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東莞市清掃労働者のストライキ [中国・労働問題]

去る6月20日、広東省東莞市石龍鎮で清掃労働者のストライキが起きました。労働者の要求は増給と待遇の改善です。
http://news.sina.com.cn/c/2013-06-22/203027471919.shtml
http://news.ifeng.com/gundong/detail_2013_06/25/26768737_0.shtml
http://news.ifeng.com/mainland/detail_2013_04/23/24522838_0.shtml

スト中の労働者の話によれば、石龍鎮における清掃労働者の月給はわずか1100元(日本円で1万7千円ほど)で、東莞市の最低賃金1310元を下回っています。休日もなく、残業手当もなく、市の規定にあるはずの夏季「高温手当」も出ない代わりに、冷茶と麦藁帽が支給されただけ。清掃会社は労働者と労働契約を結ぼうとせず、労働者は社会保険に加入することもできません。そこで待遇の改善を求めてストライキに入った、とのことです。

六十数名の清掃労働者によるストライキは四日間続き、路上には処理されないままのゴミが山と積まれました。24日の午前、労働者たちは再度三つの要求を提出しました。1、2008年9月から起算して一人当たり毎月500元の補助金の支給。2、過去の不払い分を含めた「高温手当」の支給。3、社会保険の加入。

これに対し清掃会社側は、市の最低賃金規定に基づく給料の支払いと、高温手当の支給を表明しました。そのうえで会社は、他の地区から九十数名の清掃労働者(スト破り?)を集め、その結果、大部分のスト労働者も職場に復帰してゆきました。

東莞市の隣の広州市では昨年末から今年初めにかけて、増給を求める清掃労働者のストライキが相次ぎました。その結果、広州市政府は4月に清掃会社に対して約40%の賃上げを命じ、そのための予算を組むことになりました。こうした成果をもたらした広州市の清掃労働者の闘争が、東莞市にも飛び火してきたわけです。

清掃労働者の困難の背景には、近年中国で拡大している清掃事業の「市場化」による、業者間のコスト引き下げ競争があります。清掃労働者たちの闘いは、中国でも進行する公共労働の新自由主義的な市場化の弊害に対する異議申し立てでもあります。

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北朝鮮との国境の町・集安 [中国東北・雑記]

先週末、吉林省の南端にある集安市に行ってきました。鴨緑江に面し、北朝鮮の山々と向かい合う国境の町です。
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同じ省内とはいえ、私の住む省都の長春から南へ四百数十キロ。東京から岐阜くらいの距離です。トウモロコシ畑が果てしなく続く大地を車でひたすら走ること6時間、吉林南部の亜寒帯原生林が鬱蒼と生い茂る山々を縫う細道を通り抜けたところに、集安市はあります。

集安は古来、朝鮮半島と東北(満洲)大平原とを結ぶ交通の要所で、紀元1世紀から5世紀まで高句麗の都城として繁栄しました(丸都城・国内城)。日本でも有名な好太王碑(広開土王碑)もここにあり、北朝鮮の山々を望む小高い丘の上に建っています。高句麗王族の墳墓も市内に点在し、これら高句麗の遺跡群は北朝鮮側の遺跡とともに2004年、世界遺産に登録されました。
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高句麗滅亡後、この地を支配する王朝は唐・渤海・遼・金・元・明・清と移り変わりましたが、集安は交通の要衝であり続け、重要な役割を担ってきました。そして20世紀に入り、1910年の韓国併合と1932年の「満洲国」建国によってこの地域を手中に収めた日本は、満洲と朝鮮を結ぶルートの一つとして鴨緑江を跨ぐ橋を集安に建設し、1939年鉄道を開通させました。この鉄道は今も中国・北朝鮮間の輸送に利用されています(故・金正日総書記も鉄道での訪中の際、ここを何度か通過しています)。

鴨緑江の対岸は北朝鮮。川幅は数十メートルに過ぎず、目と鼻の先です。目を凝らすと、農作業をしている北朝鮮の人びとの姿も見えます。北朝鮮側の山々の大部分は木が伐り尽くされ、はげあがっているのが目立ちます。不足する燃料の確保のため、あるいは食糧増産のために山の木々が伐採されたのだ、とも聞きました。鬱蒼とした緑に覆われた中国側の山々と、何とも不自然な対照をなしています。
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「満洲国」の爪痕(1)――「靖国」としての建国忠霊廟 [満洲国]

長春市内の私のアパートから歩いて10分ほどのところに、異様な雰囲気の廃墟があります。「満洲国」時代の1940年に建てられた「建国忠霊廟」です。
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【2013年6月撮影】

