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韓国人研究者・鄭玹汀さんに対する人権侵害問題――バッシングに加担する社会運動家・研究者・ジャーナリストたち [日本・現代社会]

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDs(シールズ―自由と民主主義のための学生緊急行動)の声明文について問題を提起する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評でした。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては名誉毀損や脅迫とおぼしき行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

とりわけ問題なのは、「反レイシズム・アクション」を標榜するC.R.A.C.(旧レイシストをしばき隊)の事実上の主宰者である社会運動家の野間易通氏が、こうした外国人に対する人権侵害を助長する言動を執拗に続けていることです。野間氏は、鄭さんに対する人身攻撃を多数含むツイッター上の発言を収集して、まとめサイトを作成しました。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言の中には、鄭さんに対する侮辱・脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏は、鄭さんを「間抜け」と罵倒する題名をつけてそれらの発言をまとめることによって、外国人に対する人権侵害を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布し続けているのです。

社会運動家として自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っている野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する人権侵害がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを即刻閉鎖することです。ところが野間氏は、「『社会運動家として』の責任上、まとめを閉鎖する可能性は一切なく、自らの意志をもって今後も意図的に公開しつづけます」と公言し、「鄭さんを罵倒するのが人権侵害でない」などと放言を続けています。

また深刻な問題として、複数の大学に関係する研究者が鄭さんへの人権侵害に積極的に加担していることです。今年の春から京都大学の研修員として研究をはじめた鄭さんに対して、同じ研究会に属するkztk_wtnb @am_not氏は、鄭さんの見解に対してなんら具体的・学術的な批判を展開することなく、「人文の研究者としての訓練を受けたかも怪しくなってしまった」、「研究者として人間としてもサイテー」、「馬鹿かと思う」、「歴史研究者として落第だ」などと、侮辱・名誉毀損的ツイートを繰り返し投げつけ、果ては「これから鄭玹汀さんに研究会で会う度に、彼女の論文だけを資料にして相当に捻じ曲がった曲解を施してやる」と脅迫的な言辞まで発しています。(なお、kztk_wtnb氏はなぜか最近アカウント名をzttnと変更しながら、ツイートの公開・非公開を繰り返し、現在氏のツイッターは非公開設定となっていますが、氏の鄭さんに対する上記の人権侵害発言は野間氏のまとめサイトを通じて、ネット上に今も流され続けています)。

研究者であるkztk_wtnb氏が、鄭さんの研究者としての信用を不当に失墜させる名誉毀損的ツイートを匿名で繰り返しているのは、法的問題である以前に、研究者倫理からしても深刻な問題です。匿名で鄭さんの研究業績に対し中傷を繰り返すkztk_wtnb氏の行為は、研究者として許されない卑劣かつ悪質なものです。しかもkztk_wtnb氏は、自分の所属や研究テーマについて推測可能なツイートを自ら流しておきながら、やたら匿名にこだわり、アカウント名をkztk_wtnbからzttnに変更するなど小細工を重ねつつ、自分の行った悪事がいざ露見しそうになると、被害者である鄭さんを逆に「人権侵害」者扱いするツイートを連投し、「鄭玹汀がFacebookで行った人権侵害とハラスメントの記録をまとめておきます」などと事実を捻じ曲げ、「鄭玹汀さんによる人権侵害とハラスメントの記録」と題するまとめサイトを作成するという、とんでもない名誉毀損的行為を繰り返しています

また、同じくキリスト教研究者の上原潔氏も、SEALDsについての鄭さんの問題提起に対し、その具体的内容(戦争責任問題や歴史認識問題)はスルーしながら、「一方的なdis」「思想研究者の非現実性」「上から目線」などといった否定的言辞を繰り返し投げつけたあげく、「歴史研究者なんだから、それぐらい分かれよな」などと横柄な態度で鄭さんを罵倒するに至っています。さらに、上原潔氏は鄭さんと面識がないにもかかわらず、「直接会って、説明したい」「直接会う機会もあるかもしれませんので、そのときに話したい」「会ったときに話せばいい」など、〈直接会う〉ことに異常にこだわるツイートを連投しています。面識のない鄭さんに対して否定的言辞を投げつけ、罵倒までしておきながら、〈直接会う〉云々と繰り返すことが、外国人女性である鄭さんに深刻な威嚇・脅迫的な効果を与えることは明白で、そうした効果を上原潔氏自身も認識していたらしきことは「喧嘩リア凸と思われたのだろうか」という発言からも分かります。

