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高橋源一郎氏の「慰安婦」論 [東アジア・近代史]

高橋源一郎氏が、『朝日新聞』の論壇時評に慰安婦問題について書いている(「戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも」 )。この文章の中で私が最も違和感を覚えたのは、高橋氏が古山高麗雄氏の文章を(おそらく共感をこめて)引き、それに論評らしきものを加えている次の箇所だ。

------------------------(引用はじめ)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。
---------------------------------(引用おわり)

高橋氏のことばは、一見中立的で良識的のようにみえる。慰安婦は「売春婦」だとする極右の主張も、「彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体」の見解も、どちらも「性急に結論を出」しすぎだ、と氏は言いたいらしい。実際、高橋氏はツイッターで次のように発言している。「『慰安婦問題』でも、ある人たちは、『慰安婦』は『強制連行』され『性的な奴隷』にされた、と主張し、またある人たちは、『いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ』と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。」

だが、個々の慰安婦の人びとは「売春婦」だったのか、「性奴隷」だったのか、はたまた「どちらの場合もあった」のか、という問題の立て方ほど馬鹿げたものはない。個々の慰安婦の人びとの生きざまが多様なのは、言うまでもなく当然だからだ。慰安婦問題というのはあくまでも「制度」の問題である。この観点が高橋氏にはない。

旧日本帝国軍隊の慰安婦制度が一般に強制的な戦時性奴隷制であったことは、今や国際的に共有されている常識だ(例えば、今年8月6日付の国連ニュースJapan’s stance on ‘comfort women’ issue violates victims’ rights – UN official)。そして、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点は、この性奴隷制に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。そして、国際社会の大勢が前者の主張に立って日本政府を批判していることは、すぐ上に挙げた8月6日付国連ニュースにある国連人権高等弁務官の声明や、29日に国連人種差別撤廃委員会が発表した日本政府に対する勧告(勧告の英語原文はここ)を一読すれば明らかだ。

「強制連行」という概念をこねくり回してあたかもその「有無」や「程度」に論点があるかのようにみせかけたり、個々の慰安婦の多様な生きざまを文学的表現に乗せることで性奴隷制の実態をあいまいにしたりするような言説が、最近よくみられる。こうした言説は、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点を逸らすことで、元慰安婦の方々の人権の回復を遅らせることにつながっており、その意味で悪質なものといえる。

『読売新聞』や『産経新聞』のような保守・右派メディアが、慰安婦制度をめぐる日本政府の立場を支持するために、さまざまな詭弁を弄するのは異とするに足りない。彼らは慰安婦制度をめぐる真の論点をよく知っており、そこに攻め込まれないよう自分たちの陣地をあらかじめ広げておこうとするのだ。だが、『朝日新聞』のような〈進歩的〉とされてきたメディアが、中立を装いつつ問題の論点を逸らすような言論を垂れ流し続けることは、『読売』『産経』に劣らず害悪が大きいともいえる。

『朝日新聞』は8月5・6日、「慰安婦問題を考える」という長大な検証記事を二日間にわたり掲載した。だがそれは、「強制連行」の字義解釈をめぐる右派メディアが設定した土俵内での、弱々しい自己弁護に過ぎず、真の論点――慰安婦制度という戦時性奴隷制に対して日本国家はどのように責任(国家賠償と謝罪)を負うべきか、という問題について何ら定見がみられない。河野談話を受けて、民間からの寄付による「償い金」を元慰安婦に支給して済まそうとした「アジア女性基金」が、どれほど問題を混乱させたかについての深い省察もない。こうした『朝日新聞』の自己「点検」なるものが、かえって右派メディアを勢いづかせる結果になったのは、必然といえる。

『朝日新聞』や岩波『世界』など進歩的(?)メディアやそこに寄稿する「文化人」が、中立(?)という「良識」を装うたびに、旧日本帝国の国家犯罪に対する責任の追及という慰安婦問題の本質は逸らされてゆく。そうした状況に、日本帝国の戦争責任を解除したい右派の人びとは快哉しつつ、いっそう攻撃の手を緩めない。日本の言論状況に危機をもたらしている元凶の一つが、〈進歩派〉とみなされてきたメディアや「文化人」の頽廃にあることは、間違いない。

