民主主義」の欠陥をこそ見つめねばならないと考えるのは、そういうわけです。

私は自分の立場から誠意をもって「SEALDs」のHPの主張を批判しました。ところが残念ながら、それはあなた方にいわせると、「偉そう」、「運動の邪魔をするな」ということになるのでしょう。批判が生産的な議論の材料として受け入れられず、友か敵かという党派的・二分論的発想のために、不毛な罵倒の応酬となってしまうのも、日本の民主主義の未熟を示すものでしょう。「SEALDs」の若者たちは、こうした大人たちを反面教師としながら、日本の民主主義を前進させてほしいと、私は心から願います。

(後記:木下氏については当初匿名としていましたが、諸般の事情を考え、日本の社会運動の当事者として責任をもった言論を展開していただくことを期待し、実名に変更しました。6月25日)

長春だより

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