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九・一八歴史博物館(瀋陽) [東アジア・近代史]

遼寧省瀋陽で会議に参加した帰りに昨日、「九・一八歴史博物館」に行ってきました。7年ぶり、二度目の訪問です。
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1931年9月18日、奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道(満鉄)の線路が突然爆破された「柳条湖事件」。日本の関東軍はこれを中国軍の仕業としましたが、しかし実は関東軍参謀の板垣征四郎・石原莞爾らの計画で関東軍自らが爆薬を爆発させたもので、中国軍に攻撃を仕掛ける口実づくりのために練られた自作自演の謀略でした(なお、当時の日本のマスコミは関東軍の発表をそのまま報道したため、ほとんどの日本人は敗戦後に真実が判明するまで、柳条湖事件は中国側の仕業だと信じていた)。

この謀略事件をきっかけに関東軍は中国軍を奇襲、たちまち満鉄線沿線を武力制圧しました。こうした関東軍の暴走に対し、当初日本政府は不拡大方針をとったものの、陸軍中央は関東軍を支持して戦線を拡大、32年2月までに満洲(中国東北部)の主要都市が日本軍によって占拠され、3月に傀儡国家「満洲国」が成立しました。これがいわゆる満洲事変で、中国では九一八事変と呼ばれます。
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満洲事変から60年目の1991年9月18日、事変の発端である柳条湖の地に作られたのがこの九・一八歴史博物館です。館内には、日本の満洲侵略および中国民衆の抵抗に関するさまざまな資料が集められ、展示されています。

館内の展示は、日清戦争および日露戦争に始まる日本の満洲侵略の経過から、張作霖爆殺事件や満洲事変における日本軍の蛮行、満洲国成立後の東北抗日聯軍(抗日ゲリラ)の活動と、日本側による残虐な討伐の実態、繰り返される虐殺事件、731部隊の蛮行、中国全土における抗日戦争、ソ連の東北侵攻と満洲国崩壊、日本の降伏と東京裁判および中国での戦犯裁判、撫順戦犯管理所における日本戦犯の反省と釈放、72年の日中国交正常化と日中友好の推進、小泉内閣以後の日本右翼の台頭、歴史修正主義に対抗する日本の平和運動、という順序で陳列されています。日本による侵略の歴史だけでなく、戦後における日中友好の努力や平和運動についても触れられおり、決して「反日」が目的ではない点に注意すべきでしょう。多くの展示には日本語の説明文が付いています。

特に目が釘付けになったのは、遼寧省撫順近郊の平頂山で起きた日本軍による大量民衆虐殺事件(1932年9月16日)の遺骨で、戦後発掘されたうち十数体がここに展示されており、頭蓋骨にうがたれた銃痕が目に焼き付けられました(なお同事件の八百体以上の遺骨は、現地に建てられた撫順平頂山惨案紀念館に、発掘されたそのままの状態で展示されている)。また、奉天憲兵隊本部跡の地下から1998年に発掘された、抗日戦士とみられる足枷で繋がれた男女一対の遺骨もまた、無言で何かを語りかけているような気がしました。

参観に同行した遼寧師範大学の先生は次のように話されました。中国東北部のほぼ全ての人は家族や親戚が何らかの形で日本侵略の犠牲になっていること、現代の日本人に対してどんなに親しみを感じていても過去の侵略で受けた傷はいまだ癒えていないこと、歴史をはっきりと認識し反省することが東アジアの友好の前提条件だということ、だからこそ多くの日本の方々がこの博物館に足を運び過去の歴史について、中国の人びとの心情について考えていただきたいこと、などなど。

中国東北部は日本語学習が盛んで、多くの人びとが留学や仕事で渡日しており、日本に親しみをもっている人が多いのは確かです。しかしその一方で、毎年9月18日には中国東北の各都市とりわけ瀋陽で警笛が鳴り響きます。そこには中国東北の人びとの複雑な感情が込められているのでしょう。
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長春だより

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