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集団的自衛権の行使容認問題と保守言論 [日本・現代社会]

日本の保守支配層の思考の劣化が著しい。極右政権の企む致命的な政策転換を容認することで、自ら戦争を招きよせつつあることに、彼らは本当に気が付かないのか?しかも、閣議決定による解釈改憲という立憲主義の自殺行為が、やがて自らの首を絞めかねない危険性を持っていることにも、本当に気が付いていないのか?

集団的自衛権 日本存立へ行使「限定容認」せよ(『読売新聞』社説、5/16)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140515-OYT1T50136.html

日本の保守政治の源流の一つは、明治の自由民権運動だ。かつての民権家は、やがて藩閥官僚勢力と妥協するようになったが、立憲政治の擁護という一点では後々まで筋を通そうとした者も少なくない。だが明治憲法の枠内ではそれにも限界があり、結局軍部の独走を許して立憲政治は崩壊し、破滅の道を押しとどめることはできなかった。そうした経緯に対する反省が、戦後保守の主流において、ある程度の規制力を持っていたように思う。

保守勢力が自らに課してきたそのような規制を、極右政権は何もかもかなぐり捨てようとしているのだ。保守支配層はそれに何の不安もないのか?集団的自衛権の行使容認に向けた極右政権の憲法解釈の変更方針について、上の『読売』社説は次のように書いている。「解釈変更には、『立憲主義の否定』といった批判もある。だが、内閣の持つ憲法の公権的解釈権に基づき、丁寧に手順を踏み、合理的な範囲内で解釈変更を問うことに、問題はなかろう」、と。「立憲主義の否定」について脳裏によぎる一抹の不安を、必死に打ち消そうとしているかのようだ。それは、軍部の横暴に屈服し、さらに自ら破滅の道を掃き清めていった1930年代の政党政治家や言論界の情景を思い起こさせる。

保守層に影響力をもつもう一つのメディア『日経』紙の社説も、極右政権によるクーデターを追認しようとしている。いわく、「外国への説明も不可欠だ。報告書の中身をよく読みもせずに『軍国主義の復活』などと言い立てる国も出てこよう。有事への備えの強化と並行して、周辺国との緊張緩和にも全力で取り組み、日本の意図を世界に正しく理解してもらわねばならない。」…ひどいたわごとだ。

「憲法解釈の変更へ丁寧な説明を」(『日経』紙社説、5/16)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71288380W4A510C1EA1000/

日本の平和主義をめぐる戦後政治の最低限の合意(それは日本が戦後国際社会の一員として復帰する際、周辺諸国から承認されるにあたっての条件でもあった)をもかなぐり捨てようとしているのに、「日本の意図を世界に正しく理解してもら」えるなどと、『日経』社説子は本気で考えているのか?かつて1931・32年に関東軍が暴走して満州事変を起こした際、これを追認した日本政府が、侵略行為における「日本の意図を世界に正しく理解してもら」おうとして国際社会から総スカンを食うと、逆ギレして国際聯盟脱退に至ったことがあった。そのときも日本のマスメディアの大勢は「行け行けドンドン」で軍部独走に拍手し、破滅への露払い役になったのだ。

たわごとを垂れ流す前にまず『日経』社説子は、戦後保守政治の合意を捨てて極右クーデターに加担するに至った自身の転向の経緯について、国民にきちんと説明する責任がある。

日本社会がこのまま極右政権に拉致され、戦争を招きよせかねない危険な迷路に入り込んでしまうのかどうか、今まさに瀬戸際にある。

長春だより

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