その後も7月27日に上原潔氏は、SEALDsに関して学生と研究者を比較する他の人のツイートを引きながら、「学者は負けすぎ。言いたい放題言って、ちょっと批判されると、人権侵害だなんだと騒ぎ立て、同僚や取り巻きに慰められて安心してる。あまりに情けない…。」などと発言しています。SEALDsに対する批評文をめぐる人権侵害の被害を訴えているのが鄭さんにほかならないことは、『週刊金曜日』(7月17日号)の記事にも出ているように、関係者には周知のことです。しかも、上原氏自身が行った鄭さんに対する人権侵害的行為の問題性は、かねてから指摘されているのです。したがって、上記の上原潔氏の発言が、自己保身を目的とする、鄭さん個人に対する印象操作および中傷行為にほかならないのは明白です。

しかし、この上原氏のよる中傷行為について鄭さんがFB上で指摘すると、上原氏は「学者一般の話であって個人攻撃でもなんでもない」などと不誠実な言い逃れをしたあげく、「あの人は、傷ついたプライドを、誰かを吊るし上げて、叩き潰すことで快復させようとしてる」などと鄭さんに対する中傷攻撃を行っています。しかも上原氏は、「周りの人たちは、新左翼系とか昔の活動家」などと、鄭さんがあたかも「新左翼」の関係者であるかのようにほのめかしています野間氏も同様のほのめかしをしていますが、そもそも日本における政治的権利をなんら認められていない外国人研究者である鄭さんは、日本のいかなる政治団体にも関係していないのです。上原氏や野間氏のこうしたツイートは、特別永住者(在日コリアン)よりもいっそう政治的権利を制限された立場に置かれている外国人の鄭さんに対して、深刻な社会的損失を与えかねない悪質きわまるものといえるでしょう。

そのほか、SEALDsの声明文を批評した私に対して罵倒や中傷を繰り返している大学非常勤講師で社会運動家の木下ちがや氏(政治学)もまた、「なんだかんだで文句つけるしか能がない鄭玹汀さん、大田英昭さんと、国会前にちゃんとくる大沢真里さん、山口二郎さんで決着ついたね」(6月26日)などと、私と並べて鄭さんに対する誹謗を行っています。ここで木下ちがや氏は、私が中国の大学に勤務していることと、鄭さんが政治的権利のない外国人であることを知りつつ、私たちの研究者としての信用を失墜させることを目的として、私たちが6月26日の国会前デモに参加していないという当然の事実について、それに参加した日本人学者と比較して貶めるという、悪質な印象操作を行っているわけです。

そもそもSEALDsに対する鄭さんの問題提起について、木下ちがや氏は研究者として責任ある批評を公にしているのでしょうか。日本の戦争責任・歴史認識問題や社会運動内のナショナリズムをめぐって韓国人の鄭さんが提起した問題に対し、日本人の政治学研究者かつ社会運動家としてSEALDsにも関わっている木下氏は、誠実に応答する義務があるはずです。ところが木下氏は、そうした当然の義務を怠るばかりか、「文句をつけるしか能がない鄭玹汀さん」などと実名を挙げて誹謗中傷を行っています。そもそも、鄭さんに対する人権侵害的バッシングが進行中であることを知りながら、その尻馬に乗って外国人への人権侵害を助長する発言を意図的に垂れ流す木下ちがや氏の行為の問題は、厳しく追及されるべきでしょう。

鄭玹汀さんに対する人権侵害にはさらにジャーナリズムも加担しています。『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事は、SEALDsの支持者たちによって鄭さんに対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せ、さらに鄭さんの問題提起の主要部分である日本の戦争責任や歴史認識問題には触れず、批評文の一部の表現を恣意的に取り上げることによって、結果的に鄭さんに対する人権侵害の片棒を担いでいます。

外国人への人権侵害を助長するこうした記事が『週刊金曜日』に掲載されたことに対して、私を含む多くの市民が同誌編集部に抗議しました。私たちの抗議に対する回答が同誌8月7日号(66頁)に掲載されましたが、その内容はきわめて不誠実なものでした。回答文は、「小誌はもとよりあらゆる差別に反対しており、それを助長する意図はありません」と弁明し、私たちの抗議を「誤読」だと決めつけたのです。どこがどのように「誤読」なのかを具体的に説明することもなく。

そもそも『週刊金曜日』に対して私たちが問うているのは、加害の「意図」の有無などではなく、岩本氏の記事が結果的に外国人に対する人権侵害を助長している「事実」に対する編集部の「責任」なのです。被害者から自分自身の加害責任を追及されると、それは「誤読」だと被害者に責任を転嫁しさえする『週刊金曜日』編集部の態度は、ジャーナリズムとしていかがなものでしょうか。

