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対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって [沖縄・琉球]

今年6月、明仁氏と美智子氏が那覇の対馬丸記念館と、記念館裏の旭ヶ丘公園にある対馬丸遭難学童を慰霊する「小桜の塔」を訪れたことは、以前報道で大きく取り上げられた。これについて、作家の池澤夏樹氏が『朝日新聞』のコラムで、「徹底して弱者の傍らに身を置く」天皇夫妻の「自覚的で明快な思想の表現」だと称賛したことについては、本ブログの記事「池澤夏樹氏の天皇論」で以前批判的に取り上げた。

ところで旭ヶ丘公園内には、「小桜の塔」以外にも、戦時中に対馬丸以外の25隻の船舶に疎開や徴用などで乗船し犠牲となった沖縄県民1927人を慰霊する「海鳴りの像」がある。いずれも沖縄戦と関係の深い犠牲者の慰霊碑だ。沖縄の「戦時遭難船舶遺族会」は6月、天皇夫妻の来県に合わせて、「海鳴りの像」への訪問も要請した(琉球新報、2014年6月18日)。が、天皇夫妻は「小桜の塔」だけを訪れ、同じ公園内にある「海鳴りの像」はスルーした。この差別はいったいどこから来たのか?

この問題について、澤藤統一郎氏のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の記事が的確に触れているので、下に一部引用し紹介したい。そこには戦争と「国家慰霊」をめぐる根本問題があり、「靖国」問題とも深いところで結びついていることがわかるだろう。

(引用はじめ)
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「戦時遭難船舶遺族会は、『小桜の塔』と同じ公園内にある『海鳴りの像』への(夫妻の)訪問をあらかじめ要請していたが、断られた。海上で攻撃を受けた船舶は、対馬丸以外に25隻あり、犠牲音数は約2千人といわれている。なぜこのような違いが生じるのだろうか。」

『小桜の塔』は対馬丸の「学童慰霊塔」として知られる。しかし、疎開船犠牲は対馬丸(1482名)に限らない。琉球新報は、「25隻の船舶に乗船した1900人余が犠牲となった。遺族会は1987年、那覇市の旭ケ丘公園に海鳴りの像を建てた。対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』も同公園にある」「太平洋戦争中に船舶が攻撃を受け、家族を失った遺族でつくる『戦時遭難船舶遺族会』は、(6月)26、27両日に天皇と皇后両陛下が対馬丸犠牲者の慰霊のため来県されるのに合わせ、犠牲者が祭られた『海鳴りの像』への訪問を要請する」「対馬丸記念会の高良政勝理事長は『海鳴りの像へも訪問してほしい。犠牲になったのは対馬丸だけじゃない』と話した」と報じている。

しかし、天皇と皇后は、地元の要請にもかかわらず、対馬丸関係だけを訪問して、『海鳴りの像』への訪問はしなかった。その差別はどこから出て来るのか。こう問いかけて、村椿嘉信牧師は次のようにいう。

「対馬丸の学童の疎開は当時の日本政府の決定に基づくものであるとして、沖縄県遺族連合会は、対馬丸の疎開学童に対し授護法(「傷病者戦没者遺族等授護法」)の適用を要請し続けてきたが、実現しなかった。しかし1962年に遺族への見舞金が支給され、1966年に対馬丸学童死没者全員が靖国神社に合祀された。1972年には勲八等勲記勲章が授与された。つまり天皇と皇后は、戦争で亡くなったすべての学童を追悼しようとしたのではなく、天皇制国家のために戦場に送り出され、犠牲となり、靖国神社に祀られている戦没者のためにだけ、慰霊行為を行ったのである。」
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(引用おわり)
タグ:沖縄 天皇制

高橋源一郎氏の「慰安婦」論 [東アジア・近代史]

高橋源一郎氏が、『朝日新聞』の論壇時評に慰安婦問題について書いている(「戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも」 )。この文章の中で私が最も違和感を覚えたのは、高橋氏が古山高麗雄氏の文章を(おそらく共感をこめて)引き、それに論評らしきものを加えている次の箇所だ。

