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日本共産党の自衛隊「活用」論の歴史過程 [日本・現代社会]

日本共産党の志位委員長は4月7日、「参議院選挙勝利・全国総決起集会」において、ウクライナ情勢を踏まえて次のように述べた。

憲法9条を生かした日本政府のまともな外交努力がないもとで、「外交だけで日本を守れるか」というご心配もあるかもしれません。それに対しては、東アジアに平和な国際環境をつくる外交努力によって、そうした不安をとりのぞくことが何よりも大事だということを、重ねて強調したいと思います。同時に、万が一、急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬくというのが、日本共産党の立場であります。 (中略)  ここで強調しておきたいのは、憲法9条は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止していますが、無抵抗主義ではないということです。憲法9条のもとでも個別的自衛権は存在するし、必要に迫られた場合にはその権利を行使することは当然であるというのが、日本共産党の確固とした立場であることも、強調しておきたいと思います。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-04-08/2022040804_01_0.html

この発言がNHKや『読売新聞』などで報じられたことで、波紋が広がっている。
これについて、共産党は突然立場を変えたのかと訝しがる人もいれば、いや、これは綱領に沿う一貫した党の立場だ、という見方もある。実際のところは果たしてどうだろうか。

まず注意したいのは、日本共産党は敗戦直後から現在まで一貫して、日本国家が自衛権を保持することを正当なこととして主張してきたことだ。

1946年6月の衆議院本会議で日本国憲法草案の審議が行われた際、第9条の戦争放棄条項について、日本共産党政治局員の野坂参三は次のように主張した。戦争には日本の帝国主義者が起こしたような「侵略戦争」と、中国のように「侵略された国が自国を守るための戦争」すなわち「防衛的な戦争」(自衛戦争)とがある。前者は「不正の戦争」であるが、後者は「正しい戦争と言つて差支へないと思ふ」、したがって放棄すべきは侵略戦争であって自衛戦争ではない、と。それに対して吉田茂首相は、自衛戦争を認めるのは「戦争を誘発する有害な考へである」と答弁している(第90回帝国議会衆議院本会議第8号、1946年6月28日)。

他方、自衛隊については、共産党は1961年綱領(第8回党大会)で、「日本の自衛隊は……日本独占資本の支配の武器であるとともに、アメリカの極東戦略の一翼としての役割をおわされ」ており、「アメリカ帝国主義と日本独占資本は、自衛隊の増強と核武装化をすすめ、弾圧機構の拡充をおこない……軍国主義の復活と政治的反動をつよめている」として、「自衛隊の解散を要求」している。

日本共産党は、外国からの侵略に対する日本国家の武装的抵抗としての自衛を正当な権利として認める考えから、日本社会党の「非武装・中立」論とは異なる立場を取ってきた。1975年第12回党大会では、「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」の採択にあたり「急迫不正の侵略にたいして、国民の自発的抵抗はもちろん、政府が国民を結集し、あるいは警察力を動員するなどして、その侵略をうちやぶることも、自衛権の発動として当然」であり、「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然」だとされた。

外部からの侵略に対し「可能なあらゆる手段を動員してたたかう」自衛権の保持の主張と、自衛隊否定の主張とを調和させることは、容易ではなかった。将来幅広い民主統一戦線を結集して「民主連合政府」が樹立され、アメリカ帝国主義を追い払い、日本が「独立・中立」の主権国家となったあかつきには、憲法9条はむしろ日本の独立・中立を守るのに必要な自衛権を制約しかねない。そこで9条を将来改定することも議論された。1980年5月の三中総で採択された「八〇年代をきりひらく民主連合政府の当面の中心政策」では、自衛隊解散に進む一方、「独立国として自衛措置のあり方について国民的な検討と討論を開始する」とされた。こうした共産党の安全保障政策方針は「中立・自衛」論と呼ばれる。

だが、冷戦終結後の90年代になると、このような共産党の「中立・自衛」論は転換されることになる。

1994年7月の第20回党大会の決議では、「憲法九条にしるされたあらゆる戦力の放棄は……わが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである」という考えのもと、「わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障」として「急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本」だとしている。将来においても憲法9条を維持し、戦力を保持せず、「急迫不正」の侵略に対する自衛措置は非軍事的になされることが明記されたのである。

ところが、さらに大きな転換が、2000年11月の第22回党大会決議で行われた(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2000/11/post-330.html )。この決議では、将来の「民主連合政府」において自衛隊問題を「段階的」に解決する方針を打ち出した。その第一段階は「日米安保条約廃棄前の段階」、第二段階は「日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階」、第三段階は「国民の合意で、憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階」であるとされる。

こうした「憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられない」として、次のように述べられている。

憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実 施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。 / そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。


こうして日本共産党は、「自衛隊を国民の安全のために活用する」という主張を始めて打ち出したのである。その背景には、98年7月の参議院選挙の比例代表で共産党が過去最高の得票数を得たことで、政権に参加する道を模索する動きが出はじめたことがあるだろう。

ただし、「急迫不正の主権侵害」下での自衛隊の「活用」というのはあくまで、将来実現されるべき、日米安保条約と自衛隊を解消してゆく過渡期たる「民主連合政府」においてのことだとされていることに、注意せねばならない。このことについて、2003年8月に行われた講演で、志位委員長は次のように明言している。(https://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_08/2003_0826_1.html

こうした自衛隊の段階的解消という方針は、民主連合政府と自衛隊が、一定期間共存することが避けられないということを意味します。このことから、一つの理論的設問が出てきます。そうした過渡的な時期に、万一日本が攻められたらどうするのか。この設問に対する私たちの答えは、そういうときには、動員可能なあらゆる手段を行使して、日本国民の生命と安全を守る、あらゆる手段のなかから自衛隊を排除しない、すなわち自衛隊も活用していくということが、私たちの答えです。


ところが2015年以降、この方針が変えられてゆく。2015年9月に安保法制が成立した後、日本共産党は安保法制を廃止するための政権交代を実現するため、安保法制廃止の一点で一致する政党・個人・団体による「国民連合政府」という連立政権構想を打ち出し、他の野党に選挙協力を呼び掛けた。なお、この「国民連合政府」というのが、日米安保廃棄など「民主主義革命」の課題を担う「民主連合政府」とは異なり、単に安保法制廃止の一点のみでまとまった連立政権として考えられていることは注意を要する。

この構想は、他の野党から懐疑や反対の声が出たために棚上げとなったが、これ以降「野党共闘」の選挙協力が行われるようになった。2016年7月の参院選に際し、日本共産党の「参院選法定2号ビラ」には次のように書かれている。

私たちは、自衛隊は憲法違反の存在だと考えています。同時に、すぐになくすことは考えていません。国民の圧倒的多数が「自衛隊がなくても大丈夫」という合意ができるまで、なくすことはできません。将来の展望として、国民の合意で9条の完全実施にふみだすというのが、私たちの方針です。 / それまでは自衛隊が存続することになりますが、その期間に、万一、急迫不正の主権侵害や大規模災害などがあった場合には、国民の命を守るために自衛隊に活動してもらう―この方針を党大会で決めています。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-01/2016070103_02_0.html

2000年の党大会決議では、「急迫不正の主権侵害」下での自衛隊の「活用」というのは、あくまで将来の「民主連合政府」でのことだとされていたのが、このビラではそれがあいまいになっている。2017年1月の第27回党大会の決議においても、次のように述べられている。

かなりの長期間にわたって、自衛隊と共存する期間が続くが、こういう期間に、急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。日本共産党の立場こそ、憲法を守ることと、国民の命を守ることの、両方を真剣に追求する最も責任ある立場である。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2017/01/post-746.html

自衛隊の「活用」は「民主連合政府」が将来樹立された後のことである、という2000年決議での限定が、この2017年の決議では消えてしまっている。前年の参院選での野党共闘に対しては、与党側から、自衛隊を違憲とする共産党と、立場の全く異なる他の野党とが共闘するのは「野合」だ、という非難が盛んになされた。そうした攻撃に対し、野党共闘の正当性を主張するための論理を作る中で、この決議が打ち出されていることに注目したい。ここでは、非自公政権に共産党が参加する場合、党は「急迫不正の主権侵害」に対する自衛隊の「活用」に反対しない、ということが示唆されているようにみえる。

今年2022年のはじめ、日本共産党は「あなたの「?」におこたえします」というパンフレットを作成し、将来共産党が政権に入った場合(あるいは閣外協力)、日米安保・自衛隊・天皇制など基本的な国策をどうするかを説明している(https://www.jcp.or.jp/web_download/202202-JCP-gimon.pdf )。その中で、「私たちは“安保条約の賛否”をこえて、皆さんと力をあわせます」、「与党になったら天皇制は廃止?そんなことは絶対にしません」などと明記するのとともに、自衛隊については次のように説明している。