731部隊の展示を撤去した京大医学部資料館 [東アジア・近代史]

京都大学の医学部資料館が、旧満洲(中国東北)における細菌兵器開発や人体実験で悪名高い731部隊に関する展示パネルを撤去した、というニュース。
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館(『京都新聞』5/20)

京都帝国大学医学部は戦時中、731部隊に多くの研究者を送り込んだのみならず、戦後は同部隊関係者の再就職先にもなった。この恥ずべき戦争犯罪に対し、京大医学部が自ら当事者として検証に乗り出すことは少なからず意義があったはずだが、そのせっかくの機会を放棄してしまったわけだ。組織の負の歴史を隠蔽しようとする卑劣なやり方だ。

iPS細胞やノーベル賞に浮かれる前に、京大医学部は科学研究機関としての自らの薄暗い来歴に対して、正面から向き合わねばならない。そしてこれは京大医学部だけの問題ではない。こうした無責任な隠蔽体質は、理研のSTAP細胞騒ぎにも、そして福島の原発事故をめぐる原子力ムラの問題にも、どこかでつながっている。日本の科学界を内側から腐らせている病巣を、徹底的に摘出せねばならない。さもなければ、また同じような過ちを繰り返すことになるだろう。

関東憲兵隊の史料群(1) 慰安婦関係史料1 [東アジア・近代史]

長春市にある吉林省公文書館所蔵の関東憲兵隊関係史料のうち、日本の大陸侵略に関係する89件の史料が公開され、史料集(《铁证如山:吉林省新发掘日本侵华档案研究》〔『鉄証如山―吉林省で新たに発掘された日本の中国侵略文書の研究』吉林出版集団、2014年4月〕)が出版されたことは、5月11日の本ブログ記事「長春で新たに公開された関東憲兵隊の史料群」において伝えたとおりです。うち、慰安婦関係の史料について、具体的に紹介したいと思います。

下に掲げる史料はいずれも、本書の解説によれば、昭和十三年(1938年)二月十九日付、華中派遣憲兵隊司令官大木繁による「南京憲兵隊轄区に関する調査報告(通牒)」(中国語解説からの翻訳につき、原文書の日本語正式名称は不明)です。本書117~122ページに掲載されているいくつかの史料(手書き)の写真を、文字に起こして紹介します。(読みやすさを考えて句読点・濁点を加えました。「……」は史料の破損部分、「■」は判読困難な文字を示します。)

【史料A】(本書117・118ページ)
「……慰安施設状況
………
……入リ、桑名旅団湖州ニ転ジ、駐兵ヲ減ジタルニ反シ特種慰安所一増置シタル外、特記事……
……
……
…………名(支那人十一名、朝鮮人二十九名)ニシテ、前旬■■■増加シアリテ、慰安所ハ何レモ兵站支部ノ斡旋■■■■■■■設ケ、第一ハ朝鮮人六名(接■〔客?〕率一人………第二ハ支那人十一名(平均六、七名)、第三ハ朝鮮人十五名(平均十四、五名)、第四■朝鮮人八名(平均七、八……
……
……事項ナシ
復興上ノ障碍ト之ガ対策所見
■洲地区
■■■支那人ヲ安住セシムルタメニ軍人ノ脅迫掠……挑発、強姦等ヲ防止スベク、軍紀風紀ヲ厳………」

「慰安所ハ何レモ兵站支部ノ斡旋」云々の箇所に注目。なお上記史料中、「平均~名」というのは、慰安婦一人につき単位時間当たりの「接客」人数を指すものではないかと思われます。

