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沖縄と満洲――被害と加害のはざまで [沖縄・琉球]

沖縄と満洲.jpg
沖縄女性史を考える会編『沖縄と「満洲」――「満洲一般開拓団」の記録』(明石書店、2013年)。少し前、勤務先の学校の図書館から、日本語の本で何かいいものはないかといわれて、推薦したうちの一つがこの本だ。

1936年、満洲国新京(現・長春市)の関東軍司令部は、二十年間に日本から百万戸・五百万人を満洲へ農業移民として送り出す計画を立て、満洲国政府・日本政府に承認させた。この国策に基づき38年、沖縄県は三万戸・十五万人の県民を満洲に移住させて「沖縄分村」を建てる構想を立案し、40年に「満洲開拓農民先遣隊」として68名が黒竜江省に入植。以後多くの沖縄の農民男女が「開拓団」として海を渡った。

開拓農民に与えられた土地の多くは、無人の荒野を開墾したものではない。もともとそこで暮らしていた漢族・満州族・朝鮮族などの地元農民を、「匪情悪化」を口実に有無を言わさず暴力で強制移住させ、その農地を「無人地帯」として満洲開拓公社が安く買いたたき、そこに日本の開拓民を移住させたのだ。それは、日本軍の暴力を背景とする帝国主義侵略政策以外の何ものでもない。

1920年代半ばから30年代にかけて、沖縄は不況のどん底にあえいでいた。琉球処分後に日本資本主義に強制的に組み込まれ、サトウキビという単一商品作物の生産を国策として割り当てられていた沖縄。その植民地的な経済構造はきわめて脆弱で、昭和恐慌そして世界恐慌という荒波の前にひとたまりもなかった。

当時の農民の主要な食物だった甘藷すら不作に陥った年には、山野に自生するソテツを毒抜きして食べて飢えを凌ぐ惨状が、各地にみられた(ソテツ地獄)。食べるために沖縄から多くの人びとが海を渡り、日本本土そして海外へと移住していった。1940年、沖縄県民の海外在留率が9.97%と、他府県に比べて圧倒的に高い比率を示すのはそのためだ。

こうした状況で、満洲移民という国策に沖縄県が積極的に応じたのは必然だった。県の募集に応じた沖縄の農民たちは続々と満洲に渡った。彼らは一面、日本帝国の植民地的な沖縄政策の犠牲者であった。しかし他面では、沖縄の人びともまた大日本帝国臣民として、満洲侵略の尖兵としての役割を結果的に担ったことは否めない。とりわけ、土地を奪われた中国東北農民から見れば、日本本土農民も沖縄農民も、侵略者の手先である「日本鬼子」として何の変わりもない。

1945年8月の日本敗戦・満洲国崩壊後、沖縄の女性や子どもたちも多くが置き去りにされ、ソ連軍侵攻の混乱の中で命を落とした人や、酷寒の中国東北の地に残留孤児・残留婦人として取り残された人が少なくない。なお、サイパン島など南洋群島に移住した沖縄人たちも、多くが戦火に巻き込まれて悲惨な最期をとげたことは周知のとおりだ。沖縄戦に巻き込まれた県民とおなじように、海外に移住した同胞たちの多くもきびしい運命に直面せざるを得なかった。

私の父方の祖父母はともにヤンバル出身の生粋の沖縄人だった。ソテツ地獄下の沖縄を去ってヤマトに渡った祖父はやがて日本帝国の官吏となり、天皇の勅任官として台湾の某地方に派遣され、植民地統治の一端を担った。その間私の父も台湾で生まれている。アジア・太平洋戦争の末期、米軍が台湾に上陸していたら、私はこの世に存在しなかった可能性が高い。しかし米軍は台湾をスルーして沖縄に上陸したため、父の一家は生き延びることができたのだ。

その結果、私もこうしてこの世に存在している。沖縄人でありながら、日本帝国の植民地官僚として、沖縄戦を経験せずに無傷で生き延びた者の子孫である私が、沖縄そしてアジアに対しどのように向かい合えばいいのか、今も悩みは深い。

