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慰安婦問題をめぐる日韓「合意」――「進歩的」メディアと「革新政党」の翼賛化 [東アジア・近代史]

12月28日、慰安婦問題をめぐる日韓両政府の「合意」が発表された。人権問題を軽視しつづけてきた両国の現政権のあり方からいって、さもありなんという内容だ

岸田外相による、慰安婦問題に対する日本政府の「責任」と「おわび」についての発言は以下のとおり:

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慰安婦問題は当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍首相は日本国首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。
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これは、93年の河野談話における【本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる】という表現と、村山内閣の時に始まった「アジア女性基金」の事業に際しての「総理の手紙」の一節【わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ】とを組み合わせたものにすぎない。

なお、「総理の手紙」の「わが国としては、道義的な責任を痛感」という言葉のうち「道義的な」という形容が削除され、「日本政府は責任を痛感している」という表現になったことは、この「責任」が単なる道義的なものにとどまらず法的責任をも含意しうると解釈できることから、これを「前進」と評価する向きがあるかもしれない。だがそれはまやかしである。

なぜなら、今回の「合意」内容のうち、韓国政府が元慰安婦被害者支援を目的とした財団を設立し日本政府が10億円程度の資金を拠出する件について、「10億円の拠出は事実上の国家賠償ではないか」という記者団からの質問に答えて、岸田外相が「賠償ではない」と明言しているからだ。日本政府が「賠償」を否定しつつ、「責任を痛感し」「おわびと反省の気持ちを表明」してみせても、その「責任」の意味は曖昧であり、日本政府が法的責任を認めて公的に謝罪したということはできない

元慰安婦被害者を支援する財団の資金全額を日本政府が拠出するというのは、かつて「アジア女性基金」の「償い金」が民間からの寄付という形をとったために批判を浴びたことを踏まえてのことだろう。だが、外相が日本政府の資金拠出を「賠償ではない」と断言したことは、その拠出が慰安婦問題に対する国家責任とは無関係だということを意味する。ここに、植民地支配に対する国家責任は65年の日韓請求権協定で解決済みとする日本政府の立場を守る意図があるのは、「アジア女性基金」のときと同じである(なお、慰安婦問題をはじめとする日本の東アジア諸国に対する戦後責任の問題がここまでこじれにこじれた元凶の一つが、この「アジア女性基金」という姑息な事業であることについては、拙ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」2014年12月29日を参照)。

しかも、上記財団は韓国政府が設置するとしたことで、財団の事業実施についての責任を韓国政府に負わせる形になっている。さらに、これらの措置によって慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」ことに両国政府が合意したことによって、韓国政府は慰安婦問題につき今後日本政府を批判するのは困難となる。このことは、元慰安婦被害者の方々が自らの尊厳と人権の回復を日本政府に求めるうえで、大きな障害となり得る。

このような今回の日韓両政府の「合意」は、慰安婦問題を含む植民地支配に対する日本の国家責任・賠償問題は65年の日韓協定で解決済みとする日本政府の従来の主張に沿いつつ、河野談話・アジア女性基金という自民党の歴代政権が容認してきた線を越えないところで、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を強引に図ろうとするものだ。元慰安婦被害者の方々の尊厳と人権の回復を犠牲にしながら、国家と外交の論理を優先する両政府の姿勢が、そこには露骨に表れている。日韓両政府の協調・協力のもとにアジア・太平洋地域の覇権秩序の維持をもくろむ米国の意向がそこに働いているであろうことも、論をまたない。

聯合ニュースによれば、当事者である元慰安婦被害者の方々自身、今回の合意に納得していない。キム・ボクドンさんは「交渉前に私たちの意思を聞くべきなのに、政府からは一言もなかった」と批判した。キム・グンジャさんは「被害者は私たちなのに政府がなぜ勝手に合意するのか。私たちは認めることができない」と述べた。そしてイ・オクソンさんは、政府が「こっそりと協議を進め、もてあそんでいる」とした上で、「わが政府が慰安婦被害者を売り飛ばした。公式謝罪と賠償を私は必ず受けなければならない」と話したという 。元慰安婦被害者の支援団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、「日韓両国政府が持ち出した合意は、日本軍『慰安婦』問題に対する被害者たちの、そして国民のこのような願いを徹底的に裏切った外交的談合」であり、「被害者を再び大きな苦痛に追いやる所業」だと非難したのも当然だろう。

当事者である元慰安婦被害者の方々の思いを踏みにじる日韓両政府のこうしたまやかしの「合意」に対し、日本のマスメディアはどのように反応しただろうか。「両政府がわだかまりを越え、負の歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい」(『朝日新聞』12月29日社説)、「戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい」(『毎日新聞』12月29日社説)、「ようやく解決の道筋ができた。一九九〇年代に元慰安婦の支援事業として取り組んだ「アジア女性基金」や、民主党政権時代に提案された救済案など、これまで蓄積された日本の取り組みが実を結んだといえよう」(『東京新聞』12月29日社説)。このように日本の「進歩的」(?)マスメディアが、日韓両政府の「合意」に軒並み「歓迎」を表明し、これまでの「日本の取り組み」を自画自賛しているのは、この国の言論状況の頽廃ぶりを示して余りある。

