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長春の韓国料理店と朝鮮族 [中国東北・雑記]

韓国料理店で石焼ビビンバを食べました。22元(約370円)。日本の韓国料理店の石焼ビビンバとは材料や味がやや異なります。近代史の複雑な経緯から、長春市内には多くの朝鮮族の人びとが暮らしており、朝鮮(韓国)料理屋や韓国食材店、雑貨店などが数多くあります。
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長春市内の朝鮮族は、少数民族としては満州族(15.3万人、2012年)に次ぐ人口(5.3万人)を擁しています。吉林省全体の朝鮮族人口は104万人で、うち80万人以上が豆満江(中国名・図們江)を境に北朝鮮と向かい合う延辺朝鮮族自治州に住んでいます。

朝鮮北部から中国東北部(満洲)への朝鮮人移民は、朝鮮の自然災害や飢饉をきっかけに1860・70年代から増え始め、19世紀末に清朝が満洲の封禁政策を撤廃したことで、多くの貧しい朝鮮人農民が豆満江・鴨緑江を越えて沿岸に定住しはじめました。満洲を横断する鉄道の敷設権をロシアが清国から得て建設が始まると、鉄道工事や沿線開発のために大量の朝鮮人移民労働者が雇用されてゆきます(鉄道などの利権は日露戦争後日本の手に落ちる)。

さらに1910年の日本による韓国併合後、圧政や貧困から逃れようとした朝鮮人移民が激増し、1932年日本の関東軍による「満洲国」建国後は植民政策による計画的な朝鮮人移住が推進され、1945年「満洲国」内の朝鮮人人口は216万を超えていました。

日本降伏・「満洲国」崩壊後、少なくない数の朝鮮人が帰国した一方、中国国境内に残った人びとは1949年中華人民共和国成立後に正式に中国国籍へと編入され、「中華民族」を構成する漢民族ほか55少数民族の一つとしての朝鮮族になったわけです。

現在長春市では、朝鮮族中学(日本の中学校と高校にあたる)と朝鮮族小学で民族教育が行われています。市内の寛城区にある朝鮮族小学は1922年の設立とされていますが、この場所はもともと「満鉄附属地」として、日露戦争の結果日本がロシアから権益を引き継ぎ「満洲国」建国前から日本が行政・司法・警察・軍事権を振るっていた地域です。現在の朝鮮族小学の敷地は、1945年以前は「日本橋公園」と呼ばれ、「満鉄創業館」が建っていた場所なのです。(なお満鉄創業館は1909年10月、伊藤博文がハルピン駅頭で暗殺される前日に宿泊した所としても有名です。)
満鉄創業館.jpg
【写真は「満鉄創業館」】

その経緯と背景には日本帝国主義とからみあった複雑な歴史のあることが想像されます。最近購入した『中国朝鮮族移民史』(孫春日著、中華書局、2009年)を手始めに、この地域の入り組んだ民族の歴史についても少しずつ勉強したいと考えています。
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長春だより

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