社会正義の実現のために実践行動を行う社会運動家や、学術的真理の追究を使命とする大学研究者や、真実の究明と伝達を本分とするジャーナリズムは、自らの言論に対して、一般人よりもはるかに厳しい社会的責任を負っています。そうした社会運動家・研究者・ジャーナリストが、外国人研究者の問題提起に対して誠実な応答を怠り、あまつさえ人権侵害的バッシングに積極的に加担したり助長したりするという醜悪な光景が、私たちの眼前で展開されているのです。

鄭さんへの人権侵害的バッシングに加担する人たちは、安倍政権の戦争法案を批判するSEALDsの運動に何らかの形で参加あるいは共感しており、自分は正義の側にいると思い込んでいるふしがあります。安倍政権の戦争法案を阻止することが、日本社会の将来の平和にとって喫緊の課題であることは言うまでもありません。しかし、SEALDsに対し貴重な問題提起をした鄭さんを、自分たちが参加あるいは共感する運動にとって目障りな「敵」とみなして、彼女に打撃を与えることを正義だと信じ込んでいるらしき彼らの発想には、どこか恐ろしいものがあると私は感じます。鄭さんへの人権侵害的バッシングに加わっている人びとが、国家権力の手先や極右勢力ではなくて、安倍政権に批判的な社会運動家・研究者・ジャーナリストたちであるという事実に、私は驚愕させられます。

自分たちが正義と考える政治目的を実現するために、善良な市民(ましてや外国人)の人権を暴力的に蹂躙することも辞さない、といった雰囲気が日本の社会運動に広がってゆくならば、それはこの社会の民主主義を根元からやせ細らせ、腐食させてゆくことになるでしょう。それは、ある種のファシズムを日本社会に呼び込むことにつながりかねません。いまも進行している鄭さんへの人権侵害事件は、こうした事態の不吉な前兆であると、私は考えます。

この事件は、戦争法案阻止という「大事」の前の無視すべき「些事」などでは、決してありません。鄭さんに対する人権侵害を私たちが放置したり、眉をひそめるだけで通り過ぎたりするならば、日本の社会運動の内部に安倍政権と相似形の反民主主義勢力をのさばらせ、誰も予想しない深刻な結果をもたらしかねません。日本の社会運動は今、重大な分岐点に立っているのではないでしょうか。この事件を見過ごすことなく、鄭さんの人権をすみやかに回復させることは、日本の社会運動の健全な発展を願う私たちの義務であり、また東アジア諸民衆とともに平和的に生存することを希望する私たちの責任であると考えます。

なお、こうした問題意識のもとにfacebookの公開グループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」が8月16日に発足し、359人の方が問題を共有してメンバーに加わっています(8月19日0時32分現在)。

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【追記】 FBグループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」は20日、「社会運動上の人権侵害を許さない」に名称を変更しました。

「満洲国」の爪痕(7)神武殿旧址と牡丹園――日本の武道界と満洲侵略 [満洲国]

5月下旬の日曜日、長春の中心部にある「牡丹園」に出かけました。園内には牡丹(ぼたん)・芍薬(しゃくやく)など約二百六十品種・一万一千株が、七種の色に大別されて植えられています。満開になる5月下旬には一日およそ十万人の観光客が来園するとのことで、私が訪れた日も、繚乱する花々を楽しむ市民でにぎわっていました。
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牡丹園の由来は、日本の関東軍による満洲(中国東北部)侵略および「満洲国」建国の後、その国都とされた長春=「新京」の大規模な都市計画の一環として、市内を南北に貫く大動脈「大同大街」(現・人民大街)と新「帝宮」予定地とに挟まれたこの地に、都市公園の一つとして「牡丹公園」が1933年に建設されたことにあります。

日本敗戦による満洲国の滅亡に続く国共内戦など激動の時代を経て、この地は吉林大学の敷地となり、「牡丹公園」の西半分に大学関係施設が建てられた一方、東半分は「後花園」として残されました。この「後花園」がさらに改造されて98年「牡丹園」として一般開放され、市民の憩いの場となって今日に至るわけです。
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牡丹園の北側には、異様に大きな日本式屋根を載せた建物が見えます。P5240100.JPG
「紀元二千六百年」を記念して1940年に完成した「神武殿」旧址です。P5240104.JPG
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神武殿は、神道の祭祀施設を備えた総合武道場として建設され、柔道・剣道・弓道・相撲などの演武や試合を通じて、満洲における武道精神の宣揚が図られました。

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上の写真は、1942年に神武殿で開催された「建国十周年慶祝 日満交歓武道大会」に参加した合気道関係者の記念撮影です。中央右が合気道創始者の植芝盛平、左が植芝の高弟で満洲での合気道普及に努めた富木謙治です。

