SSブログ

幸徳秋水著『長広舌』(1902年)とその漢訳本『広長舌』(二版、上海:商務印書館、1903年) [東アジア・近代史]

今から115年前に世に出た日本最初の帝国主義批判の書、幸徳秋水『廿世紀之怪物 帝国主義』(警醒社、1901年4月刊)。この書が出版直後から日本の読書界に歓迎されただけでなく、当時日本に亡命していた清国の知識人趙必振(1873~1956年)によって漢訳され、東アジアの漢文世界に広く紹介されたことは知られている。翌年刊行された幸徳の著作『長広舌』(人文社、1902年2月刊)も、ただちに「中国国民叢書社」同人の手で漢訳され、その年のうちに上海の商務印書館から『広長舌』の名で出版された。さらに翌年の幸徳著『社会主義神髄』(朝報社、1903年7月刊)もまたすぐさま漢訳され、その後数種類の刊本が出版されている。こうした事実をみると、幸徳の著作が辛亥革命前の清国でとくに注目されていたことがわかる。

このたび、漢訳版『広長舌』(二版、上海:商務印書館、光緒29年〔1903年〕8月刊)のコピーを入手した。
IMG_1501.JPG
IMG_1502.JPG
IMG_1505.JPG
IMG_1503.JPG

この漢訳本を幸徳の原著(『幸徳秋水全集』第3巻、所収)と比較してみると、前者が後者の単なる翻訳ではないことがわかる。

例えば、『長広舌』所収の「無政府党の製造」という論説がある。当時の幸徳は無政府主義(アナーキズム)には批判的であり、次のように述べている。

鼠と古綿の多き所には、黒死病は多く伝染せらる。国家社会の不潔にして、絶望てふ鼠と古綿と多き所には、無政府党てふ病菌は多く入来たるなり。ここを以て無政府党は欧州大陸に多かりき。しかも社会制度の改革に多く心を用ひたるの英国には、その害甚だ猖獗ならざるを得たり。今や米国またこの兇行〔米大統領マッキンレーの暗殺事件(1901年9月)を指す〕を見るに至る、これ無政府党の害毒蔓延の恐るべきを知ると同時に、一面に於て米国近来の政策が如何に無政府党の伝染を誘致せんとするの傾向あるかを、想に足らん。」(『幸徳秋水全集』第3巻、324頁)

腐敗と絶望の蔓延した国家社会には「無政府党」という「病菌」がはびこる。だから欧州大陸には無政府党が多いけれども、社会制度の改革に尽力してきた英国では無政府党の害はあまりひどくない。これが幸徳の趣旨だ。

ところがこの箇所が、漢訳本『広長舌』(42頁)では次のように【翻訳】されている。
IMG_1504a.JPG

これを仮に訓読して書き下してみると、次のようになる。

死鼠と古綿と、腐敗の気その蒸発するや、人に伝染し以て人に病死を致すに足る。国家社会の組織の不潔、その弊害殆どこれに類せんか。今試みに起て世界の国家社会の組織を問うに、その多数の人民をして絶望せしむる者、全球において遍く索むれば、殆ど一ならず覯せん。無政府党の風潮、愈〔いよいよ〕伝わりて愈〔いよいよ〕広く、愈〔いよいよ〕播かれて愈〔いよいよ〕高きは、無政府党の自らこれを伝えこれを播けるにあらず。世界の国家社会の組織、以てその伝わるを助け、その播かるるを助くるもの有るなり。今欧州大陸の人民、無政府党殆どその十の六、七に居りて、その精を殫〔つ〕くし神を竭〔つ〕くし、魂を聚〔あつ〕め魄を斂〔あつ〕め、以て社会の制度を改革せんと企図せり。則ち英〔国〕の無政府党を以て巨擘たらしめ、その勢力の膨張猖獗、全欧に於いて亦〔また〕首にして一指を屈す。美〔米国〕これに次ぎ、俄〔ロシア〕又これに次ぐ。時より厥〔その〕後、其〔その〕害毒蔓延、則ち吾の敢えて知る所にあらざるなり。

国家社会の腐敗・絶望と無政府党の蔓延との関係についての幸徳の説明が、漢訳本では何倍にも引き伸ばされているだけでなく、「無政府党は欧州大陸に多かりき」という幸徳の言葉は、「欧州大陸の人民のうち十分の六、七は無政府党」だということになっている。また、英国では社会制度の改革のおかげで無政府党が少ない、という幸徳の説明は、漢訳本では、無政府党は全身全霊で社会制度の改革を企図しており、英国における無政府党の勢力は欧州屈指だ、というふうに書き換えられているのだ

これは単なる誤訳のレベルを超えている。この漢訳本を読んだ清国の人びとは、急速な勢いで世界に広がる「無政府党」のショッキングな印象を植え付けられ、これこそが世界の最先端の革命潮流だ、と考えたのではないか。それが翻訳者の意図なのは明らかだろう。こうした恣意的な「誤訳」を通じた思想の伝播の可能性というのも興味深く、さらに検討したいところだ。

長春だより

Copyright © 2013 OTA Hideaki All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。