その私が、かつて満洲国の首都新京と呼ばれ、日本帝国の植民地経営の中心地だった長春にやって来て、はや四年目。七十数年前、沖縄の多くの貧しい農民たちがこの都市を通過し、はかない希望を抱きつつ、現実には大陸侵略の尖兵として、酷寒の満洲各地に散っていった。零下20度を下回る夜、そのことをこの地で想うとき、いたたまれない気分になる。日本帝国主義の犠牲者でもあり侵略者でもあった沖縄の人びとが、満洲の地にどのような経緯で移住し、いかに悲劇的な逃避行で去って行ったのか、中国東北の人びととともに考えたい。

辺野古における海保の許されざる暴力 [沖縄・琉球]

辺野古での海上保安官の暴力がエスカレートしている。無抵抗の市民を拘束するにとどまらず、水中に繰り返し沈める、羽交い絞めに押さえつける、腕を後ろ手に捩じ上げる、後頭部を船底に打ちつける、首根っこを締めつけながら罵声を浴びせる、など公務員としてあるまじき暴行の数々。ある市民は頸椎捻挫で全治10日の怪我を負い、昨日は顎関節捻挫で全治2週間の負傷者が出た。明白な犯罪行為だ。にもかかわらず海上保安庁は知らぬ存ぜぬを通し、職員を処分せずに暴力を野放しにしている。国家機関の黙認のもとで、無抵抗の市民に対する暴力が白昼堂々と行われているのだ。異常事態といわねばならない。

海保は辺野古海域での警備活動について、海上保安庁法第18条1項を持ち出して正当化しようとしているらしい。同法第18条1項は、「海上における犯罪が正に行われようとするのを認めた場合又は天災事変、海難、工作物の損壊、危険物の爆発等危険な事態がある場合であつて、人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害が及ぶおそれがあり、かつ、急を要するとき」に、海上保安官は船舶の停止、進路変更、乗組員等の下船、などの措置を講ずることができる、と定めている。しかし、カヌーに乗った市民による非暴力の抗議表現が、この条項に触れる犯罪とはとうてい考えられない。事実、海上保安庁は逮捕権を行使することなく、その代わりに、海上保安官が非公式の暴力=リンチを市民に対して漫然と振るい続けているのを、放置・黙認しているのだ。

暴行を繰り返す海上保安官はおそらく、国家の安寧秩序を乱すけしからん「不逞の輩」を懲らしめ、痛めつけるのは正しいことだと、信じているに違いない。だがそうした彼の「正義感」は、91年前に軍・内務省の教唆で朝鮮人を手当たり次第に殺しまくった在郷軍人どもや、亀戸で労働運動家11名を殺害した習志野騎兵13連隊の軍人連や、大杉栄・伊藤野枝夫妻と6歳の甥を虐殺した東京憲兵隊の連中などが、非公式の殺人=リンチ実行の際にふくらませていたであろう「正義感」と、本質的にどこが違うのだろうか?上から命令や示唆さえあれば、くだんの海上保安官も同じように嬉々として市民に対し「正義の刃」を振り下ろすかもしれない。恐るべきことだ。

辺野古の海では連日、沖縄の平和的生存権を侵す新基地建設に抗議する非暴力の市民に対し、国家公務員が露骨な暴力を振るい傷つける異常事態がつづいている。この重大な国家犯罪を、沖縄二紙を除き日本のマスメディアはほとんど報道していない。市民やメディアによる監視・批判を受けない国家権力がいかにおぞましい方向に進みかねないかは、この国でも戦前に実証済みだ。今、沖縄で起きかけている事態の深刻さを、私たちははっきりと認識する必要がある。

辺野古新基地:海保拘束、カヌー男性けが【動画あり】(沖縄タイムス、9/11)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=82777

[海保暴力]無抵抗の市民に力ずく 水中沈め、恫喝も(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231433-storytopic-271.html

