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「田中上奏文」をめぐる雑感 [東アジア・近代史]

私は日本と中国との友好を心から願っている。そのためには日本帝国主義が過去に犯した大陸侵略の罪業を日本政府と国民が直視し、歴史の事実を真摯に反省したうえで、中国人民に対し公的に謝罪しなければならないと考える。しかし、否、だからこそあえて言わねばならないことがある。「田中上奏文」なる怪文書のことだ。

この文書は、田中義一首相が1927年天皇に上奏したとされるもので、とりわけ「中国を征服しようとすれば、まず満蒙を征服せねばならない。世界を征服しようとすれば、まず中国を征服しなければならない」というスキャンダラスな内容で知られている。がしかし、この「田中上奏文」なるものを額面通りに受け取ることは不可能なこと(すなわち田中首相がこの文書を天皇に上奏したという伝説は信じるに足る根拠がないこと、その意味でこの文書は「偽書」とみなされること)は、政治的立場を問わず、ほぼ全ての日本の歴史研究者に共有されている見解であり、この見解は欧米の歴史学界ではもちろん、中国の歴史学界でも現在広く受け入れられている。むろん、この文書の作成・流通過程についてはさまざまな議論があり、その内容に以後の日本の大陸侵略政策と符合する点が多々あることもあわせて、今後も綿密な研究が必要である。しかし、この文書が田中首相の真正の上奏文であると信じる根拠は何もない。

ところがこの文書について、中国の官製メディアは今なおこれを額面どおり、田中首相が天皇に「世界征服」のための「中国征服」を進言した本物の上奏文として、扱っている。その真正性を疑問視しようものなら、お前は日本帝国主義の弁解者か、と決めつけるような口ぶりすら見受けられる。

確かにこの文書は「発見」された当時、日本帝国主義の「世界征服」・「中国征服」という野望を暴露するものとみなされ、中国(とりわけ「党」)が抗日戦争を遂行するうえで、結果的に重要な宣伝効果をもった。抗日戦争の勝利を権力の正当性根拠とする「党」にとって、この「上奏文」の真贋が政治的に「敏感」な問題であることは確かだ。だがこの「上奏文」が本物だと強弁し続けることは、日本帝国主義の本質についての認識を歪め、その歴史的解明を妨げるばかりか、日本の右翼歴史修正主義者につけこむ隙を与えることにもなる。

先日、中国の若い真面目な歴史学徒との雑談の中でこのことが話題になったが、科学的・客観的な歴史研究と、政治権力の正当性を弁証するための「愛国主義」的歴史叙述とが乖離している現状に話が及んだ。政治的立場の如何を問わず、過去の真実を探求することにいささかでも臆病になった瞬間から、歴史叙述は政治的プロパガンダへと転落しはじめる。それは日本でも中国でも同じことだ。歴史研究者のはしくれとして、深く自戒せねばならない。

長春だより

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