【史料B】(本書119ページ)
「各………ケル慰安設備状況次ノ如シ」とある史料には、「地名」・「■地兵員ノ概数」・「慰安女婦ノ数」・「慰安女婦一人ニ対スル兵員数」・「摘要」を掲げた表があります。例えば南京では、兵員数「二五、〇〇〇人」・慰安婦数「一四一人」・慰安婦一人当たり兵員数「一七八人」とあります。また鎮江では慰安婦数「一〇九」、その摘要欄には「本旬中、慰安所利用セル人員将兵五、七三四名アリ」と記されており、慰安婦一人当たりのべ五十名以上の将兵を相手にさせられたことがわかります。

【史料C】(本書121・122ページ)
「(前略)
軍ノ為ノ慰安施設状況
慰安施設ハ各軍駐屯地共、概ネ一通リノ配給ヲ完了シタル趣ニシテ、本旬管内ニ於テ新ニ設ケシモノハ」、という文の直後に、「場所」・「新設数」・「娼妓数」・「兵員」・「比率」の書かれた表が掲げられ、例えば龍萃鎮の慰安所については、新設数「二」・娼妓数「二八」、摘要欄に「支那女八 日本女二〇」と記されています。

中国人強制連行問題と日本メディア [東アジア・近代史]

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(足尾銅山に強制連行された中国人労働者を慰霊する「中国人殉難烈士慰霊塔」。2006年6月訪問)

戦時中、おおぜいの中国人労働者が日本に強制連行されて鉱山等で奴隷的労役を強いられ、少なからぬ人々が死に追いやられた問題をめぐり、元労働者や遺族が日本企業に損害賠償を求めて中国で提訴した。北京市の裁判所は18日、はじめてこれを受理した。

このニュースをめぐる日本メディアの報道は、戦争被害の賠償をめぐり、中国の政権が民間からの提訴を抑えていた従来の方針を変えたことに焦点を当てて、現政権指導部の対日姿勢をうんぬんすることに終始している。それも確かに分析されるべき問題だろう。しかし、そのことだけに焦点を当てるのは、あまりに本質を逸した、歪んだ報道姿勢ではないか?

戦時中の中国人労働者の強制連行問題は、朝鮮人強制連行や従軍慰安婦問題と比べて、日本の一般の人びとにあまり知られていない。中国の民衆に対し戦時中の日本政府や企業が犯した罪業について、せめてその概要だけでも世間に知らせるのが、メディア本来の役割ではないのか?上のニュースの本質は、中国の現政権の対日政策変化うんぬんにあるのではない。強制連行という罪業に対し日本政府や日本企業がいまだ自分の責任(謝罪や賠償)を十分に果たしていない、という事実にあるのだ。

中国人強制連行問題で、比較的知られているのは「花岡事件」だろう。秋田県の花岡鉱山でダム工事や水路変更工事を請け負っていた鹿島組は、労働力不足を補うため日本政府が決定した中国人労働者の移入方針に基づき、中国から強制連行された中国人労働者986人を使役した。奴隷的重労働・食糧難・虐待などによりバタバタと仲間が死んでいく状況に耐えかねた労働者は、1945年6月30日に蜂起したものの、憲兵・警察・在郷軍人らにより徹底的に鎮圧された。故国を再び見ることなく異国に果てた同鉱山の中国人労働者は418名にのぼる。この事件は、日本に強制連行された約四万人の中国人労働者を見舞った悲惨な運命のなかの、氷山の一角にすぎない。

花岡事件の生存者や遺族が責任追及に動き出したのは、ようやく80年代になってからだ。89年、生存者と遺族は謝罪・記念館建設・補償を鹿島建設に求めたが、交渉は決裂、95年東京地裁に提訴、97年東京高裁に控訴した。高裁は和解を勧告し、2000年11月、鹿島が五億円を「平和友好基金」として拠出する等の内容で和解が成立した。この裁判をきっかけに、強制連行問題をめぐり日本企業の責任を追及する中国人被害者や遺族の提訴が続いた。