海保の暴力表面化 押さえ付け脅し、けが人も(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231432-storytopic-271.html

[海保暴力]威圧的行為が横行 「組織として問題」(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231434-storytopic-271.html

[海保暴力]「答えられない」繰り返す 海保、取材に消極的(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231436-storytopic-271.html

[海保暴力]解説:拘束の根拠説明必要(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231441-storytopic-271.html

[海保暴力]識者談話 自信なく後ろめたさ(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231438-storytopic-271.html

[海保暴力]海保職員を告訴 那覇地検が受理(琉球新報、9/11)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231443-storytopic-271.html

対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって [沖縄・琉球]

今年6月、明仁氏と美智子氏が那覇の対馬丸記念館と、記念館裏の旭ヶ丘公園にある対馬丸遭難学童を慰霊する「小桜の塔」を訪れたことは、以前報道で大きく取り上げられた。これについて、作家の池澤夏樹氏が『朝日新聞』のコラムで、「徹底して弱者の傍らに身を置く」天皇夫妻の「自覚的で明快な思想の表現」だと称賛したことについては、本ブログの記事「池澤夏樹氏の天皇論」で以前批判的に取り上げた。

ところで旭ヶ丘公園内には、「小桜の塔」以外にも、戦時中に対馬丸以外の25隻の船舶に疎開や徴用などで乗船し犠牲となった沖縄県民1927人を慰霊する「海鳴りの像」がある。いずれも沖縄戦と関係の深い犠牲者の慰霊碑だ。沖縄の「戦時遭難船舶遺族会」は6月、天皇夫妻の来県に合わせて、「海鳴りの像」への訪問も要請した(琉球新報、2014年6月18日)。が、天皇夫妻は「小桜の塔」だけを訪れ、同じ公園内にある「海鳴りの像」はスルーした。この差別はいったいどこから来たのか?

この問題について、澤藤統一郎氏のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の記事が的確に触れているので、下に一部引用し紹介したい。そこには戦争と「国家慰霊」をめぐる根本問題があり、「靖国」問題とも深いところで結びついていることがわかるだろう。

(引用はじめ)
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「戦時遭難船舶遺族会は、『小桜の塔』と同じ公園内にある『海鳴りの像』への(夫妻の)訪問をあらかじめ要請していたが、断られた。海上で攻撃を受けた船舶は、対馬丸以外に25隻あり、犠牲音数は約2千人といわれている。なぜこのような違いが生じるのだろうか。」

『小桜の塔』は対馬丸の「学童慰霊塔」として知られる。しかし、疎開船犠牲は対馬丸(1482名)に限らない。琉球新報は、「25隻の船舶に乗船した1900人余が犠牲となった。遺族会は1987年、那覇市の旭ケ丘公園に海鳴りの像を建てた。対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』も同公園にある」「太平洋戦争中に船舶が攻撃を受け、家族を失った遺族でつくる『戦時遭難船舶遺族会』は、(6月)26、27両日に天皇と皇后両陛下が対馬丸犠牲者の慰霊のため来県されるのに合わせ、犠牲者が祭られた『海鳴りの像』への訪問を要請する」「対馬丸記念会の高良政勝理事長は『海鳴りの像へも訪問してほしい。犠牲になったのは対馬丸だけじゃない』と話した」と報じている。

しかし、天皇と皇后は、地元の要請にもかかわらず、対馬丸関係だけを訪問して、『海鳴りの像』への訪問はしなかった。その差別はどこから出て来るのか。こう問いかけて、村椿嘉信牧師は次のようにいう。

