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日清戦争120年と現在 [日中関係]

残務を一通り終えて、明日から8月半ばまで一時帰国する予定だ。安倍一味(および外務官僚ら)の解釈改憲クーデターによって戦争国家に変貌してしまった日本国をこの目で見るのは、正直辛いものがある。

最近は帰国するたびに、首都東京の表面のにぎわいと裏腹にこの国が内側から劣化しつつあることを痛感させられてきた。前回1月に帰国したときは、町の本屋の店頭に自画自賛本やヘイト本ばかりが並んでいることにびっくりし、NHKニュースの翼賛報道ぶりにも驚かされた。今回もまた悪い意味での驚きや発見がいろいろあるだろうなと、今からうんざりしている。

先日、中国の同僚との雑談で、日本も中国も政治家や官僚の劣化がひどい、という話になった。国民を戦火に巻き込むことを絶対に阻止する、という気概がどちらの国のリーダーにもなく、互いに隣国に対する大衆の嫌悪感や敵意を煽り立てることをもって、自身の権力を維持するための手段としている。この状態が続くことは両国にとってきわめて危険なことだ、と嘆息し合った。戦争の突発を本気で心配している中国の知識人は少なくない。

今年は日清戦争(中日甲午戦争)の勃発から二度目の還暦を迎える節目の年だ。120年前の7月23日、日本軍はソウルの朝鮮王宮を占拠することで戦争の火ぶたを切り、25日には朝鮮西海岸の豊島(プンド)沖で日清両国艦隊の海戦が始まった。中国では日清戦争のことを第一次中日戦争とも言い(第二次中日戦争は1937~45年の「抗日戦争」を指す)、120年目の今年は関連報道が多い。建前とは異なり、中国においてもマルクス主義の歴史認識が衰弱し、日本帝国主義批判よりもむしろ、「弱国が屈辱を受けたのは仕方がない。だから強くならねばならない」といった見方が強まっているのは、気になるところだ。

杜甫は「国破れて山河あり」と詠じたが、次に戦争が起これば帰るべき山河すら消滅してしまうかもしれない。福島の原発事故はその悲惨なありさまを私たちに暗示している。思考停止の後には、とんでもない悲劇が待っている。

東アジアの悪夢が現実化するとき、まず戦火にさらされる危険が高いのは沖縄だ。安倍一味の解釈改憲クーデターの後、普天間基地の辺野古移設の動きが急ピッチで進んでいる。この暴挙がもしまかり通るなら、沖縄は日米安保体制が続く限り永久に「不沈空母」として利用され続け、隣国との軍事的緊張の矢面に立たされ続けることになる。こんなことを決して許してはならない。

辺野古移設阻止の闘いは正念場に入りつつある。警察は市民に対して海上でも逮捕権を行使する方針だという(「海上で逮捕権行使も 県警、辺野古の移設作業」『琉球新報』7月19日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228740-storytopic-1.html )。私も今回の一時帰国中に、必ず辺野古を訪れて、移設阻止の闘いの列に加わるつもりだ。

長春だより

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