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【1941年の建国忠霊廟(wikipediaより http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:State_Foundation_Martyrs_Shrine_in_Manchukuo.JPG )】

日本の関東軍によって1932年に「建国」された、傀儡(かいらい)国家「満洲国」。その統治も当然、日本軍のむき出しの暴力によって行われました。建国から数年を経て、関東軍および満洲国政府は権力支配を円滑化するため、一般民衆に「満洲国民」としての意識を無理やり植えつけることを試みます。そこで、「建国」の犠牲となった「英霊」(ほとんどが日本軍人)を祀り、「国民」に参拝を強要する施設(日本の靖国神社に当たる)を建設しました。それがこの「建国忠霊廟」です。
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「勤労奉仕」という美名のもと、14万以上の労働力が強制動員された末、建国忠霊廟は1940年8月に完成しました。その総面積は45万6千平米、広大な緑地の中に長さ1キロを超える参道および拝殿・本殿などの施設群が設置されました。同時期に満洲国皇帝の皇宮内に建設された「建国神廟」が天照大神を祀る一方、国家の「英霊」を祀る建国忠霊廟はその「摂廟」(附属の廟)として位置付けられ、互いに補完関係にありました。

廟の門・拝殿・本殿等の中心的建築群は、満洲国崩壊後もどういうわけか破壊されず、放置されたまま現存しています。今これらは空軍の敷地内にあり、立入り制限された私有地に囲まれているため、ここをわざわざ訪れる人はきわめて少ないでしょう。
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建国忠霊廟の伽藍の軸線は、ちょうど日本の伊勢神宮の方角を向くように測量され、真北から西へ46度 54分 38秒に据えられました。周囲の街路は全て、南北・東西に直交していますが、この廟の伽藍だけが、海の向こうの伊勢神宮に向けて斜めに建設されたのです。そのため現在もなお、これらの建築群は周囲の街並みから異様に浮き上がって見えます。下のGoogle Earthの衛星写真画像を見ると、そうした位置関係がよくわかります(中央の斜めに横切る建物群が建国忠霊廟)。
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廟の門の右側の壁には「偉大なる領袖毛主席万歳」、左側には「偉大なる中国共産党万歳」という、恐らく文革時代に書かれたスローガンがありますが、長年の風雨でほとんど消えかかっています。
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さらに門扉には、「打倒日本帝国主義」「消滅日本鬼子」という落書きが見えます。
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近年、吉林省や長春市は、満洲国時代の遺跡を「観光資源」としてアピールするようになりました(今でも賛否両論があるようですが)。そうした遺跡の中でも建国忠霊廟は、1987年という比較的早い時期に、吉林省の保護文化財に指定されています。がしかし、「満洲国の靖国」であったこの廟の観光化はいまだ全く行われず、屋根瓦の隙間から雑草や低木が生い茂る廃墟と化す一方、その門前は近所の幼稚園児たちの恰好の遊び場となっています。
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女性労働者たちの無念の死――吉林省の家禽工場で120名死亡 [中国・労働問題]

6月3日、私の住む長春市の北側にある徳恵市の家禽工場「宝源豊禽業」で火災があり、労働者120名の尊い命が奪われました。報道によれば、犠牲者の多くは正規の従業員ではなく、農村から出稼ぎにきた「農民工」で、うち9割が女性だったそうです。
http://paper.dzwww.com/ncdz/content/20130607/Articel06002MT.htm
http://news.sina.com.cn/c/2013-06-06/024227324288.shtml
http://news.sina.com.cn/c/2013-06-05/023927312732.shtml

数百人の働く作業場には非常口がなく、非常灯も消火器も消火栓も設置されていませんでした。しかも火災発生時、作業場の正面出入り口には鍵がかかっており、多くの女性労働者が逃げ道もなく、迫り来る火炎と黒煙の中で恐怖に泣き叫びながら命を失いました。

なぜ作業場の出入り口に鍵がかかっていたのか?従業員の話では、勤務中に労働者が勝手にトイレに行ったりして作業場を離れないように、出入り口には常時鍵がかけられていたとのことです。

指摘によれば、「農民工」の多い工場では、労働者の出勤後に出入り口に鍵がかけられることが少なくありません。そのため、いったん火災などの事故が起こると大惨事となるのです。つい先月の24日にも、広東省仏山市の自動車修理工場で火災があり、作業場のシャッターが下ろされていたために、9人の労働者が死亡しました。このように労働者の安全が無視される背景には、農民工に対する差別があるとも言われています。

中国においても近年の利益至上主義の風潮で、企業における労働者の安全は切り捨てられがちです。農民工のほとんどは工会(労働組合)に入ることもできず、権利も尊厳も無視され続けているのです。

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長春だより

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