「対馬丸の学童の疎開は当時の日本政府の決定に基づくものであるとして、沖縄県遺族連合会は、対馬丸の疎開学童に対し授護法(「傷病者戦没者遺族等授護法」)の適用を要請し続けてきたが、実現しなかった。しかし1962年に遺族への見舞金が支給され、1966年に対馬丸学童死没者全員が靖国神社に合祀された。1972年には勲八等勲記勲章が授与された。つまり天皇と皇后は、戦争で亡くなったすべての学童を追悼しようとしたのではなく、天皇制国家のために戦場に送り出され、犠牲となり、靖国神社に祀られている戦没者のためにだけ、慰霊行為を行ったのである。」
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(引用おわり)
タグ:沖縄 天皇制

沖縄有事と戦時動員準備 [沖縄・琉球]

『毎日新聞』(8月3日)の報道。尖閣・沖縄有事をにらんだ戦時動員のための準備が水面下で進んでいる。防衛省は津軽海峡フェリー(北海道函館市)と新日本海フェリー(大阪市)の二社と契約を結び、南西諸島有事の際は二社の高速フェリーを借り上げて自衛隊員を戦闘地域に運び、さらに民間船舶の乗組員をも予備自衛官にする方向で検討中だという。

防衛省:有事の隊員輸送、民間船員も戦地に 予備自衛官として、検討 フェリー2隻借り上げ(毎日新聞、8/3)

予備自衛官(軍隊の予備役に相当)は、平時は民間人としてそれぞれの生業に従事するが、有事の際には防衛召集(いわゆる赤紙)に応召せねばならない義務があり、戦争への参加を強いられる。月額手当わずか4千円のこうした予備自衛官は本来、退官した元自衛官から採用されるものだが、2002年からは自衛官経験のない民間人を、教育訓練(一般者50日、技能者10日)などを経て予備自衛官に採用できるようになった(この新制度は現在陸上自衛隊に限られているが、海上自衛隊にも導入する方向だという)。

つい先日、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で、民間警備会社ALSOKの従業員が官憲と市民の対峙する最前線に立たされているのを見た。民間の労働者が一片の業務命令によって、本人のよく知らないうちに、国家意志の暴力的貫徹の手段としてすでに動員されはじめているのは、恐るべきことだ。日本の企業風土から言って、こうした命令を従業員が拒否するのはたやすくないだろう。

予備自衛官になれば、有事の際には防衛召集に応じる義務があり、戦場に投入されることから逃れられない。それでも船会社から予備自衛官になれと命じられるならば、乗組員が個人として拒否するのは難しいだろう。ことは船員に限られない。すでに小泉内閣の2004年に成立した国民保護法は、有事の際に国民が必要な協力をするよう努力義務を課しているのだ。

誰も殺さない、殺されないためにはどうすればよいのか。一人ひとりがこの問題を本気で考えねばならない時は迫っている。
タグ:沖縄

辺野古、7月30日 [沖縄・琉球]

7月30日、台風12号の接近のために沖縄本島の天気は大荒れ。激しい雨が断続的にたたきつける中、車で辺野古に向った。
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台風接近で当局の海上での作業はひとまず中止となり、海にはつかの間の平穏が戻っていた。
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今回の台風は、海上で連日抗議活動を続けてきた方々にとって、つかの間の休息をもたらす恵みの嵐なのかもしれない。とはいえ作業はやがて再開し、海上での困難な闘いもまた始まるだろう。
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当面の闘いの現場となっているのはキャンプ・シュワブ第1ゲート前。市民の抵抗を排除しながら、国家権力の意志として重機や資材が続々と搬入されてゆく。炎天、突風、驟雨がかわるがわるやってくるので、体力の消耗が激しい。木立すらないこの場所に連日座り込んで非暴力の抵抗を貫く人々には、本当に頭が下がる。
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下の写真。半袖の制服で市民の前に立ち塞がっているのは、民間警備会社ALSOK(綜合警備保障)の従業員たち。おそらく一片の業務命令で突然、何の説明もなく国家権力と民衆とが対峙する最前線に駆り出された労働者たちにすぎないのだろう。彼らは灼熱の日差しを防ぐ準備もなく、露出した肌がひどい火傷状態になっている。その後ろにいる沖縄県警の警察官はもちろんみな長袖だ。右上の小さな人影は市民を監視する公安か。写真の左には例の「殺人鉄板」の一部が見える。
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辺野古「殺人鉄板」 直ちに撤去し人命守れ(琉球新報、7/31社説)