国民が「なくても安心」となるまでは存続/ 共産党は、いますぐ自衛隊をなくそうなどと考えていません。将来、アジアが平和になり、国民の圧倒的多数が「軍事力がなくても安心だ」と考えたときに、はじめて憲法9条の理想にむけてふみだそうと提案しています。 / 万が一、「急迫不正」の侵略をうけたら…自衛隊もふくめて、あらゆる手段をもちいて命を守ります。国民の生存、基本的人権、国の主権と独立を守るのは、政治の当然の責務だからです。


このパンフレットに「民主連合政府」の文字はどこにもない。ここに読み取れるのは、共産党が非自公政権に参加した場合、あるいは閣外協力の場合でも、「急迫不正」の侵略に対しては自衛隊の武力行使を認める、ということである。パンフレットの末尾には、「安保条約や自衛隊など、他の野党と意見のちがう問題を政権には持ち込みません」と明記されている。

ここでもう一度、冒頭で挙げた今月7日の志位委員長の発言を検討しよう。

憲法9条を生かした日本政府のまともな外交努力がないもとで、「外交だけで日本を守れるか」というご心配もあるかもしれません。それに対しては、東アジアに平和な国際環境をつくる外交努力によって、そうした不安をとりのぞくことが何よりも大事だということを、重ねて強調したいと思います。同時に、万が一、急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬくというのが、日本共産党の立場であります。 (中略) ここで強調しておきたいのは、憲法9条は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止していますが、無抵抗主義ではないということです。憲法9条のもとでも個別的自衛権は存在するし、必要に迫られた場合にはその権利を行使することは当然であるというのが、日本共産党の確固とした立場であることも、強調しておきたいと思います。


この志位発言には、従来の共産党の見解に新しく付け加えられたことがある。「急迫不正」の侵略に対して自衛隊を使用する目的は従来、「国民の生命と安全」を守ることとされていたのが、ここではさらに「日本の主権を守り抜く」ことがはっきりと付加されたことである。さらに、共産党の参加・協力する政権に限らず、現在の自公政権においても、「急迫不正の主権侵害が起こった場合」には、「個別的自衛権」の行使、すなわち「自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬく」のが共産党の立場だ、と宣言しているように読み取れるのである。

自衛隊の使用をめぐる今回の志位氏の発言の趣旨は、決して突然現れたものではない。その原型は、2000年の大会決議における党の方針転換において生まれたものであった。そしてその原型は以後、二十数年間の政治情勢の変化の中で徐々に変質を加えてゆき、ウクライナ戦争勃発による危機感の高まりによって、ついにここに至ったのである。

国会内政党の中で最も「左」に位置する共産党の自衛隊をめぐる見解の変化は、近年の国際情勢の変動に伴う日本の世論全体の動きを反映しているのであろう。ともかく今後、自衛隊の武力行使をめぐって、国会で「挙国一致」の状況が出現しないとも限らない。そういう悪夢だけは決して見たくないものだ。

2021年衆院選と社民党――「無産政党」の来し方、行く末 [日本・現代社会]

一昨日投開票された衆院選の結果がほぼ出そろった。「予想どおり」「予想外」の両面があるこの結果について、すでにさまざまな分析や論評が出ている。

ここで私は、比例代表で社民党の議席獲得数がついにゼロになった事実について考えたい。

社民党は、2012年以来三度の総選挙で、沖縄の小選挙区で1議席、九州ブロックの比例代表で1議席のみという低迷が続いていた。それが今回、ついに九州ブロックの議席を失うことになった。
昨年末の立憲民主党との合同問題をめぐる分裂騒動から、この事態はすでに予想されていたのではあるが。
政党交付金の対象となる政党要件の維持どころか、党そのものの存続すらもはや危うい状況だ。

社民党の党勢の衰退は最近はじまったことではない。その衰勢はすでに四十年前、前身の日本社会党において誰の目にも明らかになっていた構造的な問題といえる。

そこには大きくいえば、支持層の維持・拡大の失敗、党指導部や活動家の世代交代の失敗、基本政策のなし崩し的転換の失敗、という三つの失敗があったように思う。

①総評の組織の上にあぐらをかき、その解体後は「風」頼みとなり、冷戦終結前後の政治構造の根本的変動に対応できず、保守勢力の攻勢を前になすすべもなく、「非自共」および「自社さ」政権のぬるま湯につかっている間に足元の地盤はますます空洞化し、やがて崩壊した。

②党勢の衰えにつれてパイが小さくなると、古参の人々は既得の小利権にしがみついて若い世代の育成を怠り、組織に新しい活力が失われ、ますますパイが小さくなるという悪循環。今や社民党の高齢化は他党と比べても群を抜く。党組織も運動団体も支持層も、日本社会の高齢化を見事に先取りする逆ピラミッド型だ。

③もともと左右のイデオロギー対立が激しいところに、政権というエサを与えられたとたん、日米安保体制・自衛隊・憲法といった国家観の基幹にかかわる政策になし崩し的転換が行われた。その不透明な決定過程は、多くの支持者の信頼を失う結果となり、運動の分裂と衰退を招き、この政党に対する不信感を残したまま、現在に至る。

この三つの失敗は互いに結びつき、負の面がいっそう増幅されている。

他方、同じ党名のドイツ社民党(SPD)が9月の連邦議会選挙で16年ぶりに第1党となる勝利を収めたことは、記憶に新しい。

SPDも、日本の社民党も、その起源をたどれば19世紀後半~20世紀初頭の国際社会主義運動にゆきつく。日本の場合は1901年の社会民主党結成後、弾圧による断絶や内部分裂によって党名の変遷が激しいが、20世紀初頭の社会主義運動の中心にいた安部磯雄や山川均は、戦後の日本社会党結成にあたって、その右派と左派の最長老であった。

ドイツ社民党の結成にあずかった一大勢力アイゼナッハ派はエンゲルスを相談役とし、同党は長らくマルクス主義を指導思想とする労働者階級の政党だった。ところが冷戦下の50年代末、SPDはマルクス主義から離れて「国民政党」に転換、西欧社民(民主社会主義)勢力の主流となった。

それに対して、冷戦下の日本社会党は「民主社会主義」を標榜する一部の右派が60年に離脱したが、その後も山川均以来の労農派マルクス主義をひきつぐ「協会」派や、「構造改革」派その他、複雑で激しいイデオロギー対立は陰険な派閥的権力闘争と結びつき、泥沼の様相を呈した。冷戦終結前後の「西欧社民」主義への転換もなし崩し的に行われ、しかも中途半端に終わった。

96年の社民党への党名変更も、積極的な理念に基づくものとはいえず、なんとなく世論に受け入れられやすそうな名前に変えてみました、くらいのものでしかあるまい。

もちろん、冷戦下の社会情勢や国際関係、歴史的背景の違いから、日本社会党がSPDのような「西欧社民」型政党に転換する可能性があったかというと疑問があるし、それが本来望ましかったはずだと断言することもできない。

それはともかく、SPDとは対照的に、日本社会党・社民党が急角度に没落への道をたどったのは、権力の弾圧を受けたからではなく、むしろ、戦後政治の転換期にあらわれた党内外の諸問題に真剣に取り組む意志もリーダーシップもないまま、成り行き任せに失敗に失敗を重ねた結果の自滅、といわねばならないだろう。

今回の衆院選で、無党派層の「風」は、左右のポピュリスト政党「維新」と「れいわ」に向かって吹き、「立民」も「共産」も議席を減らす結果となった。「社民」は「れいわ」のはるかに後塵を拝し、比例の得票では「N党」と肩を並べる泡沫政党にまで転落した。

「無産階級」の国際社会主義運動に由来する政党(共産・社民)の議席数は今や、男子普選がはじまった1920年代のレベルにまで後退している。当時の無産政党が、治安維持法・治安警察法による暴力的弾圧にも耐えて議席を得たことを考えれば、そうした苛烈な治安立法の存在しない現在のほうが、「無産政党」の置かれた状況はより深刻だ。

世論の流れといえばそれまでだが、しかし本当にそれでいいのか?新自由主義やナショナリズムの煽動が猛威をふるう今の日本で、「無産政党」が本来果たすべき役割は小さくないだろう。百数十年の歴史を背負ってきたそのひとつの灯が今、消えつつあることの深刻さを考えたい。

安保法案反対運動とは何であったか――二つの「護憲」思想をめぐる問題 [日本・現代社会]

9月19日未明、日本国の暴力装置が国外に殺し合いに行くことを「合法」化する安保法案が成立した。今夏以来日本の各地で繰り広げられた法案に反対する運動は、国会前を中心に、1960年の安保闘争以来の高揚を示したとさえ言われる。この安保法案反対運動とは何であったか。この運動の本質はどのように捉えることができるだろうか。

