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日本人の宗教的「寛容」性?――和辻哲郎『尊皇思想とその伝統』(岩波書店、1943年) [日本・近代史]

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今学期の授業では、和辻哲郎『尊皇思想とその伝統』(岩波書店、1943年)を学生たちと一緒に読んでいる。先日の授業で扱ったのは、有名な「祀る神」「祀られる神」を和辻が論じた部分だが、学生たちから質問(というか失笑)が出たのは次の箇所。

「(日本古代の神観念では)究極者は一切の有るところの神々の根源でありつゝ、それ自身いかなる神でもない。云ひかへれば神々の根源は決して神として有るものにはならないところのもの、即ち神聖なる『無』である。それは根源的な一者を対象的に把捉しなかつたといふことを意味する。絶対者に対する態度としてはまことに正しいのである。…(中略)…それはやがてあらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性として、我々の宗教史の特殊な性格を形成するに至るのである。」(44頁)
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学生の質問は、「日本の宗教史の特殊な性格」が「あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性」にある、という和辻の説明が、まったく理解できないということ。16世紀末からのキリシタン弾圧や、近代の国家神道下の「信教の自由」の実態はいうまでもなく、人々の宗教意識においても、いったいどこに「自由寛容な受容性」があるのか?

日本の宗教観念にたいするこのような自画自賛の箇所は、戦時中に書いたこの本を和辻が戦後に改訂した『日本倫理思想史』(1952年)においても、ほとんど変わりがない。

日本人は宗教的に「寛容」だ、などという言説は今でもしばしばみられるが、そのような「神話」の出どころは、あるいはこの辺にあったのかもしれない。もちろん、結婚式は教会で、葬式は寺で、みたいな宗教観念の雑居性は、宗教的「寛容」と何の関係もないのであるが。

和辻は1943年4月に海軍大学校で「日本の臣道」という講演を行っている。この講演で和辻は、日本人の宗教意識の「寛容」さと「尊皇」との関連について、次のように述べている。

---------------------(引用はじめ)
我々の祖先は究極のもの、絶対的のものを特殊の形に限定しないで、不定のままに、無限定のままにとどめているのであります。(中略)

天皇は天つ日嗣にましますがゆえに、すなわち天照大御神の神聖性を担いたもうがゆえに、現御神にましますのであります。その神聖性は絶対者のものでありますが、しかしその絶対者は無限定のままであり、そうしてその限定された形が天照大御神と天つ日嗣とであります。そうなれば天皇への帰依を除いて絶対者への帰依はあり得ないことになります。これが尊皇の立場であります。

この立場は絶対者を国家に具現せしめる点においていわゆる世界宗教よりもはるかに具体的であり、絶対者を特定の神としない点においていわゆる世界宗教よりも一段高い立場に立つのであります。従ってどんな宗教をも寛容に取り入れ、これを御稜威の輝きたらしめることができるのであります。万邦をして所を得しめるという壮大な理念はこの高い立場に立っているのであります。
---------------------(引用おわり)
『和辻哲郎全集』14巻(岩波書店、1962年)307~308頁

和辻のいわゆる日本の宗教的「寛容」という観念が、天皇(現人神)崇拝と全く矛盾しないどころか、密接に結びついていたことがよくわかる。この宗教的「寛容」こそ、「万邦をして所を得しめる」(1940年、日独伊三国同盟締結の際の天皇の詔書に出てくる言葉)という「壮大な理念」(!)につながるというわけである。
タグ:日本近代史

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