那覇では、沖縄に平和を取り戻すために闘っている方々にお会いして、平和への思いや沖縄の運動のこと、さらにはこれまでの生きざまについてもお話を伺い、大いに力づけられた。これからの闘いは長丁場になるだろう。決してあきらめず、粘り強く、私も小さな声をあげ続けてゆきたい。

沖縄県南城市「航空攻撃情報」の誤放送とJアラート [沖縄・琉球]

---------------------------------------------(引用はじめ)
「沖縄県南城市は14日午後4時14分、市内の公民館に設置したスピーカーを通じ「当地域に航空攻撃の可能性があります」と誤って放送した。全国瞬時警報システム(Jアラート)機器の更新作業中の誤作動だという。市民からは「本当の情報か」などと、問い合わせが20件以上相次いだ。
市は「航空攻撃情報。当地域に航空攻撃の可能性があります。屋内に避難し、テレビ、ラジオをつけてください」と2回放送。午後4時半に「テスト放送の誤作動です。大変申し訳ありませんでした」と訂正とおわびを4回放送した。」
---------------------------------------------(引用終わり)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140314/crm14031421080019-n1.htm

なお、昨年末には和歌山県橋本市で「ゲリラ攻撃情報。当地域にゲリラ攻撃の可能性があります」という誤放送が防災無線で流れたそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121320060019-n1.htm

ずいぶん物騒な誤放送だが、これらはいずれも、全国瞬時警報システム(Jアラート)の定型文らしい。Jアラートは地震や大津波などの緊急自然災害情報も流すが、もともとは小泉内閣のときに制定された武力攻撃事態対処関連3法や国民保護法など有事法制に基づく「国民保護」を運用面で支えるものとして、2004年度から整備が進められている。
(総務省消防庁 国民保護室・国民保護運用室http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/fieldList2_1.html

今回の「航空攻撃情報」や昨年末の「ゲリラ攻撃情報」は誤放送として流されたものだが、しかしやがては、防災訓練とともに「防空訓練」「対ゲリラ攻撃訓練」が日本各地で常態化する日が来るかもしれない。政権が「国民保護」を大げさに言い立て、人びとの頭に危機意識を植え付けようとするとき、戦争への動員準備はすでに始まっている。誤放送が本放送にならないよう、極右政権の動向を注意深く監視せねばならない。

八重山教科書問題と石垣市長選――日本政府の後ろ暗い過去 [沖縄・琉球]

歴史修正主義の濃厚な「新しい教科書をつくる会」系の育鵬社版の公民教科書について、採用の押しつけを拒否している沖縄県竹富町。2月28日に安倍政権が閣議決定した「教科書無償措置法」改正案は、明らかにこの竹富町を狙い撃ちにしたものだ。

文科省はすでに昨年10月、竹富町に対してスラップ訴訟まがいの恫喝を構えながら是正要求を出すことを決めており、今月上旬にも育鵬社版教科書の採用を強要する方針を固めたという報道がつい先月流れたばかりだ。そして今回の閣議決定。

人口わずか4千人足らずの竹富町の教育行政に対して、なぜ政府はかくも異常な執念を燃やして政治介入を行おうとするのか?竹富町の位置する八重山が、尖閣諸島と隣接し(行政上は八重山の石垣市に属する)、日米中のパワーゲームにおける要の場所にあるというその地政学的位置が、この地域の教育に対する安倍右翼政権の異常な関心と関係しているのは確かだろう。さらに政権はこの八重山教科書問題を、教育の国家統制を一気に進めるための梃子として利用しているのかもしれない。