これらの裁判で大きな壁になったのは、72年の日中共同声明の第5項「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という文言だ。ここで確かに中国国家の賠償請求権は放棄されている。だが、個人の賠償権までもが放棄されたわけではない。

花岡事件の2000年の和解で、被害者と遺族は鹿島に対する請求権を放棄する、という一文が入れられた。この和解がはらむ問題はともかくとして、仮に日中共同声明で個人の賠償請求権が放棄されているのならば、このような文言はあり得ないだろう。すでに放棄されているものを再び放棄することはできないからだ。

広島県安野発電所の建設工事に中国人労働者を使役(強制連行された360名中26名が死亡)した西松組(現・西松建設)を、生存者と遺族が提訴した裁判で、広島高裁は2004年、個人の賠償請求権を認めて、原告一人当たり550万円を支払うことを西松建設に命じた。だが最高裁は2007年、高裁判決を破棄し、被害者の損害賠償請求権は日中共同声明で放棄されているという判断を下した。その後2009年、西松建設は労働者への謝罪、記念碑の建設、および2億5000万円の和解金を支払うことを約束し、和解が成立した。

なお今回、強制連行の被害者と遺族が中国の裁判所に提訴した背景には、2007年の最高裁判決により日本での裁判の道が閉ざされたことにある。

営利企業が賠償を支払うことに消極的なのは、ある意味当然だ。企業にそれを果たさせるためには、日本政府が戦争責任をめぐる謝罪と補償のための枠組みを作らねばならないし、政府にはその責任がある。しかし日本政府はそれをしようとしなかったために、戦後七十年近く立った今でも、強制連行の被害者や遺族は放置されたままだ。

こうした背景を知ってか知らずか、強制連行訴訟をめぐって次のように書いた20日付の『朝日新聞』社説に、私は強い怒りを覚える。

〔強制連行訴訟 日中の遠い「戦後」解決〕『朝日新聞』社説、3/20
http://www.asahi.com/articles/DA3S11038814.html?ref=editorial_backnumber
--------------------------------(引用はじめ)
(前略)
だが、両国の政権が背を向け合ったまま、問題解決でなく、悪化を招く言動を繰り返すことは、いい加減にやめてもらいたい。

 戦争の償いをめぐっては、52年の日華平和条約締結時に台湾の蒋介石政権が権利を放棄し、72年の日中共同声明で改めて中国政府が放棄を明確にした。そこには「戦争の指導者と違い、日本国民も戦争の被害者」だから、賠償を求めないとする中国側の理由づけがあった。一方で80年代以降、日本は中国に多額の支援を出した。これが実質的に賠償の代わりである点には暗黙の了解があった。

 その流れを考えれば、戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある。

 だが、現実的に、その主張一辺倒で問題の解決に向かうだろうか。今回のような訴訟が広がれば、日本企業の対中投資を萎縮させかねない。それは日本のみならず中国にとっても不利益となり、両国経済を傷つける。
(後略)
------------------------------------(引用おわり)

「戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある」などと言い放つ『朝日』社説の態度は、政府の都合を代弁する広報というにふさわしい。そこにはジャーナリズムの精神など、もはや消えている。

強制連行問題は、『朝日』がいうような「対中投資の委縮」といったビジネス上の問題などではありえない。傷つけられた正義とその回復をめぐる人道上の問題だ。従軍慰安婦問題と同様、被害者の高齢化が進んでいる。残された時間は少ない。

これらの問題を放置し続けることは、日本国家と国民に取り返しのつかない禍根を残すことになるだろう。過去の負債に対し、一刻も早く真剣に取り組まねばならない。それは、東アジアの平和的秩序を隣人たちとともに築いてゆくために、われわれ日本国民に課された最低限の義務だろう。

河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明 [東アジア・近代史]

河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明・事務局からの要請文を下に転載します。私も署名しました。

署名はこちらから:
河野談話の維持・発展を求めます(河野談話維持・発展を求める研究者の共同声明・事務局)

