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富岡製糸場の世界遺産登録をめぐって [日本・近代史]

世界遺産に登録される見通しとなった富岡製糸場ほか遺産群。「世界遺産登録推薦書」の概要や、「富岡製糸場と絹産業遺産群」公式ブックレットを見ると、これらの遺産群の「普遍的価値」は次のところに求められている。すなわち富岡製糸場は、高品質生糸を大量生産するために日本が近代西欧技術導入する中心的な場となり、国内の養蚕・製糸技術改良を促進するとともに、その高度な技術は海外にも移転され世界の絹産業発展に大きく貢献した、というものだ。

世界遺産登録推薦書について
http://worldheritage.pref.gunma.jp/pdf/suisensyogaiyou.pdf

世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」公式ブックレット
http://worldheritage.pref.gunma.jp/pdf/201404BL-ja.pdf

生糸を大量生産する近代的技術体系においては、多くの労働者を集中的に管理・訓練する労務管理技術がきわめて重要な位置を占める。だが富岡製糸場の「普遍的価値」を宣伝する側は、この点に触れることにあまり積極的ではないようだ。近代日本製糸業の労務管理と聞いて、多くの人の思い浮かべるのが『女工哀史』や『あゝ野麦峠』の悲劇だからだろう。富岡製糸場を宣伝する側があえてこの点に触れる場合は、創業期の官営富岡製糸場における工女がめぐまれた条件にあったことを強調し、『女工哀史』等々のマイナスイメージから切り離そうとする。

富岡製糸場を単体で(官営時代、特に創業期に限って)見ると、確かに西洋の産業技術および労務管理体系の導入のための模範工場として作られており、労働者も士族の娘が多く、産業革命期の奴隷的製糸工場とあり方が違うと言うのは間違っていない。そもそも富岡製糸場の創業期(1870年代)は農民層の分解も進まず、賃金労働者自体が未成熟であり、産業革命が始まる1880年代末以降とは時代状況が異なっている。

しかし、富岡製糸場の創業期だけを取り上げて明るく描き出そうとするのは、一面的ではなかろうか。富岡製糸場を近代の絹産業遺産としてその「普遍的価値」を云々するなら、当然、そこに始まる近代日本の絹産業(養蚕・製糸・織物業)全体を見渡す必要がある。横山源之助『日本之下層社会』(1899年)が描き出すように、それらに携わった農民・労働者の状態は、日本資本主義史の暗黒面を代表するといえよう。むしろそのどす黒さにこそ、産業資本主義の開始期(いわゆる本源的蓄積期)に共通する世界的な「普遍性」があり、世界の人びとが記憶すべき価値があるのではなかろうか。ところが推薦側も、ユネスコの側も、どちらもそうした視点に欠け、近代資本主義の形成をもっぱら明るいものとして描こうとしているように見える。根本的な歴史認識が問われるところだ。

近代初期(明治時代)の日本において生糸製糸業は、とくに綿糸紡績業が発展し始める19世紀末以前においては、外貨の獲得手段として最も重要な戦略的輸出産業であった。重工業が未発達な当時において、生糸の輸出によって得た外貨が、軍艦・兵器・鉄・機械類の輸入を可能にし、また重工業への投資を支えた。そして超低賃金・長時間労働による女工の奴隷的酷使が、輸出産業の世界市場における競争力を高めたことを忘れてはならない。

人身売買された女工の血と汗で作られた生糸や綿糸は、輸出財として外貨獲得の手段となり、軍艦や大砲に変換されてアジア侵略の手段となり、戦争で獲得した新市場に向けて増産するため女工の数を増やし搾取を強めてゆく…。これが近代日本資本主義の拡大再生産の基本図だ。女工の奴隷的搾取とアジアへの侵略戦争とは、その不可欠な一環をなしている。

私はまさにこの意味で、絹産業をはじめとする日本の「近代化産業遺産」は、確かに「世界遺産」として保存・記憶すべき普遍的な価値があると考える。帝国主義国家としての産業発展がいかなる条件の下で可能になったか、その暗黒ぶり(強制的奴隷労働、圧制に対する抵抗とその凶暴な弾圧)をそれらの遺跡がまざまざと示しているからだ。アメリカの産業発展が黒人奴隷やアジア人クーリー(苦力)労働者の膨大な犠牲によって成し遂げられたように、産業化の背後の野蛮な暴力(とそれに対する抵抗運動)には世界的な普遍性がある。そしてこの構造は現在も続いている。そのことを世界の人びとはしっかり記憶すべきだと思う。

日本政府は今、九州・山口の近代化産業遺産群(三池炭坑、長崎造船所、八幡製鉄所、その他)の世界遺産登録を目指している。だが上のような歴史的視点はほとんど見られない。例えばその「構成資産」の一つとして挙げられている高島炭鉱は、囚人の奴隷労働(1888年に雑誌『日本人』が告発したことで有名)や、1940年代の朝鮮人・中国人労働者の強制連行で悪名高いが、こうした重大な問題はほとんど無視されているようだ。近代産業資本主義の形成と発展を一面的に美化する歴史観を普及させようとする支配層の意図に対して、警戒が必要だ。

長春だより

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