ところで、日本政府は「琉球処分」直後の1880年、宮古・八重山諸島を清国に引き渡す代わりに内地通商権などを得る「琉球分割条約」を自分から清国に持ちかけてこれを締結し、調印寸前までいった過去がある(条約の締結をいったん認めた清国が土壇場で調印を渋ったため、事なきを得た)。いわゆる「国益」と引き換えに日本政府が宮古・八重山を外国に切り売りしようとした歴史的事実は、永久に消えることがない。

政府は今、この後ろめたい過去を隠しながら、中国との軍事的最前線だと騒ぎ立て、八重山住民にナショナリズムを注入しようしている。だがいざ事が起これば、政府が八重山住民をどこまで本気で守るかは疑問だ。沖縄、とりわけ八重山が、日本の「国益」のために再び捨て石にされてもおかしくない。

今日3月2日は石垣市長選の投票日だ。昨年12月決定の防衛計画の大綱で南西諸島の防衛体制強化を打ち出した政府は、陸上自衛隊の新たな警備部隊を石垣市に配備することを検討している。これを報道した『琉球新報』に対し、防衛省が露骨な圧力を加えたことが明らかになった。石垣市に100億円基金の利益誘導を行った自民党の石破幹事長もまた、同紙を公然と批判している。保守系候補を当選させるためになりふり構わぬ政府・自民党のやり方は、中国との軍事的緊張を政権浮揚の梃子にしようと企む彼らの危険な手口と結びついているのだろう。

「アベノミクス」やらオリンピックやらのどさくさに紛れて、この国を乗っ取っている右翼政治家たち。彼らの政権が一日永らえるごとに、この国は一歩破滅へと近づく。そのとき真っ先に犠牲にされるのは沖縄、とりわけ八重山だ。

「教科書は採択地区内で統一 無償措置法改定を閣議決定」『琉球新報』2/28
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-220405-storytopic-238.html

石破茂「石垣市長選など」HUFFPOST JAPAN, 3/1
http://www.huffingtonpost.jp/shigeru-ishiba/ishigaki-island_b_4878217.html

タグ:八重山 沖縄

辺野古に軍港機能 沖縄防衛局の埋め立て申請書が明らかに(琉球新報 12/21) [沖縄・琉球]

沖縄防衛局はこれまで、環境影響評価(アセスメント)の手続きの中で、辺野古に建設を計画する普天間の代替基地が「軍港」機能を持つことを否定してきました。ところがその説明の虚偽がこのたび明らかになりました。沖縄防衛局の埋め立て申請書に記載された代替基地の諸施設の規模が、今まで県に示してきた計画よりも拡大していたことが、昨日になって判明したのです(『琉球新報』12/21朝刊)。

まず、艦船の接岸する護岸の全長が、約200メートルから272メートルへ延長されました。オスプレイ12機や海軍エアクッション型揚陸艇(LCAC)が搭載可能な、米海軍強襲揚陸艦ボノム・リシャール(全長257メートル、4万500トン、最大航続距離9500マイル(1万5288キロメートル)以上)の立ち寄りが可能になる長さです。さらに、同揚陸艇LCACの水陸両用訓練が可能となる斜路(しゃろ)の存在も新たに図示されました。上陸侵攻作戦を行う「殴り込み部隊」を支援する拠点が、ここに造られてしまいます。

こうした重大な計画変更を市民に隠し続けた日本政府の欺瞞的なやり口は、国民としてもはや民主主義国家と呼ぶことも恥ずかしい。民主主義を根本から否定する政府の行為を、本土のマスコミはまだ報道していないようです。こんなことを黙認するとすればそれはジャーナリズムの死を意味するでしょう。

辺野古移設計画の行方は大詰めを迎えています。「普天間飛行場の5年以内の運用停止」など仲井真知事の「基地負担軽減」策の要望に対し、安倍政権は「最大限努力する」などと、またしても空虚な回答をしました。その一方で、米国防総省のウォレン報道部長は普天間の5年以内運用停止について「約束できない」と突き放しました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-216933-storytopic-3.html