--------------------------------------------------
全ての研究者の皆様 

ご存知のように、この間、安倍政権は「維新の会」やさまざまなマスメディアとも提携しながら、「河野談話」の見直しを急速に進めています。

私たちはこのような動きを憂慮し、河野談話は維持し発展させてゆくべきだと考えます。さまざまな立場から、河野談話を維持すべきであるという点で一致する研究者が、その考えを表明しようと、共同声明を企画しました。

賛同頂ける方は、ご署名をお願い致します。署名にあたっては、「コメント欄」に、所属、身分、専門分野をお書きいただき(必須)、また任意でメッセージもいただければ幸いです。

また周りの同僚や友人の方、所属する学会の関係者の方などに、メール、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで署名の呼びかけを広めていただけると幸いです。

3月13日に第一次集約、3月末に第二次集約をおこなう予定です。

【声明文】 河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明

この間、いわゆる日本軍「慰安婦」問題に関する1993年の「河野談話」を見直そうという動きが起きています。「河野談話」は「慰安婦」問題は日本軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであることを認め、同じ過ちをけっして繰り返さないという日本政府の決意を示したものであり、これまで20年余にわたって継承されてきました。

「河野談話」が出されてからも、学者や市民の努力によって数多くの新たな資料が発見され、多数の被害者からの聞き取りも行われて、研究が深められてきました。 「慰安婦」の募集には強制的なものがあったこと、慰安所で女性は逃げ出すことができない状態で繰り返し性行為を強要されていたケースが多いこと、日本軍による多様な形態の性暴力被害がアジア太平洋の各地で広範に発生していること、当時の日本軍や政府はこれらを真剣に取り締まらなかったこと、など多くの女性への深刻な人権侵害があったことが明らかになっています。こうした日本軍による性暴力被害が、日本の裁判所によって事実認定されているものも少なくありま せん。

被害者の女性は、戦争を生き延びたとしても、戦後も心身の傷と社会的偏見の中で、大変過酷な人生を歩まざるを得なかった方がほとんどです。

「河野談話」で示された精神を具現化し、高齢となっている被害女性の名誉と尊厳を回復することは、韓国や中国はもとより、普遍的な人権の保障を共通の価値とする欧米やアジア等の諸国との友好的な関係を維持発展させるためにも必須だといえます。

私たちは、「河野談話」とその後の研究の中で明らかになった成果を尊重し、日本政府が「河野談話」を今後も継承し、日本の政府と社会はその精神をさらに発展させていくべきであると考え、ここに声明を発表します。

2014年3月8日

     呼びかけ人(アイウエオ順)
     阿部浩己(神奈川大学教授・国際法)
     荒井信一(茨城大学名誉教授・歴史学)
     伊藤公雄(京都大学教授・社会学)
     石田米子(岡山大学名誉教授・歴史学)
     上野千鶴子(立命館大学特別招聘教授・社会学)
     内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授・日本-アジア関係論)
     岡野八代(同志社大学教員・西洋政治思想史)
     小浜正子(日本大学教授・歴史学)
     小森陽一(東京大学教授・日本近代文学)
     坂本義和(東京大学名誉教授・国際政治、平和研究)
     高橋哲哉(東京大学教授・哲学)
     中野敏男(東京外国語大学教授・社会理論・社会思想)
     林博史(関東学院大学教授・平和学)
     吉見義明(中央大学・日本現代史)   
     和田春樹(東京大学名誉教授・歴史学)

     事務局:林博史・小浜正子
     連絡先:kounodanwaiji@outlook.com

1945年5月、中国・延安での野坂参三演説のパンフレット [東アジア・近代史]