この運動をとりあえず「護憲」運動と呼ぶことは、多くの人の同意するところだろう。ただしこの「護憲」という言葉は、日本の近現代史および政治思想の上で、大きく二つの異なる内容を含んでいることに注意せねばならない。

第一の内容は、日本国憲法のうち特に9条を守れ、という思想および運動である。1950年代以来、日本の支配層の改憲策動は憲法9条の改定を最優先とするものであったから、これに対抗する護憲運動が主として9条を守ることを掲げたのは当然だろう。この意味での護憲運動はもっぱら平和運動として展開され、嫌戦気分の漂う戦後日本社会の多数派の合意が底辺でそれを支えつつも、アジア・沖縄・戦後責任・フェミニズムなどさまざまな問題提起を受け止めながら、思想的・運動的に少しずつではあれ深化していった。

「護憲」の第二の内容は、憲法に基づく政治のあり方(立憲政治)を守れ、というものである。旧憲法(大日本帝国憲法)下の日本近代史において「護憲運動」と言うと、主にこの意味での「憲政擁護運動」を指す。ここで憲政(立憲政治)というのは、国家権力の行使を憲法によって制限し、国民の権利を保護するという、近代国家の根本原則(立憲主義)に則った政治のことを指している。日露戦争後から1920年代までの「大正デモクラシー」期、この意味での護憲運動が「民本主義」者を中心に活発に展開されたことは、よく知られている。

このたびの安保法案反対運動には、上に挙げた「護憲」の二つの意味が混在しているように思われる。安保法案が憲法9条違反であることは、安保法案に反対するほぼ全ての人が合意するところだろう。ただしこの「護憲」運動には、9条の精髄(とくに第2項の戦力不保持と交戦権否認)を維持しさらに発展させてゆくことを目指す平和運動としての側面と、安保法案の違憲性に抗議し立憲政治を守ることを目指すデモクラシー運動としての側面との、両者が含まれていたと思われる。そして、この二つの内容を含む「護憲」をどう捉えるかは、運動の参加者個々人において、相当ニュアンスが違っていたのである。

特に注意すべきは、上の第二の意味でもっぱら「護憲」を捉え、安保法案への反対を立憲政治の擁護(すなわち立憲主義)の運動としてこれに参加した人たちの中に、第一の意味での「護憲」(9条の維持と発展という平和思想・運動)を軽視さらには批判する人も、少なくないことだ。そこには例えば、小林節氏のような9条改憲論者が含まれている。安保法案反対において、第二の「護憲」のみを強調するならば、憲法改正の規定に従って「国民」の意志として9条を改定し第2項を削除すれば、立憲主義の原則に従いつつ集団的自衛権を行使できる、という論理すら可能になってくる。

国会前での安保法案反対運動でマスメディアから注目されたSEALDsの中心メンバーやその周辺の支援者にも、9条は改定したほうがよい、という主張が現れているらしい。とりわけ野間易通氏に至っては、「憲法9条2項は改正または削除すべし」「国連PKFでの自衛隊の武力行使も反対ではない」などと断言しているのである。

日本近代史を振り返っても、第二の「護憲」の主張は必ずしも平和思想と結びつかなかった。「大正デモクラシー」の憲政擁護運動(護憲運動)では、閥族(藩閥・官僚・軍人)の強権政治は憲法の精神を無視する「非立憲」的専制だとし、それに対して民意に基づく政治(具体的には世論の代表者たる衆議院が行政権力をコントロールする議院内閣制の政党政治)の実現が目指され、そこに立憲政治の本質(「憲政の有終の美」)があるとされた。ただし、彼ら「立憲的」政治家・言論人の立場は、「内に立憲主義、外に帝国主義」というべきものがほとんどであった。「民本主義」を代表する知識人の吉野作造も、1915年に日本政府が中国政府に突き付けた露骨な侵略的要求である「対華21カ条要求」を熱烈に支持したのである(「非立憲的」軍閥政治家の山縣有朋すら21カ条要求には慎重であったにもかかわらず)。なお吉野はやがてこうした帝国主義的立場を修正していくが、そうした反省すら当時の「立憲的」言論人として例外的であった。

大正デモクラシーの左派として、吉野の弟子にあたる学生たちを中心とする「新人会」グループがあり、無産政党運動にも多くの人材を輩出したが、1930年代における彼らの右旋回は鮮明だった。赤松克麿(吉野の娘婿)は満洲事変後に軍部を支持し、ファシズム類似の「日本国家社会党」を結成して「一君万民の国民精神」に基づく社会運動を称揚したし、麻生久・三輪寿壮ら新人会出身の無産政党指導者たちも、日中戦争下で近衛文麿らの「新体制」運動に積極的に加担し、大政翼賛会や産業報国会の結成に関与していったのである。

戦前の「護憲」運動の系譜を引く人びとのこうした無残な失敗を踏まえ、戦後の日本では「護憲」思想に新たな意味が吹き込まれつつ、平和運動が取り組まれた。それは紆余曲折と試行錯誤を経ながら、少なくとも90年代までは曲がりなりにも思想的な深化を遂げていったといえよう。だがとくに今世紀に入ると、平和運動の周辺では、思想を後退させることで運動の底辺を広げようという「現実主義」(?)的な提言(自衛隊の9条合憲論や専守防衛論)が目立ってきた。

とりわけ今回の安保法制反対運動では、立憲主義という後退線で保守勢力と政略的に連携することが重視され、そうした雰囲気の中で、SEALDs人気が各メディアを通じて突出することになった。SEALDsの主張は明らかに、従来の平和運動の思想的成果(とりわけ歴史認識問題)を踏まえようとしない保守的なものであるにもかかわらず、不思議なことに、社会運動・平和運動の中にもこれを無条件に支持する人が多く、その批判者に対しては〈運動の邪魔をするな〉とばかりに罵倒が浴びせられもした。さらに、SEALDs声明文の歴史認識に疑問を呈した外国人研究者に対して、SEALDs周辺から罵倒や誹謗・中傷が集中するという、深刻な事態すら起きている。安倍自公政権の非立憲的な独善ぶりもさることながら、こうした社会運動の側の思想的な頽廃にこそ、私は日本社会の真の危機をみるものである。

安倍政権一味によるクーデター的な立憲政治の破壊行為に対して、私たち民衆はこれに全力で立ち向かい阻止しなければならない。その限りでは、あえて「立憲主義」の線に後退して保守派を含む幅広い人びとと連携することが必要な局面もあるだろう。その一方で、立憲主義だけでは決して戦争を阻止できないという歴史の厳然たる事実も、常に想起しておかねばならない。

戦後日本における平和運動と思想の起伏に富んだ錯誤と苦悩の歩みの蓄積は、私たち民衆にとってかけがえのない財産である。アジア・沖縄・戦後責任・歴史認識・フェミニズムなどさまざまな観点からの批判的な問題提起を受け止めつつ、紆余曲折を経た末に一応たどりついたその運動的・思想的到達点(全くもって不十分ながら)を、私たちはもう一度確認し、そこからさらに一歩前へと歩みを進めてゆきたい。上に述べた二つの「護憲」思想の差異と役割をめぐる緊張感を失うことなく、私たちは考え、悩み、行動し、アジアの人びとと共に平和のうちに生存できるような未来を必死に切り開いてゆかねばならない。

韓国人研究者・鄭玹汀さんに対する人権侵害問題――バッシングに加担する社会運動家・研究者・ジャーナリストたち [日本・現代社会]

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDs(シールズ―自由と民主主義のための学生緊急行動)の声明文について問題を提起する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評でした。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては名誉毀損や脅迫とおぼしき行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

とりわけ問題なのは、「反レイシズム・アクション」を標榜するC.R.A.C.(旧レイシストをしばき隊)の事実上の主宰者である社会運動家の野間易通氏が、こうした外国人に対する人権侵害を助長する言動を執拗に続けていることです。野間氏は、鄭さんに対する人身攻撃を多数含むツイッター上の発言を収集して、まとめサイトを作成しました。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言の中には、鄭さんに対する侮辱・脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏は、鄭さんを「間抜け」と罵倒する題名をつけてそれらの発言をまとめることによって、外国人に対する人権侵害を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布し続けているのです。

社会運動家として自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っている野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する人権侵害がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを即刻閉鎖することです。ところが野間氏は、「『社会運動家として』の責任上、まとめを閉鎖する可能性は一切なく、自らの意志をもって今後も意図的に公開しつづけます」と公言し、「鄭さんを罵倒するのが人権侵害でない」などと放言を続けています。

