「大逆」事件と「爆弾計画」事件――天皇制をめぐる雑感 [日本・近代史]
103年目を迎えた、国家による「合法的」な大量殺人である「大逆」事件。昨日の投稿で述べたように、その発端となったのは、1910年5月に機械工の宮下太吉が「爆発物取締罰則」違反の容疑で検挙されたことにありました。民衆を覚醒させる手段として明治天皇殺害を決意した宮下は、その前年から管野スガ・新村忠雄・古河力作との四名で計画を進行させ、爆弾の試作実験を行っていました。
【左が宮下太吉(1875-1911)、右が菅野スガ(1881-1911)】
宮下ら四人による「爆弾計画」事件について、これも官憲による「でっち上げ」「架空の事件」ではないのか、という意見を、ネット上で目にしました。しかし、現在までに判明している「大逆」事件関連の史料・研究を読む限り、宮下太吉らの「爆弾計画」事件については官憲のでっちあげの可能性は低いというのが、私の判断です。それはまた、これまで多くの歴史家たちが、「大逆」事件の真実を明らかにすべく渾身の力で史料を発掘し、議論を積み上げた結果得られた定説でもあります(興味のある方は、入手の容易な本として、最近復刊された神崎清『革命伝説』全四巻(子どもの未来社、2010年)をご覧ください)。
多くの歴史家とともに私も、宮下・管野たちが天皇暗殺に賭けた情熱と行動は本物で、爆弾試作は史実であったと考えます。それすらも「架空」だ、「でっち上げ」だと否定することは、彼ら四名の信念や志を無にすることになり、それでは彼らも決して浮かばれないと思います。史料に即して史実を可能な限り明らかにし、それを自分勝手な立場から捻じ曲げないことが、「大逆」事件犠牲者たちに対する私たちの責任だと信じます。
「大逆」事件の本質は、四人の「爆弾計画」事件を、社会主義者の全国的陰謀として官憲が恣意的に書き換え、「大逆」罪を発動することによって社会主義者を「合法的」に殺戮し絶滅することを企んだことにあります。
戦前の刑法第73条に規定されていた皇室危害罪=大逆罪は、天皇などに対して実際に危害を加える行為だけでなく、危害を加えようとする一切の企て、すなわち予備・陰謀・幇助などをも刑罰の対象とし、その全てについて死刑に処す、という恐るべきものでした。宮下ら四人の「爆弾計画」は、この大逆罪に触れる相当の覚悟と信念によって行われたと思われます。他方、死刑判決を受けたその他20名の「罪状」は、当時の刑法からいっても全くのでたらめ・捏造で(四人の「爆弾計画」を事前に知っていた幸徳秋水については議論がありますが)、彼らの無念は察するに余りあります。
上のような意味で、「大逆」事件は官憲によるフレームアップ=「でっち上げ」でした。しかし、宮下・管野たち四名の明治天皇暗殺計画と、そのための爆弾試作までがでっち上げだったわけではありません。被告たちの「潔白さ」を信じるあまり、四人の明治天皇暗殺計画を否定したり、その意味を軽視したりすることは、かえって歴史の真実を覆い隠すことになります。そうした「善意」による史実の歪曲は、「日本人が天皇の暗殺を企てるはずはない」といった「神話」につながり、天皇制を自明視する精神構造を強化する恐れすらあるでしょう。それは、天皇制国家に殺された四人の志そのものを否定することにほかなりません。
史料に即して史実を追求し、勝手に捻じ曲げないこと。それは、先人たちの歴史から私たちが教訓を得るために、絶対に不可欠な条件です。
【左が宮下太吉(1875-1911)、右が菅野スガ(1881-1911)】
宮下ら四人による「爆弾計画」事件について、これも官憲による「でっち上げ」「架空の事件」ではないのか、という意見を、ネット上で目にしました。しかし、現在までに判明している「大逆」事件関連の史料・研究を読む限り、宮下太吉らの「爆弾計画」事件については官憲のでっちあげの可能性は低いというのが、私の判断です。それはまた、これまで多くの歴史家たちが、「大逆」事件の真実を明らかにすべく渾身の力で史料を発掘し、議論を積み上げた結果得られた定説でもあります(興味のある方は、入手の容易な本として、最近復刊された神崎清『革命伝説』全四巻(子どもの未来社、2010年)をご覧ください)。
多くの歴史家とともに私も、宮下・管野たちが天皇暗殺に賭けた情熱と行動は本物で、爆弾試作は史実であったと考えます。それすらも「架空」だ、「でっち上げ」だと否定することは、彼ら四名の信念や志を無にすることになり、それでは彼らも決して浮かばれないと思います。史料に即して史実を可能な限り明らかにし、それを自分勝手な立場から捻じ曲げないことが、「大逆」事件犠牲者たちに対する私たちの責任だと信じます。
「大逆」事件の本質は、四人の「爆弾計画」事件を、社会主義者の全国的陰謀として官憲が恣意的に書き換え、「大逆」罪を発動することによって社会主義者を「合法的」に殺戮し絶滅することを企んだことにあります。
戦前の刑法第73条に規定されていた皇室危害罪=大逆罪は、天皇などに対して実際に危害を加える行為だけでなく、危害を加えようとする一切の企て、すなわち予備・陰謀・幇助などをも刑罰の対象とし、その全てについて死刑に処す、という恐るべきものでした。宮下ら四人の「爆弾計画」は、この大逆罪に触れる相当の覚悟と信念によって行われたと思われます。他方、死刑判決を受けたその他20名の「罪状」は、当時の刑法からいっても全くのでたらめ・捏造で(四人の「爆弾計画」を事前に知っていた幸徳秋水については議論がありますが)、彼らの無念は察するに余りあります。
上のような意味で、「大逆」事件は官憲によるフレームアップ=「でっち上げ」でした。しかし、宮下・管野たち四名の明治天皇暗殺計画と、そのための爆弾試作までがでっち上げだったわけではありません。被告たちの「潔白さ」を信じるあまり、四人の明治天皇暗殺計画を否定したり、その意味を軽視したりすることは、かえって歴史の真実を覆い隠すことになります。そうした「善意」による史実の歪曲は、「日本人が天皇の暗殺を企てるはずはない」といった「神話」につながり、天皇制を自明視する精神構造を強化する恐れすらあるでしょう。それは、天皇制国家に殺された四人の志そのものを否定することにほかなりません。
史料に即して史実を追求し、勝手に捻じ曲げないこと。それは、先人たちの歴史から私たちが教訓を得るために、絶対に不可欠な条件です。
2014-01-26 01:09