このような状況で辺野古移設が強行されれば、「基地負担軽減」どころか、米軍の世界戦略の中に沖縄はいっそうがんじがらめに組み込まれ、軍事要塞化が進むことになるでしょう。米・中・日の軍事的な角逐が深刻化しつつあるなかで、沖縄はいっそう危険な位置に立たされます。

沖縄をまたもや「捨て石」にしようとしている日本政府のやり口を、国民は黙認するのか?この国の民主主義の真価が今、問われています。

中国の大学で教える琉球・沖縄史――反戦平和への沖縄の決意を伝えるために [沖縄・琉球]

現在私は中国・長春の東北師範大学で日本・東アジア史(思想史)を担当していますが、今学期は大学院生向けに「琉球・沖縄史」を開講することを決め、毎週2時間教えています(日本語に中国語を交えながら)。

中国の東北地方は場所柄日本語学習者が多く、とりわけ私の勤務先の東北師範大学では日本研究が盛んです(私の所属する歴史文化学院のほか、文学院・外国語学院にも日本研究の施設があり、さらに大学附属の「赴日本国留学生予備学校」は、日本の文部科学省の国費留学生として選抜された中国全土の大学院生が渡日前に日本語教育を受けるセンターとなっています)。ですから、私のように中国語がたいして流暢でない日本人教員でも、講義が成り立つというわけです。
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【写真は、東北師範大学歴史文化学院】

今年5月、中国メディアでは「琉球帰属問題」キャンペーンが行われ、日本・アメリカに対する権力外交のカードとして沖縄を利用しよう、という中国側の姿勢があらわになりました。ちょうどその頃、報道に扇動されて中国のネットには「琉球を奪還せよ」「琉球独立を支援しよう」といった勇ましい書き込みがあふれました。沖縄の多くの人は福建語を話している、などという奇怪な「解説」が国営メディアで流されたこともありました。こうしたキャンペーンは現在落ち着いていますが、沖縄がいつまた大国間の危険なパワーゲームに巻き込まれないとも限らない、という危惧を私は強くもっています。

そもそも中国では、かつて琉球が中華帝国への朝貢国だったことが広く知られている一方、現代の沖縄やそこに生きる人びとについての情報が、あまりに欠けています。上に触れた福建語云々の珍説がまことしやかに流されるのもそのためでしょう。こうした状況に私は深い危機感を覚え、中国の将来を担う若い世代に、沖縄の歴史と現在について少しでも伝えてゆかねばならないと考え、琉球・沖縄史を開講することにしたのです。むろん私は沖縄の専門家ではありません。そこで日本に一時帰国した際に、琉球史関係の専門書などを百冊ばかり長春に郵送し、自分でも必死に勉強しながら教えているところです。

授業では一年間かけて先史時代から現代までの琉球・沖縄の通史を講義する予定です。最初はどれだけの学生が聴講してくれるか不安でしたが、思いのほか沖縄の歴史に興味をもつ人は多く、前学期の倍近い大学院生が参加してくれました。大国興亡史ではなく、日本・中国・朝鮮・東南アジアの境界でさまざまなルーツをもった民衆の行き交う琉球弧の歴史は、中国の学生にとって新鮮なようです。そもそも中国は多民族国家で、私の身近な学生にも満州族や朝鮮族などがいます。ですから琉球弧に生きる人びとの微妙なアイデンティティについては、実は日本人よりも中国人学生のほうが、理解が早いように思います。沖縄の歴史を通じて、チベットやウイグルなど中国の少数民族問題に思いを致す学生も少なくありません。

授業の中で私が繰り返し力説するのは、沖縄の人びとの反戦平和に対する強い思いの原点が、全住民の四分の一が犠牲にされた沖縄戦の悲劇にある、ということです。沖縄戦の話は中国の学生にとっても衝撃らしく、目に涙を浮かべる子もいました。大国間のパワーゲームのために沖縄を再び戦火に巻き込むのは絶対に許されないこと、沖縄の人びと自身が戦争を絶対に許さない決意をしていること、普天間移設やオスプレイ配備をめぐる現在の沖縄の人びとの闘いはそうした決意の表れであること。これらのことを、多くの学生は理解してくれたのではないかと思います。私の勤務先は師範大学なので、院生たちは卒業後、高校や大学の教育者となります。私自身は微力ですが、中国社会の中堅を担う彼らが正確な沖縄認識をもつことを強く期待しています。