また深刻な問題として、複数の大学に関係する研究者が鄭さんへの人権侵害に積極的に加担していることです。今年の春から京都大学の研修員として研究をはじめた鄭さんに対して、同じ研究会に属するkztk_wtnb @am_not氏は、鄭さんの見解に対してなんら具体的・学術的な批判を展開することなく、「人文の研究者としての訓練を受けたかも怪しくなってしまった」、「研究者として人間としてもサイテー」、「馬鹿かと思う」、「歴史研究者として落第だ」などと、侮辱・名誉毀損的ツイートを繰り返し投げつけ、果ては「これから鄭玹汀さんに研究会で会う度に、彼女の論文だけを資料にして相当に捻じ曲がった曲解を施してやる」と脅迫的な言辞まで発しています。(なお、kztk_wtnb氏はなぜか最近アカウント名をzttnと変更しながら、ツイートの公開・非公開を繰り返し、現在氏のツイッターは非公開設定となっていますが、氏の鄭さんに対する上記の人権侵害発言は野間氏のまとめサイトを通じて、ネット上に今も流され続けています)。

研究者であるkztk_wtnb氏が、鄭さんの研究者としての信用を不当に失墜させる名誉毀損的ツイートを匿名で繰り返しているのは、法的問題である以前に、研究者倫理からしても深刻な問題です。匿名で鄭さんの研究業績に対し中傷を繰り返すkztk_wtnb氏の行為は、研究者として許されない卑劣かつ悪質なものです。しかもkztk_wtnb氏は、自分の所属や研究テーマについて推測可能なツイートを自ら流しておきながら、やたら匿名にこだわり、アカウント名をkztk_wtnbからzttnに変更するなど小細工を重ねつつ、自分の行った悪事がいざ露見しそうになると、被害者である鄭さんを逆に「人権侵害」者扱いするツイートを連投し、「鄭玹汀がFacebookで行った人権侵害とハラスメントの記録をまとめておきます」などと事実を捻じ曲げ、「鄭玹汀さんによる人権侵害とハラスメントの記録」と題するまとめサイトを作成するという、とんでもない名誉毀損的行為を繰り返しています

また、同じくキリスト教研究者の上原潔氏も、SEALDsについての鄭さんの問題提起に対し、その具体的内容(戦争責任問題や歴史認識問題)はスルーしながら、「一方的なdis」「思想研究者の非現実性」「上から目線」などといった否定的言辞を繰り返し投げつけたあげく、「歴史研究者なんだから、それぐらい分かれよな」などと横柄な態度で鄭さんを罵倒するに至っています。さらに、上原潔氏は鄭さんと面識がないにもかかわらず、「直接会って、説明したい」「直接会う機会もあるかもしれませんので、そのときに話したい」「会ったときに話せばいい」など、〈直接会う〉ことに異常にこだわるツイートを連投しています。面識のない鄭さんに対して否定的言辞を投げつけ、罵倒までしておきながら、〈直接会う〉云々と繰り返すことが、外国人女性である鄭さんに深刻な威嚇・脅迫的な効果を与えることは明白で、そうした効果を上原潔氏自身も認識していたらしきことは「喧嘩リア凸と思われたのだろうか」という発言からも分かります。

その後も7月27日に上原潔氏は、SEALDsに関して学生と研究者を比較する他の人のツイートを引きながら、「学者は負けすぎ。言いたい放題言って、ちょっと批判されると、人権侵害だなんだと騒ぎ立て、同僚や取り巻きに慰められて安心してる。あまりに情けない…。」などと発言しています。SEALDsに対する批評文をめぐる人権侵害の被害を訴えているのが鄭さんにほかならないことは、『週刊金曜日』(7月17日号)の記事にも出ているように、関係者には周知のことです。しかも、上原氏自身が行った鄭さんに対する人権侵害的行為の問題性は、かねてから指摘されているのです。したがって、上記の上原潔氏の発言が、自己保身を目的とする、鄭さん個人に対する印象操作および中傷行為にほかならないのは明白です。

しかし、この上原氏のよる中傷行為について鄭さんがFB上で指摘すると、上原氏は「学者一般の話であって個人攻撃でもなんでもない」などと不誠実な言い逃れをしたあげく、「あの人は、傷ついたプライドを、誰かを吊るし上げて、叩き潰すことで快復させようとしてる」などと鄭さんに対する中傷攻撃を行っています。しかも上原氏は、「周りの人たちは、新左翼系とか昔の活動家」などと、鄭さんがあたかも「新左翼」の関係者であるかのようにほのめかしています野間氏も同様のほのめかしをしていますが、そもそも日本における政治的権利をなんら認められていない外国人研究者である鄭さんは、日本のいかなる政治団体にも関係していないのです。上原氏や野間氏のこうしたツイートは、特別永住者(在日コリアン)よりもいっそう政治的権利を制限された立場に置かれている外国人の鄭さんに対して、深刻な社会的損失を与えかねない悪質きわまるものといえるでしょう。

そのほか、SEALDsの声明文を批評した私に対して罵倒や中傷を繰り返している大学非常勤講師で社会運動家の木下ちがや氏(政治学)もまた、「なんだかんだで文句つけるしか能がない鄭玹汀さん、大田英昭さんと、国会前にちゃんとくる大沢真里さん、山口二郎さんで決着ついたね」(6月26日)などと、私と並べて鄭さんに対する誹謗を行っています。ここで木下ちがや氏は、私が中国の大学に勤務していることと、鄭さんが政治的権利のない外国人であることを知りつつ、私たちの研究者としての信用を失墜させることを目的として、私たちが6月26日の国会前デモに参加していないという当然の事実について、それに参加した日本人学者と比較して貶めるという、悪質な印象操作を行っているわけです。

そもそもSEALDsに対する鄭さんの問題提起について、木下ちがや氏は研究者として責任ある批評を公にしているのでしょうか。日本の戦争責任・歴史認識問題や社会運動内のナショナリズムをめぐって韓国人の鄭さんが提起した問題に対し、日本人の政治学研究者かつ社会運動家としてSEALDsにも関わっている木下氏は、誠実に応答する義務があるはずです。ところが木下氏は、そうした当然の義務を怠るばかりか、「文句をつけるしか能がない鄭玹汀さん」などと実名を挙げて誹謗中傷を行っています。そもそも、鄭さんに対する人権侵害的バッシングが進行中であることを知りながら、その尻馬に乗って外国人への人権侵害を助長する発言を意図的に垂れ流す木下ちがや氏の行為の問題は、厳しく追及されるべきでしょう。

鄭玹汀さんに対する人権侵害にはさらにジャーナリズムも加担しています。『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事は、SEALDsの支持者たちによって鄭さんに対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せ、さらに鄭さんの問題提起の主要部分である日本の戦争責任や歴史認識問題には触れず、批評文の一部の表現を恣意的に取り上げることによって、結果的に鄭さんに対する人権侵害の片棒を担いでいます。

外国人への人権侵害を助長するこうした記事が『週刊金曜日』に掲載されたことに対して、私を含む多くの市民が同誌編集部に抗議しました。私たちの抗議に対する回答が同誌8月7日号(66頁)に掲載されましたが、その内容はきわめて不誠実なものでした。回答文は、「小誌はもとよりあらゆる差別に反対しており、それを助長する意図はありません」と弁明し、私たちの抗議を「誤読」だと決めつけたのです。どこがどのように「誤読」なのかを具体的に説明することもなく。

そもそも『週刊金曜日』に対して私たちが問うているのは、加害の「意図」の有無などではなく、岩本氏の記事が結果的に外国人に対する人権侵害を助長している「事実」に対する編集部の「責任」なのです。被害者から自分自身の加害責任を追及されると、それは「誤読」だと被害者に責任を転嫁しさえする『週刊金曜日』編集部の態度は、ジャーナリズムとしていかがなものでしょうか。

社会正義の実現のために実践行動を行う社会運動家や、学術的真理の追究を使命とする大学研究者や、真実の究明と伝達を本分とするジャーナリズムは、自らの言論に対して、一般人よりもはるかに厳しい社会的責任を負っています。そうした社会運動家・研究者・ジャーナリストが、外国人研究者の問題提起に対して誠実な応答を怠り、あまつさえ人権侵害的バッシングに積極的に加担したり助長したりするという醜悪な光景が、私たちの眼前で展開されているのです。

鄭さんへの人権侵害的バッシングに加担する人たちは、安倍政権の戦争法案を批判するSEALDsの運動に何らかの形で参加あるいは共感しており、自分は正義の側にいると思い込んでいるふしがあります。安倍政権の戦争法案を阻止することが、日本社会の将来の平和にとって喫緊の課題であることは言うまでもありません。しかし、SEALDsに対し貴重な問題提起をした鄭さんを、自分たちが参加あるいは共感する運動にとって目障りな「敵」とみなして、彼女に打撃を与えることを正義だと信じ込んでいるらしき彼らの発想には、どこか恐ろしいものがあると私は感じます。鄭さんへの人権侵害的バッシングに加わっている人びとが、国家権力の手先や極右勢力ではなくて、安倍政権に批判的な社会運動家・研究者・ジャーナリストたちであるという事実に、私は驚愕させられます。