合気道と日本の満洲侵略との関係には浅からぬものがあります。「満蒙」の地に精神的な理想郷を建設することを夢見て1924年、大本教の出口王仁三郎が日本の関東軍特務機関の斡旋で満洲に渡った際、植芝がその身辺警護の役割で付き従ったことはよく知られています。こうして築かれていった軍関係者との密接なパイプを通じて、植芝の弟子の富木は1936年、関東軍からの招聘を受けて渡満し、新京の大同学院の講師として合気武道を指導、さらに1938年新京に建国大学が開設されるとその助教授(41年教授)となり、建国大学には正課として合気道が採用されることになりました(志々田文明『武道の教育力 ―満洲国・建国大学における武道教育』日本図書センター、2005年)。

日本敗戦後、富木はシベリア抑留を経て48年に帰国し、やがて早稲田大学教育学部教授に就任。日本の再軍備後は自衛隊徒手格闘の制定に協力し、75年には日本武道学会副会長に就任するなど、戦後も「活躍」しました。

ひとり合気道に限らず、日本帝国のアジア侵略に深く関与した武道界の責任は軽からぬものがあるでしょう。しかし、日本の武道界が自らの侵略責任に真摯に向き合ったという話を、私は寡聞にして知りません。

満洲国崩壊後、神武殿の建物は国民党軍校として使用され、さらに48年の東北人民解放軍による長春「解放」後は、東北大学(現・東北師範大学)および東北行政学院(現・吉林大学)がこれを使用し、57年には当時中国共産党が宣伝していた「百花斉放百家争鳴」「大鳴大放」のスローガン(自由な批判と討論の推奨)から「鳴放宮」と命名され、二千人収容可能な吉林大学の講堂となりました(その直後、「大鳴大放」は党内の「反右派闘争」へと暗転しますが)。

神武殿旧址は1990年、長春市の重点文物保護単位(重要文化財)に指定されたものの、まもなく吉林大学が移転すると建物はひどく荒廃し、屋根には雑草が生い茂るありさまとなりましたが、二年前の修復作業によって旧観を取り戻しました。しかし、日本帝国主義を象徴するこの建物をどう「活用」するのか、当局もまだ目処が立っていないようです。牡丹園の華やかなにぎわいとは対照的に、訪れる人もまばらな旧神武殿の正門はぴったりと閉じられ、重苦しい雰囲気を漂わせています。
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タグ:満洲国

クロポトキン『相互扶助論』と近代日本 [日本・近代史]

昨日、神保町の古本屋の店頭に、赤茶けたクロポトキンの『相互扶助論』(P. Kropotkin, Mutual Aid)の英語版(1919年刊)を見つけた。百円で購入。
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『相互扶助論』は、クロポトキンがイギリス亡命中の1902年にロンドンで初版が刊行。たちまち反響を呼んで版を重ね、世界各国の社会主義者・アナーキストに大きな影響を与えた。日本では、クロポトキンと文通していた幸徳秋水が本書の翻訳に着手したものの、病を得たため山川均に交代して翻訳が続行された。その間「屋上演説事件」(1908年1月)で検挙された山川は、巣鴨監獄の中で第1・2章の翻訳を完成させ、出獄後の1908年6月に『動物界の道徳』と題してシリーズ「平民科学」の第四編として有楽社から出版した。
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(国立国会図書館近代デジタルライブラリーより http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832768/73

この「平民科学」シリーズの序文に編者の堺利彦は次のように書いている。「科学に平民科学と貴族科学若しくは富豪科学との別を立てる訳は無い。然〔しか〕し今の世では、学問は殆んど富豪貴族の独占となるべき勢ひである。…(中略)…既に斯〔か〕くの如くなれば、彼等の科学には必ず階級的偏見が混じて居る。科学の真髄は固より一様に平民と貴族と富豪とに通ずべき者であるが、只だ其の実際の応用に至つては、或は故意に、或は不知不識〔しらずしらず〕に、枉〔ま〕げて自己階級の利益を計る事になる。…(中略)…そこで平民には平民の科学が必要である。平民は如何なる場合にも自ら考へて独立の判断を為す必要がある。

こうした観点から編纂された「平民科学」シリーズには、山川によるクロポトキンの『相互扶助論』の抄訳のほか、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)のうち国家論を除く部分が堺利彦の訳で『男女関係の進化』と題して、シリーズの第三編として刊行されている(1908年)。当時の官憲によって最も危険な思想として厳しく取り締まられていた無政府主義や社会主義の主要著作をいかにして合法的に世に送り出すか、当時の人びとの苦心のあとが偲ばれる。

