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明治神宮の「祭神」をめぐる雑感――皇族の呼称・追号 [日本・近代史]

4月24日、オバマ大統領が明治神宮を参拝した。この参拝自体、東アジアの国際関係や日本の政教分離原則をめぐりいろいろな問題をはらんでいると思うが、今は措く。

明治神宮の祭神は、「明治天皇」と「昭憲皇太后」である。それぞれ、睦仁氏とその正妻の美子氏(睦仁氏にはほかに側室が数名あり)の死後におくられた追号だ。しかし、なぜ後者の追号が「皇太后」なのか?(「大正天皇」嘉仁氏の妻節子氏の追号は「貞明皇后」、「昭和天皇」裕仁氏の妻良子氏の追号は「香淳皇后」)

祭神名として「昭憲皇太后」を採用している明治神宮のHPによれば、1914年に美子氏が死去した際に、当時の宮内大臣が彼女の追号を誤って「皇太后」として上奏し、それがそのまま天皇に裁可されてしまった、とのこと。
http://www.meijijingu.or.jp/qa/gosai/12.html

「皇族身位令」(1910年)によれば、「皇太后」よりも「皇后」の方が、位が上だ。そこで明治神宮奉賛会は、「昭憲皇太后」を「昭憲皇后」と改めるよう宮内大臣宛てに建議したものの、すでに天皇の裁可のあったものは変えられないとの理由から、追号・祭神名の変更は許されなかった。さらに戦後の1963年と67年に、明治神宮崇敬会は再度宮内庁に「皇太后」から「皇后」への追号変更の懇願を出したものの、却下されたという経緯を、明治神宮自身がHP上で説明している。

そもそも元号名を天皇の追号とするようになったのは、「一世一元」制が採用された明治以降のこと。「天皇」号自体は7世紀末ごろに成立したとみる説が有力で(その前は「大王(おおきみ)」号)、漢風諡号(持統天皇、文武天皇、桓武天皇など)が死後に贈られるようになった。平安朝になると諡号は廃れてゆき、皇居や譲位後の居所、陵地などの地名(嵯峨、醍醐など)が「追号」として用いられ、10世紀半ばからは「天皇」号自体が廃れて、死去した(元)ミカドには「院号」が追号された(冷泉院、一条院、後白河院など)。

長らく途絶えていた「天皇」号が復活するのは、江戸時代後期の1840年に死去した元ミカドに「光格天皇」という漢風諡号が贈られてからのことだ。「明治天皇」以降は諡号ではなく、一世一元の制に基づき元号がそのまま死後に追号されている。なお、約900年間「~院」と追号されていた歴代のミカドたちの歴史的呼称が「~天皇」に全て改められるのは、1925年に政府がそのように決定してからのことにすぎない(藤田覚『幕末の天皇』講談社、1994年)。

歴史上のミカドやその一族の呼称については、上に挙げたような諡号・追号としての「天皇」号・「皇后」号がはらむいろいろな問題がある。現在の皇族の呼称も複雑だ。皇族に姓がないのは周知のことだが、東アジアでは古くから当人の本名(諱〔いみな〕)を主君や親以外の人が呼ぶのはタブーとされてきた慣習がある。この古い慣習が現在も皇室についてのみ、適用されがちなようだ。

「天皇」とか、「皇后」「皇太后」「皇太子」「親王」等々の称号は、法律である皇室典範に定められている。一方、「秋篠宮」などの宮号は、法律上に根拠のない慣習上の(皇室の私的な)名称といえる。皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王の「浩宮」「礼宮」、皇太子の娘の愛子内親王の「敬宮」等々は、天皇・皇太子の子女のみがもつ称号だ。特に男性皇族については、本名(諱)をなるべく避ける古い慣習に縛られているためか、皇族の人びとの呼称は実にわかりにくいものとなっている。

一方、皇族を指す呼称として、マスメディアが本名(諱〔いみな〕)を用いる例が増えてきた。「雅子さま」「愛子さま」といったものがそれで、本名を呼ぶ場合は「さま」という妙な敬称を付すのが「決まり」になっているようだ。他方、男性皇族については、とりわけ天皇や皇太子の地位にある人たちの呼称として、本名を用いることは注意深く避けられる傾向がある。親や主君以外の者が諱(本名)を呼ぶのは無礼だ、という因習に今も囚われているからではないかと思われる。

こんな因習にマスコミが一律に囚われているのは奇妙なことだ。こうした特別扱いが、皇族に対する人びとの特殊な感情を生み出し、天皇制や皇室制度の存廃についての開かれた議論をタブーとする空気を醸し出していることは、確かだと思う。権力を批判し民主主義を擁護する公器としての報道機関が、こと皇室に関しては、逆に民主的な議論を抑え込む役割を果たしている。現代社会において、明仁氏や徳仁氏の本名を呼ぶのは敬を失する、という感覚自体が異常ではないのか。

歴史上の人名についても、特に近代史にかんして言うと、天皇の地位にあった睦仁・嘉仁・裕仁らの本名をことさらに避けて、「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」という、彼らの死後に贈られた追号で呼ぶ慣習が残っている(私も自著で「明治天皇」と記した)。だが例えば睦仁の名を避けて明治天皇と呼ぶと、なんとなく神聖不可侵な感じを与え、彼が政治家として実際どのような役割を果たしていたのか客観的に認識することを妨げかねないような気がする。自戒を込めてここに記す。

長春だより

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