自分たちが正義と考える政治目的を実現するために、善良な市民(ましてや外国人)の人権を暴力的に蹂躙することも辞さない、といった雰囲気が日本の社会運動に広がってゆくならば、それはこの社会の民主主義を根元からやせ細らせ、腐食させてゆくことになるでしょう。それは、ある種のファシズムを日本社会に呼び込むことにつながりかねません。いまも進行している鄭さんへの人権侵害事件は、こうした事態の不吉な前兆であると、私は考えます。

この事件は、戦争法案阻止という「大事」の前の無視すべき「些事」などでは、決してありません。鄭さんに対する人権侵害を私たちが放置したり、眉をひそめるだけで通り過ぎたりするならば、日本の社会運動の内部に安倍政権と相似形の反民主主義勢力をのさばらせ、誰も予想しない深刻な結果をもたらしかねません。日本の社会運動は今、重大な分岐点に立っているのではないでしょうか。この事件を見過ごすことなく、鄭さんの人権をすみやかに回復させることは、日本の社会運動の健全な発展を願う私たちの義務であり、また東アジア諸民衆とともに平和的に生存することを希望する私たちの責任であると考えます。

なお、こうした問題意識のもとにfacebookの公開グループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」が8月16日に発足し、359人の方が問題を共有してメンバーに加わっています(8月19日0時32分現在)。

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【追記】 FBグループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」は20日、「社会運動上の人権侵害を許さない」に名称を変更しました。

SEALDs問題をめぐる『週刊金曜日』の記事(岩本太郎氏)について [日本・現代社会]

『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事を読みました。SEALDsの公式HPの声明文について鄭玹汀氏が自身のフェースブックに批評を書いたことをきっかけに、先月からネット上に発生した出来事について、岩本氏は記しています。しかし岩本氏のまとめ方にはいくつかの深刻な問題があり、この間の出来事について読者をミスリードする恐れがあると感じました。以下、その問題点を記します。

第一に、「批判と反論の応酬」という見出し自体が問題です。岩本氏は、SEALDsの見解に対する批判者として鄭氏と私の名前を挙げ、「SEALDsを支援・応援する人々」との間に「応酬」があったかのように書いています。確かに、私と「SEALDsを支援・応援する人々」との間には相互の批判・反批判の「応酬」がありました。しかし鄭氏の批評に対しては、「SEALDsを支援・応援する人々」から一方的に多数の誹謗中傷や侮辱の言葉が投げつけられたことで、議論の前提自体が破壊されてしまいました。それは決して「批判と反論の応酬」と呼べるものではなく、明らかに一方的なバッシングというべきものだったのです。

そもそも私と鄭氏は、SEALDsの声明文が、日本国が過去の侵略責任をいまだ清算していないという現実をスルーして、「平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと語っていることを問題にし、そうした姿勢がアジアの人びとに対していかに〈傲慢〉で〈独善〉的なものであるかを指摘する点で、共通する論旨を展開しています。

しかし不思議なことに、暴力的なバッシングは鄭氏に対してのみ起きたのです。このバッシングに加わった人たちの多くは、鄭氏が用いた〈傲慢〉・〈独善〉的という言葉に非難の矛先を向けました。ところが、私も鄭氏と同様の論旨でこれらの言葉を用いているにもかかわらず、私に対するバッシングは起きていません。なお私は、SEALDsの中心メンバーの一人である奥田愛基氏から直接の応答を受けましたが、鄭氏の批評はSEALDsメンバーから無視されつづけています。

こうした不可思議な現象の背景には何があるのでしょうか?米津篤八氏は、私が日本人男性で鄭氏が韓国人女性であるという属性の違いゆえの、差別があるのではないかと推測しています。私も米津氏の推測におおむね同意します。

さらに問題なのは、『週刊金曜日』における岩本氏の記事が、このような差別を紙媒体で再生産していることです。岩本氏は、東アジアに平和的秩序を打ち建てるための大前提は日本国が過去に犯した侵略責任を真摯に清算することにある、という私の主張のポイントを一応指摘しています。ところが岩本氏は、鄭氏の主張の具体的内容には何ら触れることなく、SEALDsの見解を鄭氏が「独善的かつ傲慢な姿勢のあらわれ」と批判した、とだけ書いているのです。

上述のように、SEALDsの支持者たちによって鄭氏に対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せて、「批判と反論の応酬」などという表題でこれを糊塗した岩本氏は、さらに鄭氏の主張のうち特定部分のみを恣意的に取り上げることによって、結果的にこのバッシングの片棒を担いでしまっている、と言ってよいでしょう。これが岩本氏の記事がはらんでいる第二の問題点です。

鄭氏に対しSEALDs支持者たちの行ってきたバッシングの実態を示すものとして、社会運動家の野間易通氏が、鄭氏に対する数々の悪質なツイートを集めたうえで、鄭氏を「間抜け」呼ばわりして作成したまとめサイトがあります。そうした悪質ツイートやまとめサイト作成が、鄭氏に対する名誉毀損ないし侮辱に当たる可能性の非常に高いことや、ツイートの一部に脅迫の要素すら含まれていることを、SEALDs問題をめぐっては私と異なる見解に立つ高林敏之氏もはっきりと指摘しています

ところが岩本氏は記事の中で、「互いに距離が離れた場所でネットでの応酬もあってかキツイ言葉も飛び交い、大田さんが『人権侵害』と言い出すまでにエスカレートした」と記しているのみです。岩本氏は当然、野間氏が作成したまとめサイトの存在を知っているはずですが、ここに含まれる悪質なツイートをも「キツイ言葉」として済ませてしまうところに、岩本氏の人権感覚が現れています。ここに第三の問題点があり、上記の第二の問題点とあわせて、岩本氏の記事が結果的に、現在もなお続いているSEALDsの一部支持者たちによる鄭氏に対する人権侵害を助長しかねないことを、私は恐れます。

私は6月26日の拙ブログ記事で、SEALDs支持者による鄭さんへの一方的なバッシングと人権侵害について次のように書きました。「日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう」、と。

日本の市民・社会運動の有力な媒体である『週刊金曜日』に、こうした醜悪な人権侵害を容認し助長しかねない記事が掲載されたことに、私は強い憤りを感じます。

SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへの応答 [日本・現代社会]

SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへ

SEALDsのHPの文言をめぐり、私が拙ブログに書いた批判について、facebook上にコメントをいただき、ありがとうございます。

SEALDs(シールズ)は大学生を中心とする運動であるにもかかわらず、奇妙なことに、私の批判に対して応答・反批判・罵倒してきたSEALDsの支持者たちは、ほとんどが大学生とは思われない年齢の人ばかりだったので、驚いていました。ようやく、SEALDs本来の大学生メンバーであり、HPの声明文を書いた一人である奥田さんから応答をいただい、大変喜んでおります。以下、大きく三つの問題について述べさせていただきます。

1、旧日本帝国のアジア侵略責任の問題

繰り返し述べてきたように、東アジアに平和的な秩序を打ち建てるための大前提は、かつて日本帝国が犯したアジア侵略の責任を今の日本国家が真摯に引き受け、清算することです。したがって日本の平和運動は、日本政府が過去の侵略責任を引き受け清算するよう、常に圧力をかけ続けねばなりません。それを怠る限り、日本の平和運動は東アジア各国の人びとから真の信頼を得ることはできません。

SEALDsの声明文は「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます」と述べながら、日本国の侵略責任問題をどのように追及してゆくかについては一言も触れていません。にもかかわらずSEALDsが「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」と主張することは、東アジアの平和に何らつながらないばかりか、そうした日本人の傲慢な独善性に対する、アジアの多くの人びとの反発を呼び起こすことでしょう。

私がそのように断言するのは、私が中国の東北部に住み、皮膚感覚としてそれを感じるからです。日本に住む日本人が、かつて日本に侵略されたアジアの人びとの気持ちを理解するには、多くの想像力が必要でしょう。

私の住んでいる長春は、1931年に日本軍が中国東北部を侵略して傀儡国家「満洲国」をでっち上げ、その国都として「新京」と改名された都市です。新京市の建設のため、多くの地元農民の土地が暴力的に奪われました。日本は満洲国に32万人の日本人開拓移民を送り込みましたが、彼らが移住した土地は、もともとそこに住んでいた中国人の農地を奪い取ったものでした。そうした日本の暴虐に怒って抗日運動を起こした人びとは徹底的に殺戮され、あるいは人体実験の材料として生きたまま身体を切り刻まれました。現在でも、そのことを知らない中国人はまずいません。

今東アジアで注目されている慰安婦問題を含め、大日本帝国のアジア侵略責任を公式に日本政府が引き受けたことは、戦後七十年の間一度もありません。この問題について、SEALDsの声明文はなぜ一言も触れていないのでしょうか。