だが、「平民科学」シリーズの出版直後の1908年6月、堺・山川・大杉栄・荒畑寒村ら十六名が検挙され、うち十二名に重禁錮一年から二年半の判決が下った(赤旗事件)。社会主義者・無政府主義者ら二十四名に死刑判決が下され、うち十二名が処刑された「大逆事件」の大弾圧が始まるのは、その二年後である。

大逆事件という弾圧の嵐を「縊り残され」て生き延びた大杉栄は1915年の秋、東京の丸善の店頭にクロポトキンの Mutual Aidが売られているのを見たという(「動物界の相互扶助」『新小説』1915年10月)。丸善に置かれていたのは同年の初めにロンドンで刊行された廉価な普及版であったが、昨日私が神保町で百円で買ったMutual Aidはその二刷(1919年)なので、丸善で大杉が手に取ったのとほぼ同じ体裁のものと思われる。

大杉はこれを全訳し、『相互扶助論』と題して1917年10月に春陽堂から刊行した。この訳書も日本の読書界に非常な反響を呼んだようで、大杉が関東大震災で憲兵隊に虐殺された翌年の1924年6月には31版を重ねている。
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(国立国会図書館近代デジタルライブラリーより http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979698

1920年前後は、日本社会でアナーキズム思想が最も勢力を得た時期だ。同年、コミンテルンの密使からの要請で、上海で開かれた極東社会主義者大会に出席したのは大杉だったし、同年末に結成された日本社会主義同盟でも、アナーキストの勢力はマルクス主義者のそれと肩を並べていた(両者は未分化でもあった)。

そのころ、アナーキズムへの関心はアカデミズムにも広がっていた。東京帝国大学経済学部の紀要『経済学雑誌』の創刊号(1920年1月)には助教授森戸辰男の「クロポトキンの社会思想の研究」が掲載され、無政府共産の革命思想が紹介された。なお、森戸のこの論文は「国権の変更と国法の廃絶を企図」したと官憲によって断定され、森戸自身も新聞紙法の「朝憲紊乱」の罪で起訴されて、大審院で禁固3カ月の有罪判決が確定した(森戸事件)。大学における学問の自由を日本国家が蹂躙した一例として、忘れてはならない事件である。

おそらく1920年前後の無政府主義の華やかなりし頃、この列島社会の誰かが購入し、大震災・戦災さらには戦後の変転をもくぐりぬけ、何の因果か昨日たった百円で私の手に落ちたMutual Aid 。その赤茶けた頁をめくるたびに、古い紙の匂いとともにさまざまな感慨にとらわれる。

最後に、クロポトキンの『相互扶助論』の結論を大杉栄の訳文で引いておきたい(クロポトキン原著、大杉栄訳『相互扶助論』〔春陽堂、1917年(第31版、1924年)〕405~406頁)。

-----------------------------(引用はじめ)
相互扶助は、氏から氏族に、氏族の聯合に、民族に、そして遂に少なくとも理想の上にだけは全人類にまで拡張した。同時に又此の原則は精煉された。

原始仏教や、原始キリスト教や、或る回々教先達の文学や、宗教改革の初期の運動や、殊に又十八世紀及十九世紀に於ける合理的又は哲学的運動に於ては、復讐の観念や、『正当の報ひ』と云ふ観念、即ち善に報ゆるに善、悪に報ゆるに悪と云ふ観念を全く放棄する事が益々強く確かめられて来てゐる。『損害に対して復讐しない』と云ふ、又は隣人から受けようと思ふよりも多く与へると云ふ、より高尚な観念が、公平とか公正とか又は正義とか云ふ単純な観念よりももつと優れた、且つもつと幸福に導く原則、本当の道徳原則である、と主張されて来た。

そして人は、愛と云ふ常に個人的な若しくはたかだか氏族的なものによつてではなく、自分が一切の人類と一つのものであると云ふ意義に訴へて、其の意義によつて自分の行為を導かれるようになつて来た。

斯くして吾々は、人類進化の最初にまで遡る事の出来る相互扶助の実行の中に吾々の倫理観念の疑ふべからざる確実な起原を見出すのである。そして吾々は、人類の道徳的進歩に於ては、相互闘争よりも此の相互扶助の方が主役を勤めてゐると断言する事が出来るのである。そして又吾々は、此の相互扶助が今日猶広く拡がってゐると云ふ事に、吾々人類の更に高尚な進化の最善の保障を見出すのである。
-----------------------------(引用おわり。なお段落の区切りは引用者による)

長春だより

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