なお10月23日、防衛省は陸海空3自衛隊約3万4千人を動員した実動演習を11月に沖縄県沖大東島で実施することを発表しました。事実上の「離島奪還訓練」です。このことは25日、中国メディアでも報道されており、領土問題をめぐる日中間の緊張がさらに高まることが懸念されます。

この自衛隊演習については、『琉球新報』25日付の社説が次のように厳しく批判しています。

(引用はじめ)
ある自衛隊幹部は「住民混在の国土防衛戦」と明言している。68年前の沖縄戦で、多くの住民が日米の激烈な戦闘に巻き込まれ犠牲になった悲劇を想起させる。

離島奪還訓練に住民の避難誘導が含まれていないのは、自衛隊の中に住民を守るという発想がないからではないか。離島奪還作戦が実行に移されたとき、島は「第二の沖縄戦」になる可能性が高いといえよう。私たちは、国策に利用された揚げ句、沖縄が再び戦場になることを拒否する。

今、この国で起きている本当の危機は、中国の脅威ではない。中国脅威論に迎合し不安をかきたて、戦後築き上げてきた「平和国家・日本」を覆そうとする政治だ。軍備拡大によって日本の展望は開けない。まず外交力を発揮して、冷え切った中国との関係改善を図るべきである。
(引用おわり)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-214316-storytopic-11.html

この社説の意見に、私は全面的に共感します。「沖縄が再び戦場になることを拒否する」という、沖縄の人びとのこの決意と、平和を願う強い思いを、来週の授業でまた中国の学生たちに伝えるつもりです。
タグ:沖縄 中国

中学公民教科書をめぐる政治介入――揺らぐ国境「最前線」の島々 [沖縄・琉球]

中国との領土問題をめぐり日本国の「最前線」に位置する沖縄県八重山諸島。国境に位置する島々での中学校公民教科書の採択をめぐり、文部科学省が露骨な政治介入を行おうとしています。

以下、『琉球新報』10月2日付社説より
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-213291-storytopic-11.html

(引用始め)
……………
恣意的な法解釈に基づく地方教育行政への政治介入である。八重山教科書問題で文部科学省は、育鵬社教科書を拒否して別の教科書を使う竹富町教育委員会に対し、是正要求を出すことを決めた。

 是正要求に従わなければ、国が自治体を訴える違法確認訴訟も検討するという。小さい自治体にとって訴訟費用の負担は重い。自治体の財政力の弱さを見越した「恫喝」の意図がうかがえる。

 地方教育行政に政治的意思で圧力をかける暴挙は許しがたい。識者は是正要求が最高裁判例に反すると指摘する。竹富町はこの「恫喝」に屈せず、堂々と今の教育行政を続けてほしい。
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(引用終わり)

人口わずか4千人足らずの竹富町の教育行政に対して、文科省がスラップ訴訟まがいの恫喝をしてまで政治介入を行うのは、異常な事態といわざるを得ません。そこには、「新しい教科書をつくる会」系の育鵬社の公民教科書に執着する、安倍政権の執拗な政治意志が感じられます。

たかだか数十人にすぎない離島の中学生に特定教科書を配布することに、安倍政権はなぜそこまでこだわるのか?領土問題をめぐる八重山の地政学的位置が背景にあるのは確かでしょうが、さらにそれを利用しながら、公教育に対する政治権力の介入の重大な一線を越えようとしているのではないでしょうか。そうだとすれば、これは日本の公教育全体に危機をもたらしかねない、きわめて深刻な問題です。
タグ:沖縄 八重山
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