私の意見に対して、SEALDs支援者たちから多くの反論が寄せられましたが、私が最も重視しているこの問題については、不思議なことに誰ひとりとして真剣に触れようとしません。ただひとり奥田さんだけが、「過去の過ちの清算、真の意味での和解ができる日が、1日でも早くる事を望んでおります」と、この問題にきちんと向き合う姿勢をみせていただけました。

もしSEALDsが東アジアの平和秩序の建設に積極的な役割を果たしたいのであれば、ぜひメンバーの間で討論を行い、SEALDsの公式見解いわば最小限綱領として、日本政府が卑劣にも逃げ続けてきた侵略責任の清算という問題を必ず声明文の中に入れねばならないと、私は考えます。

2、日本の民主主義と沖縄の問題

奥田さんは、SEALDsの学生が30人ほど入れ替わり立ち代り辺野古で座り込みをしてきた事実を教えてくれました。そういうことであれば、沖縄の「復帰」後四十年以上経った今も、日本国の民主主義が沖縄を除外し続けている事実を、SEALDsのメンバーたちが知らないはずはないでしょう。

にもかかわらず声明文には、「戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重し」、「日本の自由民主主義の伝統を守る」、「戦後70年間、私たちの自由や権利を守ってきた日本国憲法の歴史と伝統」、などとあります。これらの文言を読むと、ここで言う「この国」「日本」からは沖縄が除外されているのではないか、と私は感じざるを得ません。

戦後70年、日本国の民主主義が一貫していかに欺瞞的なものだったかを、現在沖縄で行われている闘いは私たちに突き付けています。SEALDsが沖縄の闘いと真に連帯することを求めるのであれば、現在の声明文は必ず改められねばならないと、私は考えます。

3、韓国人研究者に対するSEALDs支持者による深刻な人権侵害の問題

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDsに対する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評です。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、野間易通氏ら多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては脅迫行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

鄭さんは、この春に再来日したばかりの韓国人研究者であり、在日コリアンではありません。もちろん日本の政治・社会運動とは何の関係ももっていません。彼女は外国人としての立場から、SEALDsのHPを読んでその客観的な感想を正直にご自身のfacebookに書いただけのことです。ところが、彼女に対してSEALDsの一部支持者たちが加えている誹謗中傷・脅迫攻撃は、恐怖と恥辱を与えることで口を封じ、さらには彼女の研究者としてのキャリアまで粉々に打ち砕くことを目的とするような、悪質で卑劣な暴力そのものなのです。

ようやく日本での研究生活が落ち着いてきたばかりの外国人女性が突然、多くの日本人たちから理不尽な攻撃・脅迫行為を受けたのです。その恐怖と苦悩はいかにひどいものだったでしょう。海外に住む私には、そのとてつもない恐怖がある程度察せられます。

鄭さんには、そんな理不尽な仕打ちを受けるべき何の過失もありません。ただSEALDsの声明文を批評しただけで、野間氏らSEALDsの一部支持者たちから袋叩きに遭ったのです。しかも、彼らによる攻撃は今でも延々と続いています。

SEALDsの声明文の冒頭には、「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」と謳われています。批判を受け取り、議論をもって応答するのは、民主主義社会の最も基本的な原則でしょう。ところがSEALDsの一部支持者たちは、「自由と民主主義に基づく政治」を自ら否定するかのように、鄭さんの批評に対して、それを受けとめることを頭から拒絶し、誹謗・中傷・脅迫という暴力をもって答えているのです。

奥田さん。あなたは、執拗に続いている鄭さんに対するこの深刻な人権侵害を、当然知っているでしょう。あなたを含むSEALDsの中心メンバーが、こうしたやり方はおかしいとはっきり表明しさえすれば、この異常事態はすぐに止むはずです。ところが、あなたがたは今に至るまで、人権侵害を防ぐための行動を何一つ起こそうとしていない。なぜですか?まさか、SEALDsを批判した者・運動の邪魔をする者は、外国人であれ、徹底的に打撃を与えて当然だ、という発想をもっているわけではないでしょう?

日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう。

たとえいかに「正当」な政治的な目的があったとしても、運動遂行の手段として、一人の善良な外国人の人権を踏みにじることが許されてはなりません。それを黙認するような運動は、決してまっとうな運動とはいえないのです。

奥田さん、そしてSEALDsメンバーのみなさん!野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害を一刻も早く止めるため、早急に行動することを私は要請します。

〔後記:一部字句を修正しました。6月26日6:26(北京時間)、7:23(同)〕
〔後記2:一部リンク切れのため、リンク先を変更しました。6月27日14:12(北京時間)〕

〔後記3:「人権侵害」についての補足説明 6月28日2:13(北京時間)、一部字句修正11:27(同)〕
野間易通氏は、鄭玹汀さんを批判するツイッター上の発言を集めたまとめサイトをつくっています。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言のうち、U氏やk氏の発言の中には、鄭さんに対する脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏はそうした鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言をまとめただけでなく、被批判者を「間抜け」呼ばわりする題名をつけることによって、それら人権を侵害する発言を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布しています。

なお6月28日1時58分(北京時間)現在、U・k両氏のツイッターは非公開設定になっています(二人が自分の発言の不適切さを認識し、自発的に非公開にした可能性があります)。にもかかわらず、野間氏が作成したまとめサイトのために、脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言が、現在もネット上の不特定多数に流布され続けているのです。

野間氏は社会運動家として、自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っています。

野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが濃厚な発言がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを閉鎖することです。しかし野間氏はそれを意図的に怠ることによって、U・k両氏が自分のツイッターを非公開にしたあとも、鄭さんの人権を侵害する彼らの発言を不特定多数が閲覧できる状況に置き、その流布を助長しています。

本文中にある「野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害」とは、以上の事実を指します。

大井赤亥氏への回答(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDsのHPの文言について論じた拙論に対して、今度は大井赤亥氏からfacebook上で批判がありました。

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大井氏によれば、SEALDsのHPの文言は、トイレによく見られる「いつもトイレをきれいにご使用いただきありがとうござます」という標語と同様のレトリックである。この標語は、全ての人がトイレをきれいに使っているという事実を示すものではなく、「だれもがトイレをきれにつかっている」という建前をもって、「あなたもトイレをきれいに使え」とプレッシャーをかけるためのものだ。「日本は平和国家である」「日本は自由と民主主義を確立した」「日本は犠牲と侵略を反省した」というSEALDsの主張もそれと同様、現にある事実を示すものではなく、「自民党でさえ『建前』として述べているその規範を前提化し、それを当然とすることで、『だから現政権も平和主義でいろよ』『自由と民主主義にしたがって振る舞えよ』『侵略と犠牲を反省しろよ/少なくとも河野談話・村山談話くらいは保持しろよ』というプレシャーをかけている」のだ、という。 そして大井氏によれば、SEALDsは必ずしも日本が完全な平和・自由・民主主義の国家だと考えているのではない。ただしこれらの標語は「建前」として安倍政権すら踏襲しているわけだから、この標語によって「そういう『建前』を守れよ、少なくともその線にまで戻って、その線を順守して政治を行えよ、というメッセージ」をSEALDsは発している。そしてこのメッセージこそ、現在の政局や言葉をめぐるヘゲモニー闘争において重要性を増しているのだ、というのである。
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以上が大井氏の主張の要旨ですが、私はSEALDsのHPの主張をこうしたレトリックとして捉えようとする氏の発想自体に、疑義を覚えます。

そもそも大井氏が言う日本の「トイレ」の標語のレトリックは、多数の人が日常的にトイレを比較的きれいに使っているという事実の前提があって、はじめて成り立つものでしょう。世界有数の清潔さを誇る日本の公衆トイレだからこそ、そうした標語は機能することができるわけです。しかし例えば、仮に中国の普通の公衆トイレにそのような標語を掲げたとしても、残念ながら何の意味もありません。現実と余りにも異なるそうした標語は、政権党の下部組織が街のいたるところに掲げている「きれいごと」と同じく、民衆には皮肉な一瞥で無視されるだけでしょう。

SEALDsのHPの文言も同様です。「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」という主張が、仮に大井氏のいうような政権にプレッシャーを与える「レトリック」であるとしましょう。そこにもやはり、日本国民の多数が(完全無欠でないまでも)比較的に「平和主義者」であり「自由と民主主義」の擁護者であり、かつての「侵略と犠牲」をある程度「反省」している、ということが前提として想定されているのです。

ところが私が批判するのは、大井氏をはじめ多くの人が無自覚にもっているそうしたナイーブな発想自体なのです。

確かに、現天皇が「平和主義者」(?)だと称賛されるのと同レベル程度には、日本国民も「平和主義者」なのでしょう。だが私は、こうした意味で「平和主義」をうんぬんする言葉の薄っぺらさ、胡散臭さに、とても耐えられません。

