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北朝鮮との国境の町・集安 [中国東北・雑記]

先週末、吉林省の南端にある集安市に行ってきました。鴨緑江に面し、北朝鮮の山々と向かい合う国境の町です。
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同じ省内とはいえ、私の住む省都の長春から南へ四百数十キロ。東京から岐阜くらいの距離です。トウモロコシ畑が果てしなく続く大地を車でひたすら走ること6時間、吉林南部の亜寒帯原生林が鬱蒼と生い茂る山々を縫う細道を通り抜けたところに、集安市はあります。

集安は古来、朝鮮半島と東北(満洲)大平原とを結ぶ交通の要所で、紀元1世紀から5世紀まで高句麗の都城として繁栄しました(丸都城・国内城)。日本でも有名な好太王碑(広開土王碑)もここにあり、北朝鮮の山々を望む小高い丘の上に建っています。高句麗王族の墳墓も市内に点在し、これら高句麗の遺跡群は北朝鮮側の遺跡とともに2004年、世界遺産に登録されました。
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高句麗滅亡後、この地を支配する王朝は唐・渤海・遼・金・元・明・清と移り変わりましたが、集安は交通の要衝であり続け、重要な役割を担ってきました。そして20世紀に入り、1910年の韓国併合と1932年の「満洲国」建国によってこの地域を手中に収めた日本は、満洲と朝鮮を結ぶルートの一つとして鴨緑江を跨ぐ橋を集安に建設し、1939年鉄道を開通させました。この鉄道は今も中国・北朝鮮間の輸送に利用されています(故・金正日総書記も鉄道での訪中の際、ここを何度か通過しています)。

鴨緑江の対岸は北朝鮮。川幅は数十メートルに過ぎず、目と鼻の先です。目を凝らすと、農作業をしている北朝鮮の人びとの姿も見えます。北朝鮮側の山々の大部分は木が伐り尽くされ、はげあがっているのが目立ちます。不足する燃料の確保のため、あるいは食糧増産のために山の木々が伐採されたのだ、とも聞きました。鬱蒼とした緑に覆われた中国側の山々と、何とも不自然な対照をなしています。
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