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中国人強制連行問題と日本メディア [東アジア・近代史]

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(足尾銅山に強制連行された中国人労働者を慰霊する「中国人殉難烈士慰霊塔」。2006年6月訪問)

戦時中、おおぜいの中国人労働者が日本に強制連行されて鉱山等で奴隷的労役を強いられ、少なからぬ人々が死に追いやられた問題をめぐり、元労働者や遺族が日本企業に損害賠償を求めて中国で提訴した。北京市の裁判所は18日、はじめてこれを受理した。

このニュースをめぐる日本メディアの報道は、戦争被害の賠償をめぐり、中国の政権が民間からの提訴を抑えていた従来の方針を変えたことに焦点を当てて、現政権指導部の対日姿勢をうんぬんすることに終始している。それも確かに分析されるべき問題だろう。しかし、そのことだけに焦点を当てるのは、あまりに本質を逸した、歪んだ報道姿勢ではないか?

戦時中の中国人労働者の強制連行問題は、朝鮮人強制連行や従軍慰安婦問題と比べて、日本の一般の人びとにあまり知られていない。中国の民衆に対し戦時中の日本政府や企業が犯した罪業について、せめてその概要だけでも世間に知らせるのが、メディア本来の役割ではないのか?上のニュースの本質は、中国の現政権の対日政策変化うんぬんにあるのではない。強制連行という罪業に対し日本政府や日本企業がいまだ自分の責任(謝罪や賠償)を十分に果たしていない、という事実にあるのだ。

中国人強制連行問題で、比較的知られているのは「花岡事件」だろう。秋田県の花岡鉱山でダム工事や水路変更工事を請け負っていた鹿島組は、労働力不足を補うため日本政府が決定した中国人労働者の移入方針に基づき、中国から強制連行された中国人労働者986人を使役した。奴隷的重労働・食糧難・虐待などによりバタバタと仲間が死んでいく状況に耐えかねた労働者は、1945年6月30日に蜂起したものの、憲兵・警察・在郷軍人らにより徹底的に鎮圧された。故国を再び見ることなく異国に果てた同鉱山の中国人労働者は418名にのぼる。この事件は、日本に強制連行された約四万人の中国人労働者を見舞った悲惨な運命のなかの、氷山の一角にすぎない。

花岡事件の生存者や遺族が責任追及に動き出したのは、ようやく80年代になってからだ。89年、生存者と遺族は謝罪・記念館建設・補償を鹿島建設に求めたが、交渉は決裂、95年東京地裁に提訴、97年東京高裁に控訴した。高裁は和解を勧告し、2000年11月、鹿島が五億円を「平和友好基金」として拠出する等の内容で和解が成立した。この裁判をきっかけに、強制連行問題をめぐり日本企業の責任を追及する中国人被害者や遺族の提訴が続いた。

これらの裁判で大きな壁になったのは、72年の日中共同声明の第5項「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という文言だ。ここで確かに中国国家の賠償請求権は放棄されている。だが、個人の賠償権までもが放棄されたわけではない。

花岡事件の2000年の和解で、被害者と遺族は鹿島に対する請求権を放棄する、という一文が入れられた。この和解がはらむ問題はともかくとして、仮に日中共同声明で個人の賠償請求権が放棄されているのならば、このような文言はあり得ないだろう。すでに放棄されているものを再び放棄することはできないからだ。

広島県安野発電所の建設工事に中国人労働者を使役(強制連行された360名中26名が死亡)した西松組(現・西松建設)を、生存者と遺族が提訴した裁判で、広島高裁は2004年、個人の賠償請求権を認めて、原告一人当たり550万円を支払うことを西松建設に命じた。だが最高裁は2007年、高裁判決を破棄し、被害者の損害賠償請求権は日中共同声明で放棄されているという判断を下した。その後2009年、西松建設は労働者への謝罪、記念碑の建設、および2億5000万円の和解金を支払うことを約束し、和解が成立した。

なお今回、強制連行の被害者と遺族が中国の裁判所に提訴した背景には、2007年の最高裁判決により日本での裁判の道が閉ざされたことにある。

営利企業が賠償を支払うことに消極的なのは、ある意味当然だ。企業にそれを果たさせるためには、日本政府が戦争責任をめぐる謝罪と補償のための枠組みを作らねばならないし、政府にはその責任がある。しかし日本政府はそれをしようとしなかったために、戦後七十年近く立った今でも、強制連行の被害者や遺族は放置されたままだ。

こうした背景を知ってか知らずか、強制連行訴訟をめぐって次のように書いた20日付の『朝日新聞』社説に、私は強い怒りを覚える。

〔強制連行訴訟 日中の遠い「戦後」解決〕『朝日新聞』社説、3/20
http://www.asahi.com/articles/DA3S11038814.html?ref=editorial_backnumber
--------------------------------(引用はじめ)
(前略)
だが、両国の政権が背を向け合ったまま、問題解決でなく、悪化を招く言動を繰り返すことは、いい加減にやめてもらいたい。

 戦争の償いをめぐっては、52年の日華平和条約締結時に台湾の蒋介石政権が権利を放棄し、72年の日中共同声明で改めて中国政府が放棄を明確にした。そこには「戦争の指導者と違い、日本国民も戦争の被害者」だから、賠償を求めないとする中国側の理由づけがあった。一方で80年代以降、日本は中国に多額の支援を出した。これが実質的に賠償の代わりである点には暗黙の了解があった。

 その流れを考えれば、戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある。

 だが、現実的に、その主張一辺倒で問題の解決に向かうだろうか。今回のような訴訟が広がれば、日本企業の対中投資を萎縮させかねない。それは日本のみならず中国にとっても不利益となり、両国経済を傷つける。
(後略)
------------------------------------(引用おわり)

「戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある」などと言い放つ『朝日』社説の態度は、政府の都合を代弁する広報というにふさわしい。そこにはジャーナリズムの精神など、もはや消えている。

強制連行問題は、『朝日』がいうような「対中投資の委縮」といったビジネス上の問題などではありえない。傷つけられた正義とその回復をめぐる人道上の問題だ。従軍慰安婦問題と同様、被害者の高齢化が進んでいる。残された時間は少ない。

これらの問題を放置し続けることは、日本国家と国民に取り返しのつかない禍根を残すことになるだろう。過去の負債に対し、一刻も早く真剣に取り組まねばならない。それは、東アジアの平和的秩序を隣人たちとともに築いてゆくために、われわれ日本国民に課された最低限の義務だろう。

長春だより

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