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NHKドラマ『足尾から来た女』についての疑問 [日本・近代史]

NHKドラマ『足尾から来た女』。時代背景が私の狭い専門分野と重なっていることもあり、中国でもずっと楽しみにしてきました。幸い今回、日本への一時帰国を利用して再放送を観ることができました。

日清・日露戦争に勝利し、一躍新興帝国主義国家としてのしあがった明治日本。当時の日本にとって、銅は富国強兵に必要な外貨を得るために不可欠な輸出品でした。そうした国策による足尾銅山の急速な開発によって引き起こされたのが、足尾鉱毒問題です。

1890年代末から数度にわたって行われた足尾鉱毒被害農民ら数千人の上京示威運動や、田中正造の「直訴」などを経て、足尾鉱毒被害を救済すべきだとする世論が急速に高まりました。こうした世論の圧力によって、政府もようやく鉱毒対策に重い腰を上げはじめます。しかし、富国強兵に必要な足尾銅山の操業を停止するという選択は、日本政府にはありません。そこで窮余の策として現れたのが、鉱毒被災地の一つ谷中村をつぶして、ここに巨大な遊水地を造り、流域の鉱毒を緩和する、という案でした。

こうして谷中村は、国策の前に犠牲の羊として生贄にされてゆきます。この不正不義に憤った田中正造は、強制立ち退きを拒む谷中村民とともに、巨大な国家権力に敢然と立ち向かう道を選びました。このような時代背景のもと、田中正造を中心とするさまざまな人間模様を描き出そうとしたのが、ドラマ『足尾から来た女』です。

ドラマの主題である谷中村問題は、国策・国益の名の下に、一部地域の住民の人権を奪い深刻な犠牲を強いるという点で、現在の原発問題や普天間移設問題とも通じています。その意味では、今の時期にこうした重大なテーマを扱ったドラマを制作した方々に、敬意を表したいと思います。

しかし、明治時代の社会運動を研究してきた私にとって、このドラマは疑問を感じざるを得ない点がいくつかありました。

その一つは、『足尾から来た女』という題名です。ドラマの主人公の女性は、足尾銅山からではなく、鉱毒の被害を受けた谷中村から来たのです。足尾銅山は渡良瀬川の上流にあり、谷中村はそのはるか下流に位置し、両者は地理的に大きく隔たっています。にもかかわらず、なぜこのような題名にしたのでしょう?

このドラマのさらに大きな疑問点は、当時の社会主義者、とりわけ石川三四郎の描き方です。ドラマで石川は、谷中村から来た貧しい娘にセクハラを働くような、傲岸で裏表のある浮ついた人物として描かれています。しかしそれは完全に史実に反するものです。私の知る限り、当時の石川三四郎は非常に繊細で内向的な青年で、ドラマが描く人物像とはむしろ正反対の人格なのです。

確かに石川は「自由恋愛」論を唱えましたが、それは当時の前近代的で抑圧的な家族制度・結婚制度を批判し、真実の愛に基づく男女の精神的な結合を強調するものでした。ドラマでは、石川の「自由恋愛」論はフリーセックス論のようにみなされていますが、そうした曲解は、当時の御用論客が社会主義者を反倫理的な怪物に仕立てるためになされたものです。ドラマの描く石川の人間像は、御用論客によって醜く描かれた当時の社会主義者像と相似的だと思いました。

そもそも石川は徹底した非暴力論者で、階級闘争にすら否定的でした。その石川が、あたかも暴力革命論者のようにドラマでは描かれているのも、おかしなことです。

このドラマでは、幸徳秋水・堺利彦ら社会主義者を、観念的に革命ばかり唱えている頭でっかちな人間としてことさらに描き、そのカリカチュアとして石川の人間像を造ったように見えます。それと対比する形で、「地に足の着いた」田中正造の実践の「偉大さ」を際立たせようとしているのではないでしょうか。しかし、当時の社会運動を研究してきた私としては、こうした対比の仕方は全く納得できません。

1907年2月の足尾銅山争議・暴動事件と社会主義者との関係についても、ドラマの描き方には首を傾げざるを得ません。その頃足尾銅山には、坑夫の自発的な労働組合(大日本労働至誠会)が組織され、組合の主導する待遇改善運動が始まっていました。が、その矢先、組合を嫌う飯場頭によって暴動が扇動され、その結果組合もその地道な努力も破壊されてしまったのです。しかし警察はこれを利用し、この暴動は社会主義者が扇動したものだというデマを流しました。こうした史実について、ドラマの描写は実に不正確で、むしろ当時の警察見解に近いものだという印象を受けました。

また、社会主義者を一律に「国家転覆」陰謀者として弾圧した当時の警察見解についても、ドラマはそのまま追認しているように見受けられました。こうした見解は「大逆」事件のでっちあげへと連なるもので、当時の多くの社会主義者たちの実際の思想や行動からはかけ離れたものです。

総じて、このドラマでは当時の社会主義者が戯画化、さらに言えば悪魔化されているように、私には感じられました。彼らについて親しく研究してきた者として、こうした描き方はとうてい納得できるものではありません。意義深いテーマを扱っているドラマであるからこそ、いっそう残念に思います。

20世紀初頭の日本において、帝国主義戦争に正面から反対した唯一の人びとは、彼ら初期社会主義者です。当時において、最も強く自由と人権の擁護を主張し、最もラディカルな民主主義を主張したのも彼らです。田中正造が偉大なのは確かであるとしても、それを強調するためになぜ初期社会主義者たちをことさらに貶める必要があるのでしょうか?私には理解できません。


【後記 1月26日】
前編の放送で、貧しい農民の娘にセクハラを働く卑劣な男として描かれた石川三四郎。後編の放送(1月25日)ではなんと強姦魔(未遂)として現れました。明治時代の初期社会主義者たちが遺した史料を読み込んできた私にとって、石川は親しい友人も同然です。その彼がこのような侮辱的な描かれ方をされたことに対し、私は怒髪天を衝く思いをし、今も怒りと悲しみが収まりません。

それだけなら私憤かもしれません。しかしこのドラマでは、初期社会主義者たちが戯画化され、その延長線上に非人間的な怪物・犯罪者として石川三四郎が造型されています。当時の日本において、彼ら社会主義者たちは、帝国主義戦争に正面から反対し、最も強く自由と人権そして民主主義を主張しました。フィクションとはいえ、ドラマが彼らをかくも貶めて描いたことは、単に史実を歪めるということを越えて、日本の近現代史に対するさまざまな偏見を視聴者にもたらすことでしょう。その意味でも、私はこのドラマにおける描写を看過できず、この歪曲を決して許すことができません。

【後記2 1月26日】
後編でもう一つ疑問に思ったのは、娼妓の描き方です。近代日本において娼妓は、人間としての自由も権利も尊厳も全て奪われ尽くされた性奴隷として、弱者中の最弱者と呼ぶべき人びとです。その意味で彼女たちは本来、谷中村の人びとと相似的な存在であるはず。ところがこのドラマは、娼妓を醜悪な人格破綻者として描き、彼女たちの境遇に対する同情や共感のかけらさえ見られません。谷中村問題をテーマとするドラマがこの程度の人権意識しかないことに、驚かされました。

長春だより

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