何度でも言いましょう。旧大日本帝国のアジア侵略の責任を日本国が真摯に引き受け、謝罪し、清算しない限り、日本国の「平和主義」なるものは空念仏だ、と。大日本帝国の侵略責任に対して真剣に取り組まないような「平和運動」も同じことです。私の知っている中国の人たちは、そうした運動に対して表面上は愛想よく笑顔を見せるかもしれませんが、侵略責任をスルーするような日本人の偽善を心の底でせせら笑うに違いありません。

そうした侵略責任問題の中で、東アジアで今最も注目されているのは慰安婦問題です。ところが、日本の全国紙の中で最も「リベラル」と言われる『朝日新聞』や、同紙および岩波書店の『世界』が重用する「リベラル」な知識人たちすら、慰安婦問題について日本国の国家責任を真剣に追及しようとしません(拙ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」および「高橋源一郎氏の「慰安婦」論」 を参照)。こうした日本国の現状で、「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと主張することがいかに傲慢で独善的なものかは、言うまでもないでしょう。

たとえこうした文言が政権に「プレッシャー」を与えるためのものだとしても、侵略責任への真剣な取り組みへの決意を欠いたその「平和主義」が結局、「河野談話」・「村山談話」を擁護する程度の線で止まってしまうのは明白でしょう。これらの談話は周知のように歴代の日本政府が踏襲してきたもので、現在の安倍極右政権すら建前としては否定していません。この現状維持の線では、日本政府が慰安婦問題をはじめとする過去の侵略の国家責任を引き受けることは、まずありえません。ところが東アジアに平和的秩序を打ち建てるために一歩を踏み出すには、この線を突破して、日本国に過去の侵略責任を引き受けさせ、謝罪・清算させるという市民の決意が、絶対に不可欠なのです。

「自由と民主主義」についても同様のことがいえます。大井氏の論理では、日本国民の多数が一応は「自由と民主主義」の擁護者だということが前提にされなければなりません。だがそうした意味での日本国の「自由」や「民主主義」がいかに薄っぺらなものであるかは、前の二つの記事で指摘したとおりです。そもそも、「自由と民主主義に基づく政治を求めます」と宣言しているSEALDsの支援者らしき多くの人びとが、ある韓国人の女性研究者(在日コリアンではない)の冷静な問題提起に対して罵倒と誹謗を集中させるという、およそ民主主義とは正反対の行動を続けているのは、もはやブラックユーモアというしかないでしょう(この問題については近く再論する)。

大井氏には、まずは中国に来て、地方都市の路上の公衆トイレにでも入り、果たして件の標語のレトリックが有効なものかどうか、とくと考えてみることを勧めます。そのうえで、日本の「平和主義」「自由と民主主義」の惨状に照らして、SEALDsのいくつかの主張の妥当性・有効性についても、再検討していただきたいものです。

〔後記:一部字句修正しました。6月25日14時25分(北京時間)〕

木下ちがや氏からの批判に答える(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のHPの主張について私が拙ブログで展開した批判(http://datyz.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21-1 )に対して、旧知の木下さんからfacebook上で次のような批判が来ました。「偉そうな文章ですね。きちんと運動に同伴もしないで遠方から高踏な批評を述べてことたれり、という姿勢にしかみえない」と。

これに対して、私は次のように応答しておきます。

木下さん、お久しぶりです。あなたの言う「運動」とはなんでしょうか?あらゆる人の日常のなかに「現場」があり、そこに自分なりの「運動」がある、というのが私の考えです。ご自分たちの関わる「運動」だけが特別に重要で、それに「同伴」しないからといっていきなり罵倒するような傲慢な態度からは、真の民衆の連帯は生まれようがないのではありませんか?そうした態度こそ、120年に及ぶ近代日本の社会運動を毒しつづけ、敗北に追いやった要因の一つではなかろうかと、私は考えております。

それから、私は「SEALDs」の「運動」自体を批判したのではなく、そのHPにある主張(おそらくこの団体の綱領のようなものでしょう)について、私の信じる立場から批判したのです。私の立場というのは、拙ブログで繰り返し表明しているように、東アジアに真の平和をもたらすための前提条件は、旧大日本帝国のアジアに対する侵略責任を日本国が真摯に引き受け、清算することにある、というものです。この立場は私が拙ブログで一貫して述べ続けているもので、ここから「SEALDs」のHPが掲げる「安全保障」政策を批判したわけです。

もしあなたの信じる立場が私と異なるのであれば、「高踏」的の一語で済ませるのではなく、どうぞ反批判をしていただけませんか。有益な議論というものはそういうもので、残念ながら党派性の濃厚な近代日本の社会運動に一貫して欠けているものだと思います。「SEALDs」のHPは「日本の自由民主主義の伝統」を称揚していますが、私が戦後日本の「民主主義」の欠陥をこそ見つめねばならないと考えるのは、そういうわけです。

私は自分の立場から誠意をもって「SEALDs」のHPの主張を批判しました。ところが残念ながら、それはあなた方にいわせると、「偉そう」、「運動の邪魔をするな」ということになるのでしょう。批判が生産的な議論の材料として受け入れられず、友か敵かという党派的・二分論的発想のために、不毛な罵倒の応酬となってしまうのも、日本の民主主義の未熟を示すものでしょう。「SEALDs」の若者たちは、こうした大人たちを反面教師としながら、日本の民主主義を前進させてほしいと、私は心から願います。

(後記:木下氏については当初匿名としていましたが、諸般の事情を考え、日本の社会運動の当事者として責任をもった言論を展開していただくことを期待し、実名に変更しました。6月25日)

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)についての雑感 [日本・現代社会]

安倍政権が安保法案をめぐり衆院憲法審査会で墓穴を掘って以来、法案の違憲性について多くのメディアが盛んに報じるようになった。それを追い風に、安保法案の阻止を目指す市民運動が活発になっている。そこでにわかに脚光を浴びて運動の中心に躍り出たのが、SEALDs(シールズ―自由と民主主義のための学生緊急行動)だ。

このたび機会あってSEALDsのホームページを熟読してみたが、その主張にはいくつか疑問を感じるところがあった。私とてわざわざ海外から、せっかく盛り上がってきた運動に冷や水を浴びせるつもりはない。しかし日本社会の民主主義と東アジアの平和について考えるうえで重要な問題だと考え、以下にあえて疑問点を記しておきたい。

SEALDsの主張は「CONSTITUTIONALISM(立憲主義)」・「SOCIAL SECURITY(社会保障)」・「NATIONAL SECURITY(安全保障)」の三点から成る。なかでも最も問題だと考えるのは、「安全保障」についての彼らの考え方だ。

SEALDsは外交・安全保障政策について次のように主張している。

---------------(引用はじめ)
私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。現在、日本と近隣諸国との領土問題・歴史認識問題が深刻化しています。平和憲法を持ち、唯一の被爆国でもある日本は、その平和の理念を現実的なヴィジョンとともに発信し、北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべきです。
----------------(引用おわり)

ここでは、北東アジアの平和を脅かすものとして「領土問題」と「歴史認識問題」の二つが指摘されている。前者の領土問題についてSEALDsがどのような主張をもっているか、HPからはうかがい知ることができない。後者の歴史認識問題をめぐっては、あっさりと「歴史認識については、当事国と相互の認識を共有することが必要です」と述べたうえで、次のように続けている。

-----------------(引用はじめ)
先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります。
-----------------(引用おわり)

ここには図らずも、彼らの歴史認識が吐露されている。日本国は「多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した」というのである。確かに1995年の村山談話は、「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た歴史について「痛切な反省の意を表し」、「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」と述べている。

だが、そうした「犠牲と侵略」に対する日本国の「反省」は、どれほど実効性をもつものだっただろうか。例えば慰安婦問題について、日本政府は公式の謝罪を回避して、総理個人の「気持ち」を示した「おわびの手紙」と民間の寄付による「償い金」でお茶を濁そうとしたが、こうした姑息策は元慰安婦の方々の人権の回復を妨げる結果をもたらしている(本ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」を参照)。日本国が過去の侵略責任を真摯に清算しない限り、「当事国と相互の認識を共有すること」などできるはずがなく、東アジアに真の平和的秩序が打ち建てられることは決してないだろう。

そうした狡猾な日本国の「平和主義」を心底から信じるようなお人好しの国など、世界中どこにも存在しない。日本国が「侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した」などという、日本国内でしか通用しない内向きの幻想の上に立って、「東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャル」が日本国にはある、などと平然と語る日本人の(おそらく無意識の)傲慢な独善性に、アジアの多くの人びとは当然反発し、身構えることは間違いない。現状において、日本が「北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮する」可能性などゼロであることに、そろそろ気が付いてもよいはずなのだが。

そしてHPの冒頭には、SEALDsの根本的な立場が次のように述べられている。

-----------------(引用はじめ)
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。  私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。
-----------------(引用おわり)

ここで高々と掲げられている「戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統」とは、いったい何だろうか?戦後いや戦中から一貫して、「安全保障」の名目で沖縄に多大な犠牲を強い続けて恥じない日本国と、それを黙認し続けてきた国民のどこに、「尊重」すべき「自由と民主主義の伝統」があるのだろうか?「守る」べき「自由で民主的な日本」など、かつて存在したことがあるのだろうか?