先日、山東省威海の古本屋から一冊のひどく黄ばんだパンフレットを発見し、購入しました。

日中戦争末期の1945年4月から6月にかけて、中国共産党第七回全国代表大会が延安で開催されました。毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来ら錚々たる指導者が居並ぶ中、一人の日本人がこの会議に参加し、演説を行いました。岡野進こと野坂参三(1892~1993)、のちの日本共産党議長です。私が手に入れたのは、このとき野坂がおこなった「建設民主的日本(民主的日本の建設)」と題する演説を記録した、当時の小冊子です。この演説の内容自体は、戦後『野坂参三選集』にも再収録され、天皇制に関する柔軟な方針を提出したことで知られています。が、45年当時のパンフレットということで、歴史マニアの血が騒ぎ、すぐさま買ってしまいました。
PB200363.JPG
1940年2月、野坂は周恩来を同行者としてモスクワを出発、カザフスタン、新疆を経由して、3月に延安に入りました。野坂らは同年夏、中国共産党の後援を得て延安に「日本労農学校」を創設、日本軍捕虜らの反戦教育に従事しました。延安には「日本人反戦同盟」も組織され、1944年「日本人民解放連盟」へと発展し、日本の敗戦の日が近づくのを見据えて、在中国さらには内地の日本人に向けて、日本の民主化を目指して働きかけてゆくことが目指されました。

さて、敗戦間近の1945年5月、延安で野坂がおこなった「建設民主的日本」と題する演説は、敗戦後における日本の民主化の見通しと、それを実現するための政策を述べたものです。そこでは、以前共産主義者と対立関係にあった「合法的左翼」の日本無産党や、社会大衆党の中の反軍的な人々、さらには尾崎行雄ら自由主義者とも緊密に提携し、各種の民主的勢力を結集することを通じて、平和と民主主義を敗戦後の日本に建設することが目指されています。

民主主義を建設するための政策としては、軍部の特権を剥奪し、皇室・重臣・枢密院・貴族院、等々の制度を廃止あるいは無力化すること、言論・著作・出版・集会・結社および信教の自由などを完全に実現すること、十八歳以上の男女の普通選挙で選出された議会および議会で選出された政府に政治権力を担わせること、などが主張されています。さらに、軍部指導者などの戦犯や、軍と積極的に協力した反動政治家、さらに特高警察・思想検事などを、厳重に処罰すべきだと述べられています。

なお天皇制については、天皇の特権および専制的政治機構は廃止するが、日本人の中に天皇崇拝が根強いことにかんがみ、「天皇の存廃問題に対しては、戦後に一般人民投票により決定することを、われわれは主張する。投票の結果、たとえ天皇が存続するとしても、この時の天皇は専制権力を持たない天皇でなければならない」と述べています。なお、当初の野坂の演説草案では「一般人民投票により決定する(由一般人民的投票来決定)」の前に「できる限り速やかに(尽速)」の二字があったのが、毛沢東の意見でこの二字が削除されました。「この投票の問題については、その時期が早いほうが有利か遅いほうが有利か、情況を見たうえで決定すべきだ。私の予想では、日本人民が天皇を不要とするのは、恐らく短期に到達できることではない」というのが毛沢東の考えでした(1945年5月28日付毛沢東の書簡)。

野坂の最晩年の1990年代はじめ、ソ連共産党関係の文書が公開・調査されるにおよび、スターリン大粛清時代の1939年に野坂の長年の同志だった山本懸蔵がスパイ容疑で銃殺された事件に、野坂が関与していたことが発覚し、また戦後もソ連との秘かな連絡があったとして、日本共産党は1992年、百歳の野坂を名誉議長から解任、さらに除名処分としました。それについて部外者の私は何も言う必要がありませんが、そうした毀誉褒貶とは別のレベルで、野坂の思想と行動は確かに歴史的検討に値すると考えています。

なお1945年延安での野坂の演説は、次の言葉で結ばれています。「これらの民族〔中国、日本、朝鮮および南洋各国〕の解放事業と将来の発展の上で、偉大な中華民族と産業の発達した日本民族との協力が、非常に大きな力となるであろう。中国人民が、平和的で民主的な日本との協力を拒絶することは決してあり得ない。日本ファシスト軍部を打倒せよ!中日人民の団結万歳!」。
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