------------------------(引用はじめ)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。
---------------------------------(引用おわり)

高橋氏のことばは、一見中立的で良識的のようにみえる。慰安婦は「売春婦」だとする極右の主張も、「彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体」の見解も、どちらも「性急に結論を出」しすぎだ、と氏は言いたいらしい。実際、高橋氏はツイッターで次のように発言している。「『慰安婦問題』でも、ある人たちは、『慰安婦』は『強制連行』され『性的な奴隷』にされた、と主張し、またある人たちは、『いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ』と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。」

だが、個々の慰安婦の人びとは「売春婦」だったのか、「性奴隷」だったのか、はたまた「どちらの場合もあった」のか、という問題の立て方ほど馬鹿げたものはない。個々の慰安婦の人びとの生きざまが多様なのは、言うまでもなく当然だからだ。慰安婦問題というのはあくまでも「制度」の問題である。この観点が高橋氏にはない。

旧日本帝国軍隊の慰安婦制度が一般に強制的な戦時性奴隷制であったことは、今や国際的に共有されている常識だ(例えば、今年8月6日付の国連ニュースJapan’s stance on ‘comfort women’ issue violates victims’ rights – UN official)。そして、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点は、この性奴隷制に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。そして、国際社会の大勢が前者の主張に立って日本政府を批判していることは、すぐ上に挙げた8月6日付国連ニュースにある国連人権高等弁務官の声明や、29日に国連人種差別撤廃委員会が発表した日本政府に対する勧告(勧告の英語原文はここ)を一読すれば明らかだ。

「強制連行」という概念をこねくり回してあたかもその「有無」や「程度」に論点があるかのようにみせかけたり、個々の慰安婦の多様な生きざまを文学的表現に乗せることで性奴隷制の実態をあいまいにしたりするような言説が、最近よくみられる。こうした言説は、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点を逸らすことで、元慰安婦の方々の人権の回復を遅らせることにつながっており、その意味で悪質なものといえる。

『読売新聞』や『産経新聞』のような保守・右派メディアが、慰安婦制度をめぐる日本政府の立場を支持するために、さまざまな詭弁を弄するのは異とするに足りない。彼らは慰安婦制度をめぐる真の論点をよく知っており、そこに攻め込まれないよう自分たちの陣地をあらかじめ広げておこうとするのだ。だが、『朝日新聞』のような〈進歩的〉とされてきたメディアが、中立を装いつつ問題の論点を逸らすような言論を垂れ流し続けることは、『読売』『産経』に劣らず害悪が大きいともいえる。

『朝日新聞』は8月5・6日、「慰安婦問題を考える」という長大な検証記事を二日間にわたり掲載した。だがそれは、「強制連行」の字義解釈をめぐる右派メディアが設定した土俵内での、弱々しい自己弁護に過ぎず、真の論点――慰安婦制度という戦時性奴隷制に対して日本国家はどのように責任(国家賠償と謝罪)を負うべきか、という問題について何ら定見がみられない。河野談話を受けて、民間からの寄付による「償い金」を元慰安婦に支給して済まそうとした「アジア女性基金」が、どれほど問題を混乱させたかについての深い省察もない。こうした『朝日新聞』の自己「点検」なるものが、かえって右派メディアを勢いづかせる結果になったのは、必然といえる。

『朝日新聞』や岩波『世界』など進歩的(?)メディアやそこに寄稿する「文化人」が、中立(?)という「良識」を装うたびに、旧日本帝国の国家犯罪に対する責任の追及という慰安婦問題の本質は逸らされてゆく。そうした状況に、日本帝国の戦争責任を解除したい右派の人びとは快哉しつつ、いっそう攻撃の手を緩めない。日本の言論状況に危機をもたらしている元凶の一つが、〈進歩派〉とみなされてきたメディアや「文化人」の頽廃にあることは、間違いない。

長春だより

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