ちょうど一年前、私は拙ブログの記事の中で次のように書いた。

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慰安婦問題をめぐる真の論点は、この深刻な人権侵害に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓請求権協定で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。この論点からすると、最近の『産経』『読売』と『朝日』とのバトルは茶番劇でしかない。実際は、『産経』から『朝日』に至るまで、上の日本政府の立場に立脚した「国民的」合意の醸成に努めているのが現状なのだ。(中略)

日本国の戦後責任問題をめぐるこうした道筋を掃き清めたのが、「アジア女性基金」であった。日本国家が過去の侵略責任を真に清算し、日本の人々がアジアの民衆とともに新しい平和的秩序を築いてゆく道は、こうして永遠に閉ざされてゆくのだろうか?
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「『朝日』の慰安婦関連記事について」2014年12月29日

今考えれば、今回の枠組みでの日韓「合意」に向けて、日本側の「国民的」同意を醸成するための上からのメディア対策および下からそれに呼応する動きは、かなり前から始まっていたといってよい。極端に対外強硬的で排外的な言説を右派メディアに垂れ流させておきながら、実際の政治・外交上の決定としては従来の自民党政権の線に引き戻しただけで、「進歩的」メディアからの拍手を取り付けたわけだ。翼賛的な言論状況をつくるためのきわめて巧妙なメディア操作ということができる。

さらに問題なのは、このようにして巧みに作り出された翼賛的な雰囲気に、日本共産党までも乗ってしまったことだ。共産党の志位委員長は今回の日韓「合意」について、次のような談話を発表した。

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日韓外相会談で、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について、「当時の軍の関与」を認め、「責任を痛感している」と表明した。また、安倍首相は、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした。そのうえで、日本政府が予算を出し、韓国政府と協力して「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行うことを発表した。これらは、問題解決に向けての前進と評価できる
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「日本軍「慰安婦」問題 日韓外相会談について」『しんぶん赤旗』2015年12月29日

ここで指摘されている日韓「合意」の内容について、志位氏が「前進と評価」したのは、驚くばかりだ。すでに上に述べたように、今回の「合意」には、20年前(!)と比べても実質的に「前進と評価できる」要素は何もないのである。ましてや、共産党はつい四年前、慰安婦問題について次のような見解を出していたはずだ。

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 「慰安婦」問題は日本の侵略戦争の責任にかかわる重大問題であり、日本自身による解決が求められるものです。政府による公的な謝罪と賠償は、国際社会への日本の責任です
(中略)

 日本政府は1993年になってようやく「慰安婦」問題について国の関与を認め、謝罪しました(河野洋平官房長官談話)。日本が侵略戦争と植民地支配の誤りを反省するなら、「慰安婦」問題についても謝罪し、賠償するのは当然です。しかし村山富市内閣は、「基金」による「償い金」というあいまいなやり方で政府の責任を回避したため、日本は世界からの批判の声で包囲され、孤立してきたのがこれまでの経過です。 (中略)

  とりわけ直接大きな被害をこうむった朝鮮半島の韓国、北朝鮮などの訴えは切実です。韓国では元「慰安婦」の人たちのほとんどが「償い金」受け取りを拒否し、日本政府の公的な謝罪と賠償を求め、裁判にも訴えています。

 日本政府は65年の日韓基本条約で、請求権の問題は「解決済み」といっていますが、これは通用しません。
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「主張/日本軍「慰安婦」問題 解決は世界への日本の責任」『しんぶん赤旗』2011年12月26日

すなわち四年前に共産党は、「『基金』による『償い金』というあいまいなやり方で政府の責任を回避した」アジア女性基金を批判し、元慰安婦被害者が「償い金」受け取りを拒否した事実を指摘して、「政府による公的な謝罪と賠償は、国際社会への日本の責任」だと明言していたのである。この立場からすれば、「政府による公的な謝罪と賠償」がなく、「あいまいなやり方で政府の責任を回避した」アジア女性基金のやり口そのままの「財団」への資金拠出をもって慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決とした今回の日韓「合意」は、とうてい受け入れられるものではないはずだ。その「合意」を志位委員長が「問題解決に向けての前進と評価」したのは、かつての共産党の立場を放棄したことを意味するのではないか。

なお共産党は12月24日、天皇が臨席する国会開会式に出席することを表明し、この式への出席を1948年以来一貫して拒否してきた党の方針を根本的に転換した(拙ブログ記事「日本共産党と天皇制――国会開会式への出席をめぐって」参照)。今回の日韓「合意」を共産党が受け入れたのも、来年の参院選ならびに「国民連合政府」構想を念頭に置く「現実路線」の一環とみることができよう。こうした目前の目的のために、天皇制問題およびそれと深い関連をもつ旧日本帝国の侵略責任問題という、共産党の歴史的存在の思想的根源にかかわるところで、なし崩し的な方向転換・右旋回が行われつつあるのは、きわめて深刻なことだと私は考える。

メディアにおける翼賛的な言論状況と、政界における挙国一致的な雰囲気の醸成。「リベラル・左派」の側から行われている最近のこうした動きは、安倍極右政権と同様、いやそれ以上に、日本国の民主主義を根底から腐蝕させつつあるのではないか。

長春だより

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