そもそも日本国の民主主義の危機は、安倍政権になって突然生じたわけではない。「いまだ達成されていない未完のプロジェクト」たる「平和憲法の理念」を実現する道は、戦後の日本国の民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければならないだろう。昨年来高まってきた自己決定権の回復を求める沖縄の叫びは、そのことを私たちにはっきりと認識させたのではなかったか。

私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます」とSEALDsのHPは謳っている。確かにさまざまな平和勢力が結集して安倍政権を圧倒することは、この社会の民主主義を前進させるうえで喫緊の課題だろう。だが、「日本の自由民主主義の伝統」なるものがアジアや沖縄からの問いかけを無視するものであるならば、それを「守る」ことが平和勢力の結集軸になるとは、私にはとうてい考えられない。

以上、あえて厳しく書いてみた。中国に住んでいる私の、日本の最近の運動に対する誤解もあるかもしれないが、一つの問題提起として必ずしも無意味ではないと信じる。

もちろん、戦争はイヤだというSEALDsの若者たちの声が真摯なものであること自体を疑っているわけではない。戦争になれば真っ先に駆り出されるのは彼らだからだ。とはいえ、現在東アジアに垂れこめる暗雲は、安倍極右政権が転びさえすれば吹き飛ばされるような薄っぺらなものではなくて、近代アジア150年の歴史的因縁と深く重く結びついたものであることを、忘れるべきではないと思う。そのためにも日本の若者たちは、島国的・独善的な閉鎖性に陥ることなく、アジア各地の若者たちとこの問題を積極的に討論してみてはどうだろうか。

池澤夏樹氏の天皇論 [日本・現代社会]

8月5日の朝日新聞夕刊で、池澤夏樹氏の「終わりと始まり」というコラムが目にとまった。天皇をテーマとするこの文章を何気なく読み進めるにつれて、まずとまどいを感じ、次に違和感を覚え、しまいに深くため息をついた。下に感想を記しておく。

まず、池澤氏の次のようなくだり:

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 天皇の責務は第一に神道の祭祀(さいし)であり、その次が和歌などの文化の伝承だった。国家の統治ではない。だからこそ、権力闘争の場から微妙な距離をおいて、百代を超える皇統が維持できたのだろう。後鳥羽院はまず超一級の詩人で、次いで二級の君主だった(それでも天皇にしては政争過剰)。こんな王が他の国にいたか。

 千年を超える祭祀と文化の保持の後に維新が起こり、ヨーロッパ近代が生んだ君主制が接ぎ木される。島国は島のままではいられなくなった。グローバルな戦争の果てに、昭和天皇は史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた。この人について大岡昇平が「おいたわしい」と言ったのはそういうことではなかったか。一人の人間としての昭和天皇の生涯を見れば、大岡の言葉はうなずける。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

歴史上の天皇(ミカドの朝廷)の役割を「神道の祭祀」と「文化の伝承」に限定し、政治権力から切り離す見方は、よくある天皇観だ。が、政治権力(鎌倉幕府以後の武士政権)がミカドの朝廷を保護した理由として、血統カリスマの保持者であるミカドの伝統的権威を利用することで、新興の政治権力にすぎない自分(たとえば織田信長なり徳川家康なり)が天下に号令することを正当化しようとする意図があったことは、見逃せない。政治権力を外から権威づけてその正当性を基礎づけるミカド・天皇の政治的機能は、現代にいたるまで一貫しているのだ。

明治以後、天皇は単なる伝統的権威にとどまらず、統治権の総攬者としてさまざまな大権をもち、とくに陸海軍の統帥権を唯一人有する大元帥となった。戦争遂行の最高責任者である天皇が、敗戦によってその政治責任を問われるのは当然のことだ。しかし池澤氏は、天皇が政治上の責任者として「史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた」ことについて、「おいたわしい」(大岡昇平)という感情表現をそのまま首肯している。裕仁に対する池澤のこうしたナイーヴな情緒は、天皇を本来宗教的・文化的な存在であると考える彼の一面的な見方(それは和辻哲郎・津田左右吉をはじめ戦後の保守的な天皇制擁護論者におおむね共有されている)に基づいているようだ。

こうした池澤氏の天皇観の問題点は、現代天皇制に対する氏の次のような感想を読めば、いっそう明らかになる。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 七月二十二日、今上と皇后の両陛下は宮城県登米市にある国立のハンセン病療養所「東北新生園」を訪れられた。これで全国に十四カ所ある療養所すべての元患者に会われたことになる。六月には沖縄に行って、沈没した学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れられた。戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた。昨年の十月には水俣に行って患者たちに会われている。東日本大震災については直後から何度となく避難所を訪問して被災した人たちを慰問された。

 これはどういうことだろう。我々は、史上かつて例のない新しい天皇の姿を見ているのではないだろうか。

 日本国憲法のもとで天皇にはいかなる政治権力もない。時の政府の政策についてコメントしない。折に触れての短い「お言葉」以外には思いを公言されることはない。行政の担当者に鋭い質問を発しても、形ばかりのぬるい回答への感想は口にされない。

 つまり、天皇は言論という道具を奪われている。しかしこの国に生きる一人として、思うところは多々あるだろう。その思いを言論で表すことができないが行動で表すことはできる。国民はそれを読み解くことができる。

 八十歳の今上と七十九歳の皇后が頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか?

 みな弱者なのだ。

 責任なきままに不幸な人生を強いられた者たち。何もわからないうちに船に乗せられて見知らぬ内地に運ばれる途中の海で溺れて死んだ八百名近い子供たち、日々の糧として魚を食べていて辛い病気になった漁民、津波に襲われて家族と住居を失ったまま支援も薄い被災者。
(中略)

 今上と皇后は、自分たちは日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる。お二人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。

 しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

「訪れられた」、「会われた」、「聞かれた」「慰問された」……、これらの言葉の主語はいずれも「今上と皇后の両陛下」だ。池澤氏がいつから皇室についてこのような尊敬語で記すようになったのか、私は知らない。少なくともプロの物書きである以上、氏が意識的にこれらのことばを用いていることは疑いなく、天皇制の伝統的権威に対する氏の承認、さらには尊崇心がここに表されているといってよい。

池澤氏の言うように、明仁氏と美智子氏はこの6月に沖縄を訪問し、那覇市の対馬丸記念館を訪れ、犠牲者を追悼する慰霊碑に供花した(「両陛下、対馬丸遺族らと懇談」時事、6/27)。池澤氏は天皇夫妻の個人的な思いを忖度して、「徹底して弱者の傍らに身を置く」彼らを手放しで称賛している。が、天皇や皇室というのは現代日本において、日本国憲法や皇室典範に定められた国家機関であり、彼らの行為はその公的地位と無関係でありえない。天皇夫妻の個人的善意のいかんにかかわらず、彼らの沖縄訪問は現代天皇制の構造の中で考えなければならないはずだ。

例えば、対馬丸の悲劇と不可分の沖縄戦で、15万以上の沖縄県民の命が天皇制=国体護持のための犠牲にされたことや、戦後裕仁が占領軍宛てに、米国による沖縄の軍事占領の継続を希望する旨のメッセージを送ったことは、天皇制と沖縄とのかかわりを考えるうえで、避けることのできない問題だ。沖縄に住んだことのある池澤氏が、こうした問題を知らないはずがない。にもかかわらず、天皇夫妻の沖縄訪問について、「戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた」ことを氏がためらいもなく称揚するのは、理解に苦しむ。

ことは沖縄に限らない。全国のハンセン病療養所や、311震災の被災地、水俣、等々を訪問する天皇夫妻の行脚について、「史上かつて例のない新しい天皇の姿」、「日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる」などと賛仰する池澤氏。日本国家統合において現代天皇制がどのような役割を現に果たしつつあるのか、批判的な認識はかけらもない。

「これほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった」と断言する池澤氏にとって、「この国の民」とはいったい誰のことだろうか?天皇制の存否の問題はおくとしても、近代天皇制と侵略戦争をめぐる歴史的経緯から、天皇を「戴く」(高く奉げる、奉戴する、ありがたく敬い仕える)ことを拒絶する「民」が数多く存在することを、氏は忘れたのか?あるいは意図的に無視したのか?いずれにせよ、目を覆いたくなる言論の頽廃だ。

(なお、対馬丸犠牲者に対する天皇夫妻の慰霊がはらむ隠された問題については、本ブログ記事「対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって」を参照。)〔追記、2014年8